牛鬼の頭は、牛とも鬼ともつかない形相をしているが、その表情は一様ではなく、地域により異なっている。一般的には宇和島地方の牛鬼の形相が有名であるが、頭の様式を大まかに分類すると、上浮穴郡型、喜多郡型、西宇和郡型、宇和島型、南宇和郡型、その他に分けることができる。 上浮穴郡型は小田町やかつての久万町、柳谷村で見られたもので、完全に牛の表情をしており、鬼の要素は感じられない。このような牛の顔のものは、五十崎町など一部喜多郡にも見られるが、旧宇和島藩から離れた地域において独自に発達している。 喜多郡型は、大洲市、喜多郡に見られるもので、上浮穴郡型のように牛の表情にも近いが、顔に皺をよせて恐ろしさを強調しているものが多い。上浮穴郡型と宇和島型の中間形式とも言える。 西宇和郡型は、八幡浜市周辺に見られるものである。八幡浜市川名津や大島のように、鬼としての恐ろしさが薄れてはいるが、形状は宇和島型に似ており、宇和島市に残る明治時代の牛鬼の頭に類似している。宇和島型の亜流といえるが、宇和島型の古い形式ともいえる。 宇和島型は、現在、最も一般的とされる型で、牛鬼の最も恐ろしさを強調しているものである。西宇和郡型に比べると、口を大きく開け、牙をむき出しにし、眼光を鋭く表現している。これは戦後地元の張り子職人が考案したもので、南予各地に広がっている。 南宇和郡型は、南宇和郡全域に見られるものである。丸型を基調として、眉や鼻を強調し、牙を並べて恐ろしさを強調している。 その他に、上記では分類できない牛鬼もある。喜多郡長浜町豊茂、東宇和郡明浜町狩江、北宇和郡日吉村上鍵山の牛鬼である。これらは、南宇和郡型と同じく、丸型を基調としているという共通性を持つ。いずれも、牛鬼の分布からすると、周辺部に位置するものであるが、周圏論的に見れば、これが牛鬼の古態を示しているのではないだろうか。つまり、牛鬼は、かつては丸型を基調としていたが、宇和島型へと発展し、一部喜多郡、上浮穴郡では、伝播する際に、鬼の要素が解消されて、牛に近い表情となったのだろう。 このように、牛鬼の頭の分布を見ると、分布の中央部にあたる宇和島地方に新しい型の牛鬼があり、周辺部にいけば古態の型の牛鬼が見られるという傾向があるのである。
2000年05月11日 南海日日新聞掲載
2000年05月11日 南海日日新聞掲載