県内の某ラジオ局から、「おむすびころりん」の昔話に出てくるおむすびは、どんな形だったのかという質問を受けた。各種の絵本を見ると、ほとんど三角おむすびが描かれているが、実際はどうだったのか、というのである。しかし、そもそも昔話は、「むかしむかしあるところに」とあるように特定の時代、特定の場所が明示されることの少ない言語伝承である。そして、おむすびの形は時代、地域、そして握る人によって様々であり、昔話「おむすびころりん」のおむすびが本来どんな形だったのかを考えるのは無理がある。とはいうものの、無理を承知で「おむすび」をめぐる民俗を調べてみたくなる。これは性分なのだから仕方がない。
さて、握り飯のことを「おむすび」とも「おにぎり」とも言うが、まずはこれについて考えてみたい。『日本国語大辞典』によると、「おむすび」は握り飯を丁寧に言う語、「おにぎり」も握り飯の丁寧語で、もとは女性・子供の語と紹介されている。この女性・子供の語であるという根拠としては、『古事類苑飲食部』に紹介された江戸時代の資料「守貞漫稿」に「握飯 ニギリメシ、古ハドンジキト云、屯食也、今俗、或ハムスビト云、本女詞也」という記事があり、「にぎりめし」という言い方は、昔は「どんじき」といい、現在、一般には「むすび」といい、もともとは女性の言葉だったというのである。江戸時代には、一般に「にぎりめし」と「むすび」が使用されており、これらが、それぞれ丁寧を示す接頭語「お」をつけて、現在の「おむすび」・「おにぎり」になったことがわかる。
なお、「どんじき(屯食)」とは、江戸時代、京都の公家社会で、握り飯の呼称であり、『安斎随筆』二十二に「屯食 ドンシキとよむ是ニギリメシの事なり 飯を握りかためるなり」とあったり、随筆『松屋筆記』十二に「公家にては今もにぎりめしをドンジキといへり」とある。
また、「ムスビ」といえば、高皇御産霊神(タカミムスヒノカミ)・神皇産霊神(カミムスヒノカミ)など、神名に使われる「ムスヒ」との関連が考えるむきもある。「ムスヒ」は、「ムス」が生じる、「ヒ」は霊威のことであり、天地、万物を生み、または成長させる霊妙な力を意味する。折口信夫が「産霊の信仰」で、「結ぶ」の語源を、内容のあるものを外に逸脱しないようにした形から、と述べているように、「ムスヒ」と「結び」を関連付けて考えている。しかし、『日本国語大辞典』には、「ムスヒ」は後世、「結び」と解されるが、これとは別語源であると指摘している。よって、「オムスビ」の「ムスビ」を神霊の力「ムスヒ」と関連付けるのには賛同できない。
ちなみに「おむすび」は関東、「おにぎり」は関西という話も聞いたことがあるが、この分布についてはわからない。
本題の「おむすび」・「おにぎり」の形についてであるが、先にも挙げた江戸時代の資料「守貞漫稿」の「握飯」の項目では「三都トモ形定ナシト雖ドモ、京坂ハ俵形ニ製シ、表ニ黒胡麻ヲ少シ蒔モノアリ、江戸ニテハ、圓形或ハ三角等径一寸五分許、厚サ五六分ニスルモノ多シ、胡麻ヲ用フルコト稀也」とある。つまり三都(江戸・京都・大坂)とも形は定まってはいないが、京都や大坂では俵形に作り、黒胡麻を少しつけるものがある。江戸では、円形もしくは三角形のものが多く、胡麻を使うものは少ないというのである。全国各地でどうだったかは不明だが、江戸と京・大坂方面では、形が異なっていたのがわかる。
昔話と「おむすび」の関連についてであるが、おむすびが出てくる昔話といえば、まず猿蟹合戦を思い浮かべる。蟹はおむすびを、猿は柿の種を拾い、猿は柿の種とおにぎりを交換しておむすび食べるというのだが、その後のストーリーの展開に関わるのは柿の種であって、おむすびはこのストーリーの主要な位置を占めていない。
それよりも、おむすびというと、やはり「おむすびころりん」である。昔話研究では、これは「鼠浄土」とか「鼠の楽土」といわれる話である。愛媛県内に伝えられたこの種の話を探してみると、『日本昔話通観22愛媛・高知』(同朋社)に数例が掲載されている。『通観』で紹介されているモチーフ構成は次の通りである。①正直爺が山仕事のとき、休んで重箱から握り飯をとって食べようとするところがっていき、三回も続いてころがり、重箱もころがって穴に入る。爺が穴をのぞいていると爺もころがりこむ。②穴の中では鼠たちが「八十八まで猫の声いーやアよ」と言って臼をひいており、爺が入っていくと、大喜びで握り飯のお礼を言って重箱いっぱい宝物をくれる。爺はそれをもらって帰る。③隣の欲深爺はこれを聞いて重箱いっぱい握り飯を詰めて山仕事に行き、穴を見つけておいて重箱ごところがして穴に入れ、自分も入る。④穴の中では鼠たちが「八十八まで猫の声いーやアよ」と言って臼をひいているので、爺は鼠の宝物を全部取ろうと思って猫の鳴き声をまねる。鼠たちが皆逃げ散ると穴はつぶれ、爺は下敷きになって死ぬ。
この類話として、愛媛県内5箇所の昔話が載っているが、転がった物に注目してみると、北宇和郡三間町兼近・同町戸雁・南宇和郡一本松町(旧一本松村)に伝わった話では、転がったのはおむすび・握り飯であるが、具体的な形状はわからない。ただし、越智郡大三島町明日や八幡浜市日土町に伝えられた話では、おむすびではなく、団子がころがったことになっている。ストーリーの中で、おむすびと団子が入れ替わり可能であるならば、おむすびの形状も団子と同様に丸型と想定することができるのではないだろうか。
また、先に紹介した京・大坂と江戸の違いを考えると、同じ西日本の愛媛(伊予)でも、おむすびは三角ではなく丸型(俵型)だったのではないか。
以上、推測の域を出ないが、強引に愛媛における「おむすびころりん」のおむすびの形を考察すると、それは、丸(俵)型だった・・・・、これが一応の結論である。
さて、握り飯のことを「おむすび」とも「おにぎり」とも言うが、まずはこれについて考えてみたい。『日本国語大辞典』によると、「おむすび」は握り飯を丁寧に言う語、「おにぎり」も握り飯の丁寧語で、もとは女性・子供の語と紹介されている。この女性・子供の語であるという根拠としては、『古事類苑飲食部』に紹介された江戸時代の資料「守貞漫稿」に「握飯 ニギリメシ、古ハドンジキト云、屯食也、今俗、或ハムスビト云、本女詞也」という記事があり、「にぎりめし」という言い方は、昔は「どんじき」といい、現在、一般には「むすび」といい、もともとは女性の言葉だったというのである。江戸時代には、一般に「にぎりめし」と「むすび」が使用されており、これらが、それぞれ丁寧を示す接頭語「お」をつけて、現在の「おむすび」・「おにぎり」になったことがわかる。
なお、「どんじき(屯食)」とは、江戸時代、京都の公家社会で、握り飯の呼称であり、『安斎随筆』二十二に「屯食 ドンシキとよむ是ニギリメシの事なり 飯を握りかためるなり」とあったり、随筆『松屋筆記』十二に「公家にては今もにぎりめしをドンジキといへり」とある。
また、「ムスビ」といえば、高皇御産霊神(タカミムスヒノカミ)・神皇産霊神(カミムスヒノカミ)など、神名に使われる「ムスヒ」との関連が考えるむきもある。「ムスヒ」は、「ムス」が生じる、「ヒ」は霊威のことであり、天地、万物を生み、または成長させる霊妙な力を意味する。折口信夫が「産霊の信仰」で、「結ぶ」の語源を、内容のあるものを外に逸脱しないようにした形から、と述べているように、「ムスヒ」と「結び」を関連付けて考えている。しかし、『日本国語大辞典』には、「ムスヒ」は後世、「結び」と解されるが、これとは別語源であると指摘している。よって、「オムスビ」の「ムスビ」を神霊の力「ムスヒ」と関連付けるのには賛同できない。
ちなみに「おむすび」は関東、「おにぎり」は関西という話も聞いたことがあるが、この分布についてはわからない。
本題の「おむすび」・「おにぎり」の形についてであるが、先にも挙げた江戸時代の資料「守貞漫稿」の「握飯」の項目では「三都トモ形定ナシト雖ドモ、京坂ハ俵形ニ製シ、表ニ黒胡麻ヲ少シ蒔モノアリ、江戸ニテハ、圓形或ハ三角等径一寸五分許、厚サ五六分ニスルモノ多シ、胡麻ヲ用フルコト稀也」とある。つまり三都(江戸・京都・大坂)とも形は定まってはいないが、京都や大坂では俵形に作り、黒胡麻を少しつけるものがある。江戸では、円形もしくは三角形のものが多く、胡麻を使うものは少ないというのである。全国各地でどうだったかは不明だが、江戸と京・大坂方面では、形が異なっていたのがわかる。
昔話と「おむすび」の関連についてであるが、おむすびが出てくる昔話といえば、まず猿蟹合戦を思い浮かべる。蟹はおむすびを、猿は柿の種を拾い、猿は柿の種とおにぎりを交換しておむすび食べるというのだが、その後のストーリーの展開に関わるのは柿の種であって、おむすびはこのストーリーの主要な位置を占めていない。
それよりも、おむすびというと、やはり「おむすびころりん」である。昔話研究では、これは「鼠浄土」とか「鼠の楽土」といわれる話である。愛媛県内に伝えられたこの種の話を探してみると、『日本昔話通観22愛媛・高知』(同朋社)に数例が掲載されている。『通観』で紹介されているモチーフ構成は次の通りである。①正直爺が山仕事のとき、休んで重箱から握り飯をとって食べようとするところがっていき、三回も続いてころがり、重箱もころがって穴に入る。爺が穴をのぞいていると爺もころがりこむ。②穴の中では鼠たちが「八十八まで猫の声いーやアよ」と言って臼をひいており、爺が入っていくと、大喜びで握り飯のお礼を言って重箱いっぱい宝物をくれる。爺はそれをもらって帰る。③隣の欲深爺はこれを聞いて重箱いっぱい握り飯を詰めて山仕事に行き、穴を見つけておいて重箱ごところがして穴に入れ、自分も入る。④穴の中では鼠たちが「八十八まで猫の声いーやアよ」と言って臼をひいているので、爺は鼠の宝物を全部取ろうと思って猫の鳴き声をまねる。鼠たちが皆逃げ散ると穴はつぶれ、爺は下敷きになって死ぬ。
この類話として、愛媛県内5箇所の昔話が載っているが、転がった物に注目してみると、北宇和郡三間町兼近・同町戸雁・南宇和郡一本松町(旧一本松村)に伝わった話では、転がったのはおむすび・握り飯であるが、具体的な形状はわからない。ただし、越智郡大三島町明日や八幡浜市日土町に伝えられた話では、おむすびではなく、団子がころがったことになっている。ストーリーの中で、おむすびと団子が入れ替わり可能であるならば、おむすびの形状も団子と同様に丸型と想定することができるのではないだろうか。
また、先に紹介した京・大坂と江戸の違いを考えると、同じ西日本の愛媛(伊予)でも、おむすびは三角ではなく丸型(俵型)だったのではないか。
以上、推測の域を出ないが、強引に愛媛における「おむすびころりん」のおむすびの形を考察すると、それは、丸(俵)型だった・・・・、これが一応の結論である。