先日、八幡浜市川名津の春祭りでもちまきの様子を観察した。もちまきを見ていつも思うことなのだが、人はなぜあれほどまでに熱狂するのだろうか。不思議で仕様がない。餅をその日の糧にするために必死になって取ろうとしているのだろうか。でも今の時代、餅なんて拾っても日常生活には関係ないように思える。
もちまきを観察するのは面白い。あの餅が撒かれた瞬間の人々の緊張感たるや、客観的にみれば滑稽である。しかも撒かれた餅をダイレクトキャッチすればまだしも、地面に落ちた餅までもがめつく拾おうとする。普段は絶対見られない行為である。まるで餌に群がる鯉のよう。そこには人間の理性なんて全く感じられない。理性を保ちつつ餅撒きに参加した日にゃ、自分が地獄絵図の中にいることに気付く。手で拾うならまだいいが、網を持参する輩もあれば、地面に落ちた餅を靴で踏んづけて、おのが餅にしようとする。まさに地獄絵図である。いや地獄絵図とはいうが顔をみると人は幸せそうでもある。餅を手に入れる人々の一瞬の形相を除いて。終わったあとの表情もみな晴れやかである。おかしな儀礼だ。
突然だが、私は幼き頃、もちまきがどうしても好きになれなかった。理由は2つある。ひとつは私が、理性の見られない本能のみの世界が嫌いな少年だったこと、もう一つは弟が餅撒きの餅を奪いとる名人であって親に比較されていたことである。弟は餅を集める名人であった。運動神経のよさもあるが、上着を両手で広げてムササビ状態にして餅を集めたという技を体得していたのである。私はいつももちまき場の外縁で人々の熱狂の光景を冷ややかな目でみていた。しかし心の片隅では「俺もあの輪に入って馬鹿をやってみたい」とも思っていた。少年の心は複雑である。結局、そんなガキであったため、数々の餅撒きを冷静に観察する機会を得たのである。しかし何回見ても何が人々をそこまでひきつけるかわからない。まるで「サザエさん」を冷静な目で見ると何がおもろいのかさっぱりわからなくなるのと同じである。そのように当たり前だけど冷静に考えれば不思議に思う事例は数多い。こんな事例こそ民俗学の対象にしなければならない、という私の学問観をいつも再確認させてくれる「もちまき」を今では好きになってしまっている。それにしても、もちまきは人の性格判断をするのに格好のリトマス紙になりそうだ。
餅は基本的には固いもの。もちまきでは、石のように固い餅が撒かれることもままある。確か、あれはわたしが小学校六年の時である。近所の棟上げの際の餅撒きで、直径30センチほどの餅をわれ先にと前進して、つかみ損ねて餅が額にあたり、アザをつくった中年女性がいた。そのあとが凄かった。負傷しつつもそのオバサンは餅を拾い続けたのである。あの惨事と彼女の形相は今でも脳裏から離れない。私は小学六年生ながら人生というものを考えてしまったほどである。
民俗学的にもちまきを考えてみよう。民俗的にはもちまきは散米というカテゴリーに入るものである。この散米とは、祓えの際に米をまき散らす行為で、餅撒き、蜜柑撒き、節分の豆撒きなどがあり、周囲の精霊に対する供養として、魔を祓う効果を期待して行なわれるとされる(『日本民俗事典』)。しかし、私は払われた厄が儀礼により福に転換して餅を媒体として人々に分担されるという構造があるのではないかと考えている。いずれそれは論文でまとめてみたいと思っている。
2000年05月13日