毎年旧暦の一月十日に、八幡浜市沖新田の魚市場では「十日えびす」という航海安全と豊漁を祈願する行事が行われる。木造のエビス像を海中に投げ入れ、それを拾い上げるのだが、この神像は天保年間(一八三〇~四四年)に八幡浜沖に浮かぶ佐島に流れ着いて、山伏が拾い上げ、堂を建てて奉納したといわれている。現在は、市内神宮前にある八幡浜大神宮内の恵美須神社に祀られているが、祭り当日、神社から魚市場に設けられた祭壇に移して神事を行った後、その日の朝一番早く帰港した漁船の船上へ持っていく。船員や市場関係者、見物人が見守る中、神官が船から像を海中に投げ込み、数名の若い船員が飛び込んで像を海水で清め、再び神社に奉納するのである。
海中に人が飛び込んで拾うようになったのは昭和三七年からであり、比較的最近始まった行事ではあるが、海中からエビス神を拾い上げるという行為は九州をはじめ西日本各地の沿岸部の民俗行事に見られるものである。
例えば、鹿児島県下甑島では、毎年漁期の口明けには、若者が新しい手拭いで目隠しをして海に飛び込み、海底の石を拾い上げてそれをエビス神として祀るという事例があるが、類似した例は、南九州から山口県沿岸部にかけて見られる(註1)。
また、漂流死体のこともエビスという。長崎県壱岐では、漁師が航行中にエビス(水死体)に出会えば必ずこれを拾うが、拾わなければ不漁になるから、あるいは祟られるからやむを得ず拾うというのではなく、エビスを引き上げると豊漁に恵まれるからと言われる(註2)。
以上の事例からは、海中から現れて人々に幸をもたらすというエビス神の性格を見てとることができる。エビスの語源も「夷(えみし)」つまり異国、異郷の人を意味するものであるから、異郷つまりは海の向こうから来る存在をエビスと呼ぶのである。
このように見てみると、八幡浜の十日えびすは、もともと海の向こうから流れ着いたエビス像を用いて、毎年一度は海に帰して再び拾い上げることで、エビス神の漂着を儀礼的に演出し、継続的な海の幸を獲得しようとする漁業関係者の知恵から生まれたと言えるのではないだろうか。
(註1)『綜合日本民俗語彙』平凡社
(註2)波平恵美子『ケガレの構造』青土社
1999年10月21日掲載
海中に人が飛び込んで拾うようになったのは昭和三七年からであり、比較的最近始まった行事ではあるが、海中からエビス神を拾い上げるという行為は九州をはじめ西日本各地の沿岸部の民俗行事に見られるものである。
例えば、鹿児島県下甑島では、毎年漁期の口明けには、若者が新しい手拭いで目隠しをして海に飛び込み、海底の石を拾い上げてそれをエビス神として祀るという事例があるが、類似した例は、南九州から山口県沿岸部にかけて見られる(註1)。
また、漂流死体のこともエビスという。長崎県壱岐では、漁師が航行中にエビス(水死体)に出会えば必ずこれを拾うが、拾わなければ不漁になるから、あるいは祟られるからやむを得ず拾うというのではなく、エビスを引き上げると豊漁に恵まれるからと言われる(註2)。
以上の事例からは、海中から現れて人々に幸をもたらすというエビス神の性格を見てとることができる。エビスの語源も「夷(えみし)」つまり異国、異郷の人を意味するものであるから、異郷つまりは海の向こうから来る存在をエビスと呼ぶのである。
このように見てみると、八幡浜の十日えびすは、もともと海の向こうから流れ着いたエビス像を用いて、毎年一度は海に帰して再び拾い上げることで、エビス神の漂着を儀礼的に演出し、継続的な海の幸を獲得しようとする漁業関係者の知恵から生まれたと言えるのではないだろうか。
(註1)『綜合日本民俗語彙』平凡社
(註2)波平恵美子『ケガレの構造』青土社
1999年10月21日掲載