愛媛の伝承文化

大本敬久。民俗学・日本文化論。災害史・災害伝承。地域と文化、人間と社会。愛媛、四国を出発点に考えています。

歴史資料から見た松山市周辺の地震・津波被害②

2023年11月07日 | 災害の歴史・伝承
1 連動する南海トラフ地震と「半割れ」
今後30年以内に70~80%程度の確率で発生が予想される「南海トラフ巨大地震」。「トラフ」は海底が溝状に細長くなる場所のことで、この地形はプレートの沈み込みにより形成され、地震の多発域となっている。南海トラフは静岡県の駿河湾から御前崎沖を通って、和歌山県の潮岬沖、四国の室戸岬沖を越えて九州沖にまで達し、フィリピン海プレートが日本列島側のプレートの下にもぐり込むことでひずみが蓄積され、限界に達したところで元に戻ろうとして巨大地震が発生する。これが南海トラフを震源とする地震の仕組みである。
 さて、「南海トラフ地震」イコール「南海地震」ではない。「南海地震」は紀伊水道沖から四国南方沖を震源とする地震で、「南海トラフ地震」のうちの一部である。駿河湾から遠州灘にかけて発生するのが「東海地震」、遠州灘から紀伊半島沖にかけての海域で発生するのが「東南海地震」。これら三つを総称している名称が「南海トラフ地震」である。宝永地震や安政東海・南海地震等、過去の地震ではこの三つの地震がほぼ同時もしくは数時間から数年の間に連動して発生していることが江戸時代以降の史料からも判明している。安政地震では11月4日に東海、東南海地震が発生し、関東から近畿まで大きな被害が出て、その32時間後に南海地震が発生して西日本に大きな被害が出ており、昭和地震では、1944年に東南海地震が発生し、その2年後の1946年に南海地震が発生しており、直近2回の南海トラフの大地震でいわゆる「半割れ」が見られることが各種史料からわかっている。

歴史資料から見た松山市周辺の地震・津波被害①

2023年11月06日 | 災害の歴史・伝承
本稿は、2023年11月5日に、松山聖稜高校体育館で開催された「学際的・活動的 防災シンポジウム 南海トラフ巨大地震で発生する大津波で瀬戸内海沿岸部はどうなる!?」(段ノ上自主防災会主催。講師に岡村眞 高知大学防災推進センター客員教授、理学地質学、大本敬久 愛媛県歴史文化博物館専門学芸員、民俗学)で会場配布した資料である。

歴史資料から見た松山市周辺の地震・津波被害

大本敬久(愛媛県歴史文化博物館)

はじめに
四国はこれまで100~150年を周期として、繰り返し紀伊半から四国沖の南海トラフを震源とする大きな地震(南海地震)に見舞われてきた。和歌山県、徳島県、高知県では建物の倒壊に加え甚大な津波被害が発生しており、岡山県、香川県、愛媛県など瀬戸内海沿岸地域でも南海地震の被害は大きく、昭和21(1946)年の昭和南海地震では岡山県51名、香川県52名、愛媛県26名が家屋の倒壊等によって犠牲になっている。愛媛県内では昭和南海地震において犠牲者が多かったのは現在の西条市、松山市、伊予市、松前町であり、南予よりも中予・東予での被害が大きかった。津波に関しては宇和海沿岸部において宝永南海地震(1707年)、安政南海地震(1854年)にて大きな被害が出たことが宇和島藩、吉田藩の記録等から判明している。愛媛県に被害をもたらしてきたのは南海トラフを震源とする海溝型の地震だけではなく、芸予地震等、安芸灘、伊予灘を震源とする地震も繰り返し発生しており、また愛媛県内には活断層が集中する中央構造線が東西に通っており、直下型の地震のリスクも抱えた地域だといえる。本稿では愛媛県、特に松山市をはじめとする瀬戸内海沿岸部の中予・東予での地震、津波被害の歴史について紹介してみたい。