金代に造園が始まって清朝の乾隆帝が形作った庭園。
その後アヘン戦争で荒廃した庭園を、国庫を省みず再建させた西太后さんのお陰で、豪華絢爛な庭園内を観賞させて頂きました。
絶対に沈まない石船清晏舫、700m以上も続く長廊(寝室から食堂まで、ダイエットを兼ねて雨の日でも歩けるように作ったらしい)、排雲殿等、時の権力者の個人目的のために税金を流用して作られた建築物が今、世界遺産となって結果的に国民の財産に変身して残った事は良かったのかな。
50万年前に生活していた北京原人(猿人)の化石の発見場所。
頭蓋骨の化石の実物は日中戦争時に紛失したものの、精巧なレプリカが展示してあり、博物館の展示もハイテク映像を活用して非常に分かりやすい。
原人の頭骨はお猿さんの頭ぐらいで想像より小さかったが、火も石器も使った形跡があり進歩的だったようだ。
発見場所に立つと、なにか50万年前の生活空間にタイムスリップ出来そうな雰囲気に浸れて、想像力がかきたてられる。
おなじ竜骨山の頂上付近にある洞窟からは3万年前の山頂洞人(新人でわれわれ人類の先祖)の化石が発見されている。
金の時代に作られ、マルコ・ポーロ(元の時代に来訪)も美しい橋と讃えた盧溝橋。
不幸にも日中戦争の発端となった場所だ。
昭和12年7月7日、川向こうの関東軍がこちらの宛平県城(城内に抗日戦争記念館、外城壁に沿って日本軍による犠牲者の石碑が延々と並んでいた)に駐屯していた国民党軍を攻撃した(外壁には当時の弾痕が残っている)。
この後、8/24閣議で「国民精神総動員」実施要綱決定、挙国一致、尽忠報国、堅忍持久で戦争協力に国民を動員、11/20宮中に大本営を設置、12/13南京占領と、エスカレートしていった。
クライマックスは、昭和19年8/4閣議で1億国民総武装を決定し、竹槍訓練が始まった事でしょうか。
橋は何度も修復されたようだが、橋の上には轍でデコボコになった石の路面が保存されている。
欄干の上にはそれぞれ違う表情の獅子が子獅子も含め600頭以上乗っている。