不忍池にある弁天堂の周りにはいろいろな石碑が建っていた。
ふぐの供養碑、スッポンの供養碑、いもの碑、鳥の碑、他にもめがねの碑とか。
お世話になっていますので、いずれにも手を合わせてきました。
ランチは湯島天神下の「みよし」と言う蕎麦屋さんに入りましたが、リーズナブルでおいしかったです。
神田明神にある銭形平次の碑は、寛永通宝をかたどった台座の上に建っており、脇にはガラッ八の碑もありました。
平次親分は碑の向かい側の崖下付近、相棒の八五郎はそのずーっと先の浅草橋付近に住んでいたようです。
途中、微妙な時間に有名らしい神田達磨のたいやきを一枚食べたら、夜の飲酒に影響してしまった。
上野公園のシンボル西郷さんの銅像前からスタート。
ハデハデの東照宮の本殿は平成14年まで修復中で残念でした。
旧岩崎邸(岩崎財閥3代目が建設)庭園、完成当時は20棟以上の建物があり、敷地も倍以上あったらしいが、現在は3棟だけしか残っていない(岩崎財閥2代目は小岩井農場の創業者メンバー)。
湯島天神は、今日も学生達の参拝で賑わっていた。
境内には、小説「婦系図」で有名な、お蔦と主税の別れの場面設定に欠かせないガス灯が一基だけ復元展示されている。
神田明神には、銭形平次(野村湖堂作)の記念碑と、「獅子の子落とし」のモニュメントも建っている。
湯島聖堂、本殿は中国風の作りで、北京故宮博物院の建物っぽく、江戸時代論語でお世話になった孔子を祀ってある。
付近には、大きな孔子の像と曲阜の孔子の墓所にちなんで楷の木が植えてある。
大主教聖ニコライによって建てられたニコライ堂、内部はイコン画主体でかなり質素でした(キリストはギリシャ語発音でハリストス)。
ゴールは、神田明神の氏神様の平将門首塚、たくさんの花が供えられていた。