山本晴美 ここで愛ましょう

歌語りシンガソングライター 山本晴美のブログ

母の誕生日

2008-01-05 18:18:26 | ここで愛ましょう

昭和7年1月5日 母の生まれた日。
今日で76歳になった。
むかしから、母には反発してきた。
反面教師とでもいうのかな。
なのに時折、似ている自分に腹がたつ。

よくあるテレビドラマのようだが、あたしはいつも「優等生」でなければならなかった。実力以上の頑張りを見せなければならなかった。くたびれる。当然反抗期に入りそのまま今日に至る。

小学校6年の時、母は雨の日に相手なしのスリップ事故で、重症。この時、はじめて人は「死ぬ」のだという感覚を教わった。
あたしが23歳の時、旅先で脳血栓を起こし入院の連絡。
麻痺が続いたが・・・強い、復活。
それから今日までケガや病気で何度も病院にお世話に。
5年前、持病の高血圧かと思いきや、2度目の脳血栓の時、ドクターから麻痺が残る事と今度こそ寝たきり宣言。
時間がたっても、まわらない口と動かない体ながら「そうならない」とドクターに自分で宣言・・・生きる強さ。
季節は変わり手足の麻痺は残ったものの、本当に復活。

教員生活を経て、公務員となっても先生と呼ばれ続け、普段でも家事の得意でない母、買い物好き、自由奔放。
さらにボランティア人生。
家庭向きではない。
おかげで小学校の頃から台所に立つ。
お金は大事にしようと学ぶ。
病院でお世話になるたび、誰もが認める働き者で口は悪いが意外に気が小さな父の姿を見るのが辛かった。
母の体はドクターに任せ、父の心配を兄弟3人で考えた。
結婚したら尽くす生き方をしたいと思った。
最初の入院から32年になる。
そして今、母は手足の麻痺と病気からくる物忘れ、初期の認知症。
先日、思いがけず父は前立腺癌を告知された。




あたしが物心ついた頃から8月15日がくるたび、戦争がなければ兄さんを亡くすことはなかったと仏壇の前で泣く母。
あの母と連れ添えるのは(あきらめとも言うらしい)土と山の精霊が安らぎの父しかいない。
わたしのルーツがここにあるね。

どうぞ、長生きして下さい。
あたしもおかげさまで自由奔放に、土と山の精霊に守られながら生きてます。


コメント (7)
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