山本晴美 ここで愛ましょう

歌語りシンガソングライター 山本晴美のブログ

楽寿荘

2011-06-25 22:50:00 | 復興応援
百田小学校のトークライブを楽しく終わらせ、誠さんに機材を預かってもらい、新谷家と長坂で待ち合わせ、いずみ温泉で汗を流し出発です。道すがら、野菜を仕入れ、「すき家」の牛丼を初体験し、いざ、高速へ!
福島まで5時間の予定。
・・・・気がついたら、新潟経由、、あれれ、、日本海を目指していました。
車はお見舞いの品々でいっぱいで、後部座席の子ども2人と奥さまのtamaちゃんはじっとガマンして下さいました。
真夜中の大雨の新潟から太平洋を目指す私たち。。atsusiくんはほとんど休まず福島いわき市四倉の自宅に2:30にゴール。
お母さんが私の部屋を用意して下さっていました。
翌日、はじめましてのご挨拶、おとうさんもおかあさんも人情味あふれる素敵なご夫婦でした。
じぃ、ばぁ・・・ふたりの孫との再会は今回の災害あっての痛みでもありますが、新谷家の選択は、誰も何も悪くないのです。

朝に外に出ると、まわりの家も新谷家も足場が組まれ、修理の最中でした。
当日の様子をおかあさんが話してくれました。

今日の予定は、お見舞いの品の買い足しと、現場視察です。
ます、ゆうたとこうせいのひいばぁちゃんがいらっしゃる楽寿荘さんへ。
ここは海岸近くにもかかわらず、117名全員の安全を確保し、やっと再開にこぎつけ、補修工事を進めておられる所でした。
新鮮なトウモロコシをはじめ、食材となるものを持って、お見舞い出来ました。
今回の実行はこちらに向かうことが決定して5日しかなかったので、先日ライブをさせていただいた鬼子母神さんが、お声かけにご協力を下さり、たくさんのお見舞いが出来ました。

   

    


職員の皆さんもどうぞ、お元気で・・ご苦労に頭がさがります。

    

建設業関係のお父さんが四倉から久之浜地区から小久地区、小名浜に続く長い海岸通りを詳しく半日かけてご案内下さいました。
原発さえなければ、復興はもっと進んでいただろうに、時の止まったゴーストタウンはリアルに3.11のまま・・・「これでも片付いたんだ・・・」とお話下さいました。

この場所にたつと、復興とは何を目指すのか?と考えてしまいます。
地面から生える草や、庭の花たちだけに「いのち」を感じる現場です。

じぃ、ばぁ、ともすっかり仲良くなり、いわき言葉のイントネーションがうつった! かな・・・。夜は新谷家のご友人がいらっしゃり、にぎやかな食卓に、大きなしあわせがありました。

そう、避難することも、ここに残ることも誰も何も悪くはないのです。
大人の会話の中にふと感じるそれぞれの心の葛藤・・・でも、すぐに尊重しあう変わらぬ友情と笑顔は「Smileプロジェクト」の象徴。
子どもたちはおおはしゃぎ。

これでいいのだ。
そうだっぺ?


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福島いわき市

2011-06-25 22:43:00 | 復興応援
言葉なし。
人もいない。
3ヶ月半・・・時が止まっている町がありました。
66年前の歴史資料にある、空襲の後のモノクロ写真に色がついたらこんな感じかな。
平成の原発戦争。

長い海岸線はとても静かに波が寄せては返し・・・
浜辺には浜の花がいつものように咲き始めていました。


    

    

    

    
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