山本晴美 ここで愛ましょう

歌語りシンガソングライター 山本晴美のブログ

白銀バスケットチーム

2011-06-26 23:31:00 | 復興応援
今日は、ゆうたが待ちに待った白銀バスケットチームの練習会。
山梨を出発する時から、待ち遠しくてたまらない様子でした。
仲間と過ごす、かけがえのない時間。。
避難所となっていた体育館もやっと6月から使用出来るようになったそうです。
運動不足で腸の動きが悪くなり、お腹の調子で病院に行く子どもが増えているそうです。
外遊びが出来ないぶん子どもたちは体も心も発散させる場所が必要です。

Smileプロジェクトは子どもたちの笑顔をつなぎ、守ることを目的とします。
その笑顔は周りの大人たちも笑顔にします。
だからみんな笑顔、、平和で幸せな時。



     

休憩時間、女の子たちが集まってきました。
そして、誰となく、3、11当日の話をしてくれました。
どれだけ怖かったことでしょうね。
今の環境でかわいそうな気がしましたが、欲しい物と必要な物の話をしました。
過酷な体験をした今、子どもたちにとっても大事な学びの時かもしれません。
欲しいものはそれぞれあるけれど、必要な物って・・・
ふたりの女の子が「そろばん・・・」と言いました。

そろばん。
彼女たちのそろばんもなくなってしまいました。
そろばん教室も流れてしまいました。

私の伝えたいことがすぐ理解してもらえたようです。
抱きしめたくなるような気持ちになりました。

そろばん。
そろばん。。


     

男の友情は言葉じゃありません。
見ていて微笑ましいです。
にいちゃんの真似をするおチビのこうせいも先輩仲間とごきげんです。


     

差し入れの大~きなスイカをみんなで食べました。
大人も子どももみんなで「おいしいね」。

とてもうれしいなぁ。。


     

またね、きっとまた会おうね。
新谷のじぃ、ばぁが私を迎えに来てくれたので、午後は退散。
明日もまた会えるようなバイバイでした。
これがいい感じです。

じぃはこちらで建設業をしていらしていろいろなことに詳しいです。
ばぁとじぁは真面目にはなしているつもりかもしれませんが、私にはかけあい夫婦漫才に聞こえてなりません。
3人でおそばやさんに行き、おそばをご馳走になりました。
復興メニューがいろいろありました。


     

がんばっぺ。

ごく自然に、イントネーションはいわき言葉に。
この馴染みやすさは何でしょうか?
まぁ、身延に帰れば戻るでしょう(後でとんでもないことに・・・)

家にあった広報いわきをいただきました。
今のいわきの現状が具体的な数字でわかります。
軍手やマスクなども持参したのですが、作業のボランティアは原発の問題もあり手続きが大変なようです。


夜は新谷家の親戚の方がお見えになり、またまた若い方のお気持ちに触れることに。
昼間のそろばんが気になることを話ました。

「えっ!」

お客さまは福島で2番の腕を持つそろばんの達人だったのです。
念ずれば・・・

絶え間なく私の中でいろいろなことが連鎖するいわきの夜です。


     
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いわき市お見舞い

2011-06-26 22:47:00 | 復興応援
お預かりしたお米は5kgづつに。
車から荷物をおろすたびに「こんなにたくさん~」と声があがります。
福島産も大丈夫・・・と言われていますが、やはり皆さん不安は隠しきれないようで、山梨からの野菜や米は大変喜ばれました。私も現地で野菜を買い足そうと考えたのですが、小さな八百屋さんは再開していないし、スーパーにあるのは福島産の野菜や米。
風評に乗っかるようで考えてしまったのですが、物を運んできたのではなく、「安心」や「思い」を形にしたのだと思い返し、現地では子どもたちのお菓子を中心に購入しました。

カートに3つ、ゆうたとこうせいがメッセージを書いて、昨晩一人分づつ袋づめにして、ふたりからのおみやげに。


  

荷物を託して下さったみなさんの顔が浮かびます。
身延にいても気持ちは運んできましたよ。


  
季節がら菜っ葉類は手に入れにくく、金曜日に仕入れて日曜にお渡しだから、あきらめました。
それでも道中の高原でチンゲンサイを見つけたので少々購入。
生で食べる野菜がもっと揃えたらいいね。
トマト、キュウリ、大好評です。

  

驚いたのは皆さん、テレビで放送されているような支援物資を受けられておられなかったことです。
決して、それが欲しかったとか、不公平だとか口にはされませんでしたが、「はじめてこんなお見舞いをいただきました。震災後一度、おにぎりをひとついただきました、それ以来です・・・」

皆さんは自宅の形があり、避難所の生活を選択しなかったためだそうです。
形はあっても、少なくても私が昨日見聞きした限り、最低限の被災でも、すぐ生活が元に戻る家庭はありません。
いまだ修理が出来ないご家庭もありますし、何よりもとの生活を送っておられる方はおりません。まず、仕事が同じようにはありません。鉄骨が見えるくらいの家屋の被災でない限り、補助も出ません。貯蓄をくずしながら、倹約して「今」を乗切っています。
自力でがんばる姿はたくましく、さも被害が少なかったように見えがちですが、決してそうではないのです。
何より「心」の支え。
お見舞い物資は「物」に形を変えていますが、遠くから被災地の皆さんの生活を思いやる「気持ち」です。

緊急時は過ぎたかもしれませんが、自分のちからで出来る無理のない長期の支援やお見舞いこそ、必要に思いました。子どもたちは育ち盛り、とうさんもかあさんも頑張っても頑張っても、思うように運ばない状況がしばらく続くのですから。。


  

このあたりは原発から40km近辺。
30kmまでの補償からもはずれています。
生活への不安は隠しきれないけれど、笑顔で過ごしています。


庶民の私たちに出来ることは庶民レベルです。
「支援した、された」の関係にはならずが理想的です。
みんな今日はどうしているのだろう・・・思うことがせめてものエールかもしれません。

ふた月以内に再度福島に来ます。
Smileプロジェクト、次回への心がけはじめました。

福島、身延、それぞれの笑顔が輝きますように。



コメント (4)
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