物心ついた頃から、お盆の支度は家族みんなでしました。
仏壇から位牌や過去帳を盆棚に移し、盆飾りのナスの牛やキュウリの馬を用意。
母の兄さん「おじさん」の小さな写真たてのホコリを拭きます。
その時に母が決まって口にしていたことがあります。
「優しい兄さんだった。私と違って器量もいいし、優秀。
世界一の兄さんだった。」
「戦争さえなければ」と。
時に泣き出す事もありました。
小さな子どもの頃は、そんな母の涙に気がついてはいけないような気がして、自分の分担仕事に集中するふりをしました。
小学校の高学年になると、靖国神社の写真とおじさんの写真と兵隊という言葉がつながり、母の無念さやその涙の意味がわかってきました。
思春期、中学、高校の頃は毎年の事なので、「またか・・・」という思いで、母のその場面に居合わせる事が面倒になり、その場を離れました。
8月15日
終戦の日
母にとっては戦争に取られた兄さんへの思いでいっぱいになる1日でした。
年を重ね、認知が進んでもその記憶や想いは変わる事はありませんでした。
進行の早い癌が見つかり、だんだん意識が朦朧となっていき、意思の疎通も怪しくなった頃、父と二人の時に突然言ったそうです。
「早く、兄さんを見つけてきてちょうだい」
父は晩酌でほろ酔いながら「どうしようもないなぁ・・・泣かせやがる」と独り言のように言いました。
私にとって、これはたぶん一生忘れる事の出来ない出来事です。
母が亡くなった3年前、おじさんの命日が8月16日である事に気がつきました。
おじさんを見つけようと思った瞬間でした。
過ぎてきた8月15日
今日は8月15日
未来の8月15日
忘れてしまったら繰り返される。
私は戦争を体験していない。
でも、想像しながら意識を集中すると、胸が騒ぎ、心のどこかが熱くなります。
終戦の記憶は持っていないけれど、母の記憶とリンクできるのではないかと錯覚が起きます。
兵隊となった私のおじさんを見つける旅は始まっています。
終戦の日に
仏壇から位牌や過去帳を盆棚に移し、盆飾りのナスの牛やキュウリの馬を用意。
母の兄さん「おじさん」の小さな写真たてのホコリを拭きます。
その時に母が決まって口にしていたことがあります。
「優しい兄さんだった。私と違って器量もいいし、優秀。
世界一の兄さんだった。」
「戦争さえなければ」と。
時に泣き出す事もありました。
小さな子どもの頃は、そんな母の涙に気がついてはいけないような気がして、自分の分担仕事に集中するふりをしました。
小学校の高学年になると、靖国神社の写真とおじさんの写真と兵隊という言葉がつながり、母の無念さやその涙の意味がわかってきました。
思春期、中学、高校の頃は毎年の事なので、「またか・・・」という思いで、母のその場面に居合わせる事が面倒になり、その場を離れました。
8月15日
終戦の日
母にとっては戦争に取られた兄さんへの思いでいっぱいになる1日でした。
年を重ね、認知が進んでもその記憶や想いは変わる事はありませんでした。
進行の早い癌が見つかり、だんだん意識が朦朧となっていき、意思の疎通も怪しくなった頃、父と二人の時に突然言ったそうです。
「早く、兄さんを見つけてきてちょうだい」
父は晩酌でほろ酔いながら「どうしようもないなぁ・・・泣かせやがる」と独り言のように言いました。
私にとって、これはたぶん一生忘れる事の出来ない出来事です。
母が亡くなった3年前、おじさんの命日が8月16日である事に気がつきました。
おじさんを見つけようと思った瞬間でした。
過ぎてきた8月15日
今日は8月15日
未来の8月15日
忘れてしまったら繰り返される。
私は戦争を体験していない。
でも、想像しながら意識を集中すると、胸が騒ぎ、心のどこかが熱くなります。
終戦の記憶は持っていないけれど、母の記憶とリンクできるのではないかと錯覚が起きます。
兵隊となった私のおじさんを見つける旅は始まっています。
終戦の日に