山本晴美 ここで愛ましょう

歌語りシンガソングライター 山本晴美のブログ

私の8月15日

2017-08-15 21:48:00 | ここで愛ましょう
物心ついた頃から、お盆の支度は家族みんなでしました。

仏壇から位牌や過去帳を盆棚に移し、盆飾りのナスの牛やキュウリの馬を用意。
母の兄さん「おじさん」の小さな写真たてのホコリを拭きます。

その時に母が決まって口にしていたことがあります。

「優しい兄さんだった。私と違って器量もいいし、優秀。
世界一の兄さんだった。」

「戦争さえなければ」と。

時に泣き出す事もありました。

小さな子どもの頃は、そんな母の涙に気がついてはいけないような気がして、自分の分担仕事に集中するふりをしました。

小学校の高学年になると、靖国神社の写真とおじさんの写真と兵隊という言葉がつながり、母の無念さやその涙の意味がわかってきました。

思春期、中学、高校の頃は毎年の事なので、「またか・・・」という思いで、母のその場面に居合わせる事が面倒になり、その場を離れました。

8月15日
終戦の日

母にとっては戦争に取られた兄さんへの思いでいっぱいになる1日でした。

年を重ね、認知が進んでもその記憶や想いは変わる事はありませんでした。

進行の早い癌が見つかり、だんだん意識が朦朧となっていき、意思の疎通も怪しくなった頃、父と二人の時に突然言ったそうです。

「早く、兄さんを見つけてきてちょうだい」

父は晩酌でほろ酔いながら「どうしようもないなぁ・・・泣かせやがる」と独り言のように言いました。

私にとって、これはたぶん一生忘れる事の出来ない出来事です。


 

母が亡くなった3年前、おじさんの命日が8月16日である事に気がつきました。

おじさんを見つけようと思った瞬間でした。


過ぎてきた8月15日
今日は8月15日
未来の8月15日


忘れてしまったら繰り返される。
私は戦争を体験していない。
でも、想像しながら意識を集中すると、胸が騒ぎ、心のどこかが熱くなります。

終戦の記憶は持っていないけれど、母の記憶とリンクできるのではないかと錯覚が起きます。

兵隊となった私のおじさんを見つける旅は始まっています。


終戦の日に








コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする