山本晴美 ここで愛ましょう

歌語りシンガソングライター 山本晴美のブログ

私とスズメのおじさん

2018-08-12 23:31:00 | 広島
 
8月6日
NHK広島放送局 開局90年
広島原爆の日 ラジオ特集

「スズメ ~あの日からずっと一人じゃけぇ~」

 


昨年秋、突然いただいた1本の電話
八田さんという若いNHKのアナウンサー。

企画が決まっていた時期でもなく、彼はプロデューサーではなくアナウンサーである。

こんな風に私の人生の「一大事」につながるとは。

 
 


おじさんのおかげで私は広島の四季を知ることが出来た。
おじさんに会うことを目的に広島へ通い始め、いつの間にか5年。

おじさんと会うのはいつもドームの対岸にあるベンチ。
電話がつながることはないので、約束ができない。



 

今日までの間、おじさんには長い入院生活があったけれど、私もその時期は忙しく広島へは行けない時で、後に病気を知ることになる。

不思議と時間が空いても、まるで前に会った時の続きのような時間が流れる。


 



 


毎回、おじさんの記憶は同じところまで、そしてスズメの話。
どれだけ繰り返した事だろう。


 



誰にでも話したくない事や触れてほしくない事がある。

多分、おじさんはそのギリギリのところで躊躇していたのだと思う。

「忘れた」
「覚えとらんのじゃけ」

嘘をついているわけでもない。

朝イチにそう言われて、はいさようなら・・とも思わない。
強引に問い詰める、または諦めるとか、そういう感情にもならなかった。

横に座り半日を過ごす。

進展がないまま時間は過ぎていった。

とても優しいお顔をされているのに、ふと目つきが鋭くなる時がある・・・どこか遠くを見つめるような。


 


被爆体験を積極的に話してくれる被爆者と、話せない被爆者、話したくない被爆者。

圧倒的に、話せない被爆者、話したくない被爆者が多いのだと思う。

特に、あの時代を孤児として生きてきた人は。

 


私は、何度訪ねて来てもおじさんに、拒否されるわけでもない。
だんだん、聞き出すことが申し訳ないような気持ちも生まれた。

このご縁は、被爆体験を伝承することじゃないのかな・・・
私に出来ることは、たまに訪れて、その時を一緒に過ごし、同じ話を何度も聞くこと。

残酷な体験を持つ被爆者に対し、私の役割はそこだけなのかもしれないと思う事もあった。


それにしては、広島は少し遠い気がするけれど。

 

山梨から広島に通うには、お金と時間がかかる。

滞在時間も含め、作品にできるかどうかもわからないし、おじさんが話してくれるかどうかもわからないのに、よく通ったと今更ながら思う。


 


半日おじさんとドームで過ごし、ボランティアガイドさんと話し、資料となる現場を歩く。

今度こそと進展を願い、一週間、ウィークリーを借りて滞在しても、同じような事の繰り返し。

でも・・・

その時々の「一言づつ」がつながり、なんとか作品が形になっていった。

そこから行間をうめる言葉の検証にも時間がかかった。
不器用だと思うけれど、おじさんの記憶だけでなく、出来る限り事実を残したかった。



今年の1月5日
初めておじさんに聴いてもらった。

広島での活動を励まされるような出会い。
ボランティアガイドの皆さん。
WAKOの丸山さん。
アンバーの空間。

この日、NHKの八田さんも立ち会った。
この時点でもまだ企画は決まっていなかったけれど、マイクをセットする八田さん。

八田さんにとっても歌語りは初めての体験。
私も若い彼がイメージしている企画を知らない。


奇跡的な流れを感じる。


 

 

 

 


NHKラジオ第一
全国放送です。


「らじる★らじる 聴き逃し番組」

写真の上に「聴き逃し」があるのでポチってしてください。
14日まで聴くことができます。
ぜひ聴いてください。

 
 

ラジオ番組の制作が決まり、少しずつ構成やイメージを伝えてくれた八田さん。
付箋に書かれたキーワードを一枚のボードに100カット以上つなげては並び替え、、想像以上に地味な作業を繰り返してくださったようです。

 

今回はラジオドラマドキュメンタリーという珍しい形の作品のようで、著名な放送作家の吉村ゆう先生が脚本を手がけてくださいました。

おじさんとharumiのドキュメンタリーと
取材や歌語りの中から、ゆう先生がドラマの脚本を書いてくださるパート
これを織り交ぜ、一つの作品に。

しかもナレーションは私でいいとおっしゃる。

さらに女優の戸田菜穂さんがキャストに。
ゆう先生も戸田さんも広島出津。
声優さんたちも広島の方。

広島NHKの売れっ子アナウンサーの八田さんが制作。

どう?豪華でしょう。

 
 
 

 

 

着々と素材を集める八田さん
山梨にも取材に来てくださった。

放送の8月6日まで
いろいろなエピソードがあります。

さいたまアリーナが終わった翌日、28キロあるピアノを広島まで新幹線移動、、、絶対忘れないと思うし、二度としないと思います。

帰りにはキャスターを購入。
宝石屋さんの職人、丸山さんがハンズまで連れて行ってもらったり・・タクシー運転手さんにもお世話になりました。

たくさんの親切にこのままでは帰れない気がして、ひらめいたのが献血(笑)。広島PEACEという献血ルームで400ccの献血。
家から離れると、忙しいながらも目の前のことだけに取り組めるから、結果気持ちに余裕ができます。

献血ができてよかった。


 


何度か収録に広島へ来て、合わせていろいろな思い出ができました。

全国的にものすごい暑い毎日。
極力、ホテルでお礼状を書いたり、直近のコンサートのMCの原稿を書いたり、企画書を起こしたり、時間はあっという間に過ぎます。でも八田さんは収録の後は朝の5時にまだ仕事をしている様子。制作スタッフの皆さんの熱さも今年の気温に負けません。

八田さんも私も統括のひるきさんもしし座。
しし座三人で作品に向き合う・・滅多にないと思います。


 

振り返れば、おじさんの記憶をたどり疎開先の学校への道のり。
お墓でのつぶやき

どんな風に作品に反映されるのだろう。

「託す」

今回はNHKさんが制作される作品に歌語りで伝えたいことを「託す」イメージ。
若い八田さんが年齢の離れたおじさんや私の感じていることを、どう捉えてくれるのか、、違いがあって当然で、そこに物申さず、彼の若い感性で仕上がったらいいと思いました。

これこそ、広島を伝えるためのドキュメンタリー作品になる(笑)
私にシナリオを書かせてください(笑)



 

 

 


 


広島で知り合った若い新聞記者さんたち
NHKのみなさん
ここ5年のドーム周りの変化
私自身がいつの間にか年齢を重ねていることを実感
これからどう生きていこうか、考えることが楽しい。

人生は自分でデザインする。

いつも楽曲を褒めてくれた八田さん
見えないところでとてもお世話になっていたはず、ひるきさん
NHK制作スタッフのみなさん
脚本を担当してくださったゆう先生
広島の記者のみなさん
ボランティアガイドのみなさん
宣伝を頑張ってくれたマサ
アステールでの機会を作ってくれた黒瀬さん
ジュエリーWAKOのみなさん
おじさんつながりから出会った災害ボランティア セーブ・ザ・広島のガイ。

おじさん

広島にこんなにたくさん知り合いができました。

 

収録の帰りの新幹線の乗り場
ロータリーの電光掲示板にながれるチラシ

ずっと立ち止まって見ていました。
色々思うと少しだけ、じわって・・・涙かな。

「今」の自分を確かめるように
これからの自分を励ますように
今日は、これまでの自分も褒めてあげなくちゃね・・・


 

これで終わりじゃないんだなぁ・・

これからが大事。

秋かな・・・あらためて広島に行こう。


そして、秋の終わりか冬の始まりの頃、「すずめ あの日からずっと一人じゃけぇ」 ありがとうの歌語りを広島で企画します。

山梨で応援してくれたみなさんもありがとうございました。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする