8月6日
NHK広島放送局 開局90年
広島原爆の日 ラジオ特集
「スズメ ~あの日からずっと一人じゃけぇ~」
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昨年秋、突然いただいた1本の電話
八田さんという若いNHKのアナウンサー。
企画が決まっていた時期でもなく、彼はプロデューサーではなくアナウンサーである。
こんな風に私の人生の「一大事」につながるとは。
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おじさんのおかげで私は広島の四季を知ることが出来た。
おじさんに会うことを目的に広島へ通い始め、いつの間にか5年。
おじさんと会うのはいつもドームの対岸にあるベンチ。
電話がつながることはないので、約束ができない。
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今日までの間、おじさんには長い入院生活があったけれど、私もその時期は忙しく広島へは行けない時で、後に病気を知ることになる。
不思議と時間が空いても、まるで前に会った時の続きのような時間が流れる。
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毎回、おじさんの記憶は同じところまで、そしてスズメの話。
どれだけ繰り返した事だろう。
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誰にでも話したくない事や触れてほしくない事がある。
多分、おじさんはそのギリギリのところで躊躇していたのだと思う。
「忘れた」
「覚えとらんのじゃけ」
嘘をついているわけでもない。
朝イチにそう言われて、はいさようなら・・とも思わない。
強引に問い詰める、または諦めるとか、そういう感情にもならなかった。
横に座り半日を過ごす。
進展がないまま時間は過ぎていった。
とても優しいお顔をされているのに、ふと目つきが鋭くなる時がある・・・どこか遠くを見つめるような。
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被爆体験を積極的に話してくれる被爆者と、話せない被爆者、話したくない被爆者。
圧倒的に、話せない被爆者、話したくない被爆者が多いのだと思う。
特に、あの時代を孤児として生きてきた人は。
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私は、何度訪ねて来てもおじさんに、拒否されるわけでもない。
だんだん、聞き出すことが申し訳ないような気持ちも生まれた。
このご縁は、被爆体験を伝承することじゃないのかな・・・
私に出来ることは、たまに訪れて、その時を一緒に過ごし、同じ話を何度も聞くこと。
残酷な体験を持つ被爆者に対し、私の役割はそこだけなのかもしれないと思う事もあった。
それにしては、広島は少し遠い気がするけれど。
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山梨から広島に通うには、お金と時間がかかる。
滞在時間も含め、作品にできるかどうかもわからないし、おじさんが話してくれるかどうかもわからないのに、よく通ったと今更ながら思う。
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半日おじさんとドームで過ごし、ボランティアガイドさんと話し、資料となる現場を歩く。
今度こそと進展を願い、一週間、ウィークリーを借りて滞在しても、同じような事の繰り返し。
でも・・・
その時々の「一言づつ」がつながり、なんとか作品が形になっていった。
そこから行間をうめる言葉の検証にも時間がかかった。
不器用だと思うけれど、おじさんの記憶だけでなく、出来る限り事実を残したかった。
今年の1月5日
初めておじさんに聴いてもらった。
広島での活動を励まされるような出会い。
ボランティアガイドの皆さん。
WAKOの丸山さん。
アンバーの空間。
この日、NHKの八田さんも立ち会った。
この時点でもまだ企画は決まっていなかったけれど、マイクをセットする八田さん。
八田さんにとっても歌語りは初めての体験。
私も若い彼がイメージしている企画を知らない。
奇跡的な流れを感じる。
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NHKラジオ第一
全国放送です。
「らじる★らじる 聴き逃し番組」
写真の上に「聴き逃し」があるのでポチってしてください。
14日まで聴くことができます。
ぜひ聴いてください。
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ラジオ番組の制作が決まり、少しずつ構成やイメージを伝えてくれた八田さん。
付箋に書かれたキーワードを一枚のボードに100カット以上つなげては並び替え、、想像以上に地味な作業を繰り返してくださったようです。
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今回はラジオドラマドキュメンタリーという珍しい形の作品のようで、著名な放送作家の吉村ゆう先生が脚本を手がけてくださいました。
おじさんとharumiのドキュメンタリーと
取材や歌語りの中から、ゆう先生がドラマの脚本を書いてくださるパート
これを織り交ぜ、一つの作品に。
しかもナレーションは私でいいとおっしゃる。
さらに女優の戸田菜穂さんがキャストに。
ゆう先生も戸田さんも広島出津。
声優さんたちも広島の方。
広島NHKの売れっ子アナウンサーの八田さんが制作。
どう?豪華でしょう。
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着々と素材を集める八田さん
山梨にも取材に来てくださった。
放送の8月6日まで
いろいろなエピソードがあります。
さいたまアリーナが終わった翌日、28キロあるピアノを広島まで新幹線移動、、、絶対忘れないと思うし、二度としないと思います。
帰りにはキャスターを購入。
宝石屋さんの職人、丸山さんがハンズまで連れて行ってもらったり・・タクシー運転手さんにもお世話になりました。
たくさんの親切にこのままでは帰れない気がして、ひらめいたのが献血(笑)。広島PEACEという献血ルームで400ccの献血。
家から離れると、忙しいながらも目の前のことだけに取り組めるから、結果気持ちに余裕ができます。
献血ができてよかった。
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何度か収録に広島へ来て、合わせていろいろな思い出ができました。
全国的にものすごい暑い毎日。
極力、ホテルでお礼状を書いたり、直近のコンサートのMCの原稿を書いたり、企画書を起こしたり、時間はあっという間に過ぎます。でも八田さんは収録の後は朝の5時にまだ仕事をしている様子。制作スタッフの皆さんの熱さも今年の気温に負けません。
八田さんも私も統括のひるきさんもしし座。
しし座三人で作品に向き合う・・滅多にないと思います。
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振り返れば、おじさんの記憶をたどり疎開先の学校への道のり。
お墓でのつぶやき
どんな風に作品に反映されるのだろう。
「託す」
今回はNHKさんが制作される作品に歌語りで伝えたいことを「託す」イメージ。
若い八田さんが年齢の離れたおじさんや私の感じていることを、どう捉えてくれるのか、、違いがあって当然で、そこに物申さず、彼の若い感性で仕上がったらいいと思いました。
これこそ、広島を伝えるためのドキュメンタリー作品になる(笑)
私にシナリオを書かせてください(笑)
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広島で知り合った若い新聞記者さんたち
NHKのみなさん
ここ5年のドーム周りの変化
私自身がいつの間にか年齢を重ねていることを実感
これからどう生きていこうか、考えることが楽しい。
人生は自分でデザインする。
いつも楽曲を褒めてくれた八田さん
見えないところでとてもお世話になっていたはず、ひるきさん
NHK制作スタッフのみなさん
脚本を担当してくださったゆう先生
広島の記者のみなさん
ボランティアガイドのみなさん
宣伝を頑張ってくれたマサ
アステールでの機会を作ってくれた黒瀬さん
ジュエリーWAKOのみなさん
おじさんつながりから出会った災害ボランティア セーブ・ザ・広島のガイ。
おじさん
広島にこんなにたくさん知り合いができました。
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収録の帰りの新幹線の乗り場
ロータリーの電光掲示板にながれるチラシ
ずっと立ち止まって見ていました。
色々思うと少しだけ、じわって・・・涙かな。
「今」の自分を確かめるように
これからの自分を励ますように
今日は、これまでの自分も褒めてあげなくちゃね・・・
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これで終わりじゃないんだなぁ・・
これからが大事。
秋かな・・・あらためて広島に行こう。
そして、秋の終わりか冬の始まりの頃、「すずめ あの日からずっと一人じゃけぇ」 ありがとうの歌語りを広島で企画します。
山梨で応援してくれたみなさんもありがとうございました。