毎日が卒業式です。
小学校の卒業式の合唱ワークでした。
教員は授業参観や運動会、そして卒業式…自分の子どもの学校行事には出席しにくいです。
教員ではないわたしですが、そんな事を痛感のひと場面が…。
高熱でお休みされた担任に変わり、一緒に指導に入って下さった先生には今年卒業をむかえる娘さんがいます。
この学校には通ってはいませんが子どもたちは知っています。
そして、同じ日に卒業式があります。
今クラスで取り組んでいる歌は、音域がひろくメロディーも難しく、意欲的な子は休み時間にピアノを囲んでさらに練習するのですが・・・。
わたしたちも、みんなの声がなかなか出ないので必死です。
声や音域だけの問題ではないので、形振りかまわず、全力、本気で子どもたちと向かい合います。
結局、なぜ合唱するのか?そこに行き着きます。
大切な事なのです。
そんな練習のすき間の会話の中で、ふっと、女の子が言ったそうです。
「先生、娘さんの卒業式に行ってあげなよ」
先生は思わぬ言葉に張りつめていたものがふっと切れたように、涙をポロポロこぼされていました。
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教員でないわたしの授業だからこそ、何かを教えてやるとか、あなたたちのためになどという気持ちは持たなくていい。
この時代、子どもたちからは「今」や「自分」を学ぶ事ばかりです。
全力、本気で「どうしたら?」
ワークの時間が終わり、運動をした後のような感覚です。。
・・・今夜はよく眠れる。
来週が最後のワーク。
誰もがこの瞬間から変わる事は出来る。
どうか、伝わりますように。
さて、次。
アトリエで子どもたちが待っていてくれる。。
自分とは何で
どこへむかうべきか
問い続ければ
見えてくる
・・・・「手紙」より
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