晴れ女の私の旅は、どんな場所でもほぼ傘のいらないお天気になる。
過去の鹿屋での時間も同じだったけれど、今朝は絶望的な豪雨。
平田ボスの送迎に甘え、勝手のわからぬ会場への移動はモタモタすることはなかったけれど、この雨、駐車場からアリーナへの移動が問題。
...... だったけれど、不思議なことに、会場入り口と車の間の徒歩の移動の時のみ、雨は止まった。
昨年の参列者は150名と聞いていたが、大宗匠の献茶の場所を囲むように用意されたお席は五百席以上、2階席にも一般参列者の席が用意されていた。
慰霊の気持ちと同時に、千玄室大宗匠を一目拝もうという人も少なくない。
何よりお茶関係の和服の方々の多いこと。
私は一般になるから2階のアリーナ席のつもりで受付に立った。
ところが、ナント献茶席の真横、ご遺族席に一番近い席が用意されていた。
早く入場できたおかげで、儀仗隊弔銃のリハーサル ↑ も見ることができた。
献花は生のヴァイオリン一本の演奏らしい。
式典が始まる前に、突然、大宗匠がお出ましに。
101歳。
足元はしっかりしているし、背筋も伸びている。
圧巻のオーラ。
まだ開式ではないのに、周りの大人は一瞬で立ち上がり姿勢を正した。
最前列のご自分の席から、真っ直ぐ子どもたちの前に。
ご自分の体験と未来の平和を託すメッセージを子ども達に語り始めた。
式典が始まると組まれたスケジュールのみ、大宗匠なれど自由な時間はない。
メディアも何十社と参加、常にカメラが追っている。
私ったら、なんというVIP席。
目の前でこの展開を見ることができた。
式典の後にボスと特別な計画があったのだが、大宗匠のスケジュール変更があり直接接触は断念せざるを得なかった。
が・・・さすがボス、一瞬のタイミングをねらい、この場面に。
何百分の一の奇跡。
何百人の視線を感じる。
直接名刺をいただき、歌語りのパンフを渡すことができた。
これが式典始まる前の出来事。
後にマネージャーに名刺を預け、今回できることは全て叶った。
追悼式が始まる...
静かなドキドキが止まらない... 落ち着け、私。
VIP席に戻り背筋を伸ばし、真っ直ぐ茶席を見た。
献茶の動作ひとつひとつ、大宗匠のご戦友への想い、そしてこの串良の地から飛び立った青年たちのこと、そのシーンが浮かぶようでした。
追悼の辞、献花、子どもたちの平和へのメッセージ、私が鹿屋で過ごしてきた日々と重なった。
ご生存されている方3名と大宗匠、来年も会えますように。
群司令や歌語りを聞いてくださった自衛官の皆様、ご縁をいただいた地元の方々に挨拶をし、会場を後にした。
この後、史料館へ。
自分の歌に迎えられる場所って、妙。
この奇跡的な事実・・・私はいったい何者なんだろうと思う。
人生は本当にドラマチックです。
最後の夜はコメダ珈琲でだらりとhiromiさんと過ごした... まるで鹿屋住民のような私です。