山本晴美 ここで愛ましょう

歌語りシンガソングライター 山本晴美のブログ

猫活その1

2017-08-20 00:10:00 | ここで愛ましょう
5月には野良だったふたり
今はこんなです。

性格がよろしいです。

 

 

 

多分、このふたつも、ここからの流れだと思うのですが・・・
いよいよ、多頭飼い(飼い猫は1匹だと言うが・・)のおばあちゃん家から、子猫たちの保護と親猫たちの不妊、去勢の手術に取り組みます。

今日は子猫の保護から。

  

ホントに、簡単ではありませんでした。。。

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万歳峠

2017-08-19 23:58:00 | 万歳峠

万歳峠のある、北杜市若神子の昔の写真を訪ね、koizumiさんと由緒あるお宅を訪ねました。

大正初期からの写真がダンボール箱に4つ。
良い状態で保存されていました。

婚礼や学校の記念写真が多いです。
数枚、若神子の当時の町並みや暮らしが写されていました。

とても貴重です。


10月1日の甲斐源氏祭りの企画の中で「万歳峠」を歌語りします。

もう直ぐチラシが出来ます。
ぜひ、一度は出会ってください。

koizumiさん、今日はお世話になりました。




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せっかくの・・

2017-08-17 08:51:00 | ここで愛ましょう
今日こそ、約束無しのお休み。
張り切ったのは朝だけ。

うとうと・・・

うとうと・・・

ぐっすり・・・・

寝て終わりました。

本当に朝から夕方に時間がトンダ。

お買い物に行きたかったのに。。


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毎日新聞

2017-08-16 06:22:00 | 万歳峠
今朝の毎日新聞で歌語り「万歳峠」が掲載されました。
7月に取材を受け、田富の図書館の歌語りを聞いていただきました。

新聞に載るって照れくさいですし、取材を受けるって結構勇気がいります。
私の伝え方が悪かったり、言葉が誤解されたりすると、新聞記事は残るものだけに一日中ドキドキが収まりません。

これだけはっ・・・って思うことは取材の時に何度も念を押します。

私の役割と記者さんの役割がうまくコラボできた時、新聞は「歌語り」をより多くの皆さんに知っていただく大きな力となってくれます。

こうやって私には出会うことのできない皆さんに伝えていただき嬉しいです。

  

しかも、紙面の1/4より大きなスペースです。
たっぷり。
毎日新聞の田中さんん、ありがとうございました。


次回の「万歳峠」は8月25日東京開催です。
11月開催のためのプレライブのはずでしたが、どうやらちゃんとしたコンサートのようです。

企画をしてくださった方から会場変更のお知らせをいただきました。
・・・って、来週の事ですが、東京ってすごいね。
あっ、企画をしてくださっている方がすごいのか・・・。

県内は10月1日に須玉ふれあい館 ホールであります。
詳細は週明けに。


良き、広がりがありますように。
私は自分の役割をしっかり磨きます。

まだ「万歳峠」に出会っていない方はぜひ。



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私の8月15日

2017-08-15 21:48:00 | ここで愛ましょう
物心ついた頃から、お盆の支度は家族みんなでしました。

仏壇から位牌や過去帳を盆棚に移し、盆飾りのナスの牛やキュウリの馬を用意。
母の兄さん「おじさん」の小さな写真たてのホコリを拭きます。

その時に母が決まって口にしていたことがあります。

「優しい兄さんだった。私と違って器量もいいし、優秀。
世界一の兄さんだった。」

「戦争さえなければ」と。

時に泣き出す事もありました。

小さな子どもの頃は、そんな母の涙に気がついてはいけないような気がして、自分の分担仕事に集中するふりをしました。

小学校の高学年になると、靖国神社の写真とおじさんの写真と兵隊という言葉がつながり、母の無念さやその涙の意味がわかってきました。

思春期、中学、高校の頃は毎年の事なので、「またか・・・」という思いで、母のその場面に居合わせる事が面倒になり、その場を離れました。

8月15日
終戦の日

母にとっては戦争に取られた兄さんへの思いでいっぱいになる1日でした。

年を重ね、認知が進んでもその記憶や想いは変わる事はありませんでした。

進行の早い癌が見つかり、だんだん意識が朦朧となっていき、意思の疎通も怪しくなった頃、父と二人の時に突然言ったそうです。

「早く、兄さんを見つけてきてちょうだい」

父は晩酌でほろ酔いながら「どうしようもないなぁ・・・泣かせやがる」と独り言のように言いました。

私にとって、これはたぶん一生忘れる事の出来ない出来事です。


 

母が亡くなった3年前、おじさんの命日が8月16日である事に気がつきました。

おじさんを見つけようと思った瞬間でした。


過ぎてきた8月15日
今日は8月15日
未来の8月15日


忘れてしまったら繰り返される。
私は戦争を体験していない。
でも、想像しながら意識を集中すると、胸が騒ぎ、心のどこかが熱くなります。

終戦の記憶は持っていないけれど、母の記憶とリンクできるのではないかと錯覚が起きます。

兵隊となった私のおじさんを見つける旅は始まっています。


終戦の日に








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