山本晴美 ここで愛ましょう

歌語りシンガソングライター 山本晴美のブログ

命日

2020-05-13 21:06:00 | ここで愛ましょう
爽やかな朝。

今日は母の命日です。

午前中に父の用事を済ませ、お昼には仏壇に手を合わせ、妹も一緒にお昼ご飯。
なんでもない日常ですが、今しかできない尊い時間です。

認知症の母と過ごした10年を思うと、体はすっかり衰えたけれど頭はしっかりしている父との時間、これから先、父がどうなるかなんてわからないけれど、一緒に過ごす時間が思いがけずに増えた今、大切にしたいと思うのです。



 


私は母をいつも側に感じることができます。

生きている私は都合よく母に逢います。
すごく都合がいいんです、私(笑)

そして、生前と同じことを言う(感じる)のに、姿がないだけに素直になれるのです。

あれだけ反発してきたのに。

この不思議な感覚に救われる私がいます。

今日は今更なのに「父をよろしく」という母からのメッセージ。



私の死生観は身近な母の死からとてもリアルになりました。

母の命の日

サプライズがありました。
これも母からのメッセージ。


さらにビックサプライズ

なかなかやってくれます、母。



仕事がなくなりきびしいなと思うけれど、動じてはいけないのです。

生きている間が修行・・・その通りです。


5月13日 
7回目の母の命日に

合掌


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やった~!

2020-05-12 20:01:00 | ここで愛ましょう
1度目の提出で発覚したまさかの課題。

祖父の徳次郎と徳治郎と徳二郎が同一人物である事を証明しないとならない

初めての不動産名義変更で、ぶち当たった壁。
・・と言うか、本当に難問でした。

60年さかのぼって、証拠探し。
これは法務局の名前の登記の間違い。
当時の書類は手書きだから、そういうミスが起こるんだよね。



お知恵をいただきながら、再提出したのが連休前。
やった~

39筆の登記完了です!
今回はミスなし!

約3週間、経験のない事に挑戦、私にもできました、不動産名義変更。
法務局の相談窓口も親切だし、友人R、そしてmakotoさんの協力も心強し。

世の中の仕組みを知る良い機会でした。


9月以降の学校の授業依頼が続いてありました。
子どもたちのいない学校で先生方は準備しています。

誰もわからない今後の予定を立てる先生方の気持ちは重いけれど、それでも私には希望の連絡でした。

今年度も9つの学校の授業があります。

本当に、本当に子どもたちの声を聞いたら泣いてしまうかもしれない。
当たり前の日常が尊くて、子どもたちの歌声が愛おしくて。

その時まで、寄り道の生活を楽しみ、自粛という自由を充実させます。

ToDoリストはまだまだ続きます。

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道しるべ

2020-05-11 22:43:00 | 万歳峠
今日は政信さんと幸保さんの御命日です。

鹿屋の久保田さんが慰霊塔からラインをくださいました。
お参りありがとうございます。

 

そして、顕彰室に特攻花をお供えしてくださいました。

 

私は山梨から空を見上げて手を合わせます。

生きておられたら94歳。

彼らからのメッセージがあるとしたら「命の尊さ」人間が辿り着くところ「愛」。

戦争を語り継ぐ意味は、恨みや憎しみを伝えたり、戦いの連鎖を助長することではない。
史実から今を生きる事を学び、「平和」で暮らし続けるためにどうしたら良いのか考え続ける事。

あの時代からどんどん良い方向へ、生きること。

今、まさに突然、これまでの当たり前がなくなり、不自由な毎日を体験しています。
まさか、学校へ通えない時代が来るなんて、仕事がなくなるなんて、自粛警察とかネットで言うけれど、非国民を見張る隣組制度みたいで、当時の生活のストレスのほんのわずかを追体験している感じ。

まさか、歌がうたえない時代が来るなんて... 。

ストレスに脅かされ、人間力の嫌なことがよく見える。

政治がどんな役割を担うのか、子どもたちは学ぶ機会だよ。
今こそ、わかりやすいからね。

コロナを乗り切るための子ども会議なんてやってみたら面白い意見が出そう。


想像しよう。

世界中の軍事費をそれぞれの国民を支えるちからに変えたら・・・

世界が同じ苦しみを味わっているのだから、お互いを威嚇しあう武器なんていらない、今こそ一斉に手放すチャンス。

もうすぐ、目に見えない、制御できないモノに打ち勝つチカラを人間は持っていることが証明される。

武器でお互いを傷つけ合うことはナンセンス。
命と向かいあって4ヶ月、国益より、身近な大切なものが愛おしいと気づいているはず。


世の中が動き出したら、私はまた1945年を歌語りします。
仕事も変えないし、今の生き方も変えません。

5月は多くの特攻兵が亡くなりました。
7月には甲府空襲。
8月には原爆投下
沖縄や本土の空襲、満州の事...学びのさなか。
私の生涯で12の歌語りを創作することが目標です。

コロナがなければ、3月以降、歌語りで甲府空襲を伝える機会もあったけれど、学びを深め一歩前進する時間に変更です。

他県へ取材に出られない今、目標のひとつ、甲府空襲の学習絵本の下地に取り掛かります。
会いたい人、聞きたい事、知りたい事がまだたくさんあります...いろいろな人の力が必要です。

絵本作成のスケジュールを立てます。
構成もはじめます。
仕事はないけれど、今はお金の心配は考えません。



1945年を生きた人たち

あなたは私の道しるべ
未来の道しるべ

政信さん、幸保さん
戦争の犠牲になられた方の御冥福をお祈ります。



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母の日

2020-05-10 23:53:00 | ここで愛ましょう

嬉しい母の日でした。


 

 


世界中のお母さん

ありがとう。

私を母に選んでくれた娘にありがとう。
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南無妙法蓮華経

2020-05-09 23:13:00 | ここで愛ましょう
母の七回忌法要をしました。
父と兄妹夫婦と私。

6年前の5月13日が命日です。
あの日もお上人がすぐに来てくださいました。

仏壇前で御題目を唱えていただき、いろいろなことが蘇ります。

母の最後の日。

穏やかな5月でした。

 

緑が綺麗で、庭の小さなサクランボも実をつけ、水が湧いている畑にはカラーの花。

悲しいという覚えより、人の寿命を感じる1日で、それまで10年近く認知症をいったり来たりの毎日の生活は決して気の休まる時間ではなかったけれど、その日々のジレンマや時にはわかっていてもぶつかった後味の悪さとかは薄れています。

あの時は母の人生の最後に寄り添うために、長女として母の願いを全部叶えたかった。

医師からもう時間がないことを告げられてから、私がやらないとならないことに走り回ったあの数日間が思い出されます。


 


今日はひときわ御題目と母の戒名が心に響きます。

「南無妙法蓮華経」

NYの最後のライブ、「南無妙法蓮華経」とアメリカ人に挨拶をした日本山妙法寺が胸のあたりによみがえりました。

南無妙法蓮華経を「HELLO」の代わりのように唱えた、あの場所。

ちゃんと意味が言えないとね・・学ばなきゃ。

南無妙法蓮華経・・不思議な響。

 

私は今立ち止まっている。
悪いことじゃない。
焦らないかと言うと、否定はできない。

如何しようも無いくらい、いろいろな事やアイディアや感情が湧き上がり、もてあましていて、母の命日が過ぎたら、それを整理する時間を過ごすつもり。

母はいつでも身近にいます。



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