どうしても書きたくなったので書く。
自分が小学生、5年生ぐらいのころ。家にはラジカセがあった。
当時は、主に歌謡曲ばかりを聴いていた。
でっかいラジカセで満足は満足だったが、これが極小化してもちだせたらなぁと夢みたいなことを考えていた。
当然知識などないけど、機械や電気は好きだったし、絵を描いたり何かを作ったりは父の影響もあって好きだった。
だから、動力源は無視して、最小限の「ヘッド部」と「駆動部」だけのプレーヤーを紙に書いてたことがある。
外装ケースすらなく、カセットテープを挟み込むような形のものだ。
その後、ソニーがウォークマンを発売。その夢見てた頃の6年~7年後だ。
また、こんなことも考えていた。一枚の板に音楽がたくさん入れられて、差し込むプレーヤーの性能が音質を左右する。
メモリースティックとシリコンオーディオのようなものといえばわかるだろうか?
音楽の「楽譜情報」がデータ化されていて記録されている板の情報を読み取って再生機がきれいな音楽を再生してくれる。
まさにデジタルオーディオの世界。
そんな夢を見ていた時、どうやって?は全く考えていない。当然だ。小学生だもん、知るわけない。いや知っていたらそんな発想はできない。
簡単な疑問だ。「電源どうするの?」
自由な発想、ブレイクスルーはこのように子どものころのような何の制約もつけない、ただこんなのがあったらいいなぁから始まると思っている。
だから、話が行き詰まったとき、あるいは八方塞がりに思えたとき、何を捨てるべきかを考えれば、案外解決できたりする。
ここで自動車業界の話をする。
近年、自動車業界ではCASEという言葉が注目されている。
CはConnectのC
Aは、AutonomousのA
Sは、ShareのS
Eは、ElectricのE
次世代の自動車を考えるとき、このキーワードはどうやら欠かせないというわけだ。
日本では、モータリゼーションの時代があった。一家に一台。デートにはクルマでという時代。
好きなクルマをかって、ドライブにでかける。そんなシーンが一つの憧れだった。
しかし、いま、若者を中心にクルマ離れが激しい。
当然だ。お金がかかりすぎる。
都内の駐車場代、1ヶ月4万円なんてざら。年間50万円、ただクルマを止めるだけのために払えるのは、
そこそこいい給料をもらえるようになってから。いや、そこそこいい給料をもらっても、家族や子どものことを考えれば、控えたい出費だ。
さて、そんな、クルマが売れない中でも、やはり人は移動する。公共交通機関以外の移動手段が必要だ。これをモビリティと名付ける。
近所数百メートル先の店に買い物に行く、有名な観光地を訪れるなど、人はなんだかんだと移動する。
だから、クルマのようなもの、モビリティはかかせない。
しかし、日本では高齢化が進み、高齢者による事故が増えている。
世界的に、環境保護の立場からCO2削減が厳しく言われている。
よってこれまでのようなクルマは売れなく(売ることができなく)なる。
そこで自動車メーカーはHVやPHV、EVの開発へとシフトしてきている。
衝突軽減ブレーキなど、不安定な運転による事故を防ぐ「自動運転」や「運転支援」機能がつけられている。
しかし、これはこれまでのクルマの延長線上でしかない。極端に言えば一時しのぎだ。
キーワードにCASEと歌いながら、次世代モビリティではない。
AとEには具体性があるが、CASEが一体になったものではない。
豊田章男社長もおそらくそう感じているのだろう。トヨタほどの研究開発費(年間一兆円)もあれば、いくらでも次世代のクルマはだせるはずなのに、「違う」と直感が言ってるんだろう。その焦燥感が、マスコミでの発言のたびに強まっているのがわかる。
直接会えるなら、冒頭の小学生時代話でもしたいものだ。
そう考えていて、ふと頭に浮かんだことをここに書く。これがこのブログエントリーに書いた、書きたいことだ。
自動車メーカーにとって、EVのバッテリーまで含めて開発するのは、ガソリンを入れたクルマを作ろうとしているのに等しい。
それ、多分違う。
おもちゃのクルマ。モーターで動くクルマは乾電池がなくなれば電池をいれかえて走る。くるまはそう作るべき。電池の規格をさっさと決めて、ガソリンスタンドに行けば、小型フォークリフトみたいなもので、バッテリーユニットだけ入れ替えるようにすればいいはず。
こんな感じで。
これ、小学生の発想だけど、考えるべきブレークスルーの一つ。 電池はなくなれば入れ替えればいい。
また、CASEといいながら、コネクトも、シェアもしてないのはどうか?
簡単ですよ。
まず、自動車メーカーは、コネクトする先となるネットワークサービスインフラを作る。このサービスインフラは当然自動運転を制御するもの。いわば、透明で見えない線路のようなもの。そして、自動車側には、これに呼応する共通ユニットがある。どんな形状のクルマでもこのユニットを乗っければ、自動運転に必要な情報と制御が行える。
また自動車メーカーはこれらのユニットと連動できる、いわゆるプラットフォームを用意する。ここでいうプラットフォームとは、シャシー、操舵、車輪、モーターをいう。
プラモデルでいえば、座席とかボディ(側)がない状態。モーターが乗っかってて、操舵部があって、タイヤがついてる。
こんな風に。
(C)田宮模型
自動車メーカーはそれをOEM供給する。
もちろん自社でつくってもいい。
ガソリンスタンドがなくなり、バッテリースタンドができあがり、電気が減ってきたクルマは、バッテリーを積み替える。
ネットワークインフラとユニットは一人乗りモビリティにも適用される。
たとえば、足腰が弱くなっている老人でも、フル自動運転で目的地まで安全にゆける。具合がわるくなったらかかりつけの病院に行き先変更してくれる。
幹線部の交通は、ネットワークインフラによってフル制御されて、事故も渋滞もなくなる。予定時刻通りに目的地にたどり着くことができる。
非幹線部の交通は、自動運転でカバーする。
小学生が考えそうなゆめのような世界だけど、案外そんな未来がまっているかもしれません。
人間が想像できるものは実現できるから。
トヨタ自動車の豊田章男社長がしきりに社内外に危機感を発信しているのは、いずれいまの自動車メーカーのあり方によるビジネスモデルは通用しなくなると考えているから。
自分が小学生、5年生ぐらいのころ。家にはラジカセがあった。
当時は、主に歌謡曲ばかりを聴いていた。
でっかいラジカセで満足は満足だったが、これが極小化してもちだせたらなぁと夢みたいなことを考えていた。
当然知識などないけど、機械や電気は好きだったし、絵を描いたり何かを作ったりは父の影響もあって好きだった。
だから、動力源は無視して、最小限の「ヘッド部」と「駆動部」だけのプレーヤーを紙に書いてたことがある。
外装ケースすらなく、カセットテープを挟み込むような形のものだ。
その後、ソニーがウォークマンを発売。その夢見てた頃の6年~7年後だ。
また、こんなことも考えていた。一枚の板に音楽がたくさん入れられて、差し込むプレーヤーの性能が音質を左右する。
メモリースティックとシリコンオーディオのようなものといえばわかるだろうか?
音楽の「楽譜情報」がデータ化されていて記録されている板の情報を読み取って再生機がきれいな音楽を再生してくれる。
まさにデジタルオーディオの世界。
そんな夢を見ていた時、どうやって?は全く考えていない。当然だ。小学生だもん、知るわけない。いや知っていたらそんな発想はできない。
簡単な疑問だ。「電源どうするの?」
自由な発想、ブレイクスルーはこのように子どものころのような何の制約もつけない、ただこんなのがあったらいいなぁから始まると思っている。
だから、話が行き詰まったとき、あるいは八方塞がりに思えたとき、何を捨てるべきかを考えれば、案外解決できたりする。
ここで自動車業界の話をする。
近年、自動車業界ではCASEという言葉が注目されている。
CはConnectのC
Aは、AutonomousのA
Sは、ShareのS
Eは、ElectricのE
次世代の自動車を考えるとき、このキーワードはどうやら欠かせないというわけだ。
日本では、モータリゼーションの時代があった。一家に一台。デートにはクルマでという時代。
好きなクルマをかって、ドライブにでかける。そんなシーンが一つの憧れだった。
しかし、いま、若者を中心にクルマ離れが激しい。
当然だ。お金がかかりすぎる。
都内の駐車場代、1ヶ月4万円なんてざら。年間50万円、ただクルマを止めるだけのために払えるのは、
そこそこいい給料をもらえるようになってから。いや、そこそこいい給料をもらっても、家族や子どものことを考えれば、控えたい出費だ。
さて、そんな、クルマが売れない中でも、やはり人は移動する。公共交通機関以外の移動手段が必要だ。これをモビリティと名付ける。
近所数百メートル先の店に買い物に行く、有名な観光地を訪れるなど、人はなんだかんだと移動する。
だから、クルマのようなもの、モビリティはかかせない。
しかし、日本では高齢化が進み、高齢者による事故が増えている。
世界的に、環境保護の立場からCO2削減が厳しく言われている。
よってこれまでのようなクルマは売れなく(売ることができなく)なる。
そこで自動車メーカーはHVやPHV、EVの開発へとシフトしてきている。
衝突軽減ブレーキなど、不安定な運転による事故を防ぐ「自動運転」や「運転支援」機能がつけられている。
しかし、これはこれまでのクルマの延長線上でしかない。極端に言えば一時しのぎだ。
キーワードにCASEと歌いながら、次世代モビリティではない。
AとEには具体性があるが、CASEが一体になったものではない。
豊田章男社長もおそらくそう感じているのだろう。トヨタほどの研究開発費(年間一兆円)もあれば、いくらでも次世代のクルマはだせるはずなのに、「違う」と直感が言ってるんだろう。その焦燥感が、マスコミでの発言のたびに強まっているのがわかる。
直接会えるなら、冒頭の小学生時代話でもしたいものだ。
そう考えていて、ふと頭に浮かんだことをここに書く。これがこのブログエントリーに書いた、書きたいことだ。
自動車メーカーにとって、EVのバッテリーまで含めて開発するのは、ガソリンを入れたクルマを作ろうとしているのに等しい。
それ、多分違う。
おもちゃのクルマ。モーターで動くクルマは乾電池がなくなれば電池をいれかえて走る。くるまはそう作るべき。電池の規格をさっさと決めて、ガソリンスタンドに行けば、小型フォークリフトみたいなもので、バッテリーユニットだけ入れ替えるようにすればいいはず。
こんな感じで。
これ、小学生の発想だけど、考えるべきブレークスルーの一つ。 電池はなくなれば入れ替えればいい。
また、CASEといいながら、コネクトも、シェアもしてないのはどうか?
簡単ですよ。
まず、自動車メーカーは、コネクトする先となるネットワークサービスインフラを作る。このサービスインフラは当然自動運転を制御するもの。いわば、透明で見えない線路のようなもの。そして、自動車側には、これに呼応する共通ユニットがある。どんな形状のクルマでもこのユニットを乗っければ、自動運転に必要な情報と制御が行える。
また自動車メーカーはこれらのユニットと連動できる、いわゆるプラットフォームを用意する。ここでいうプラットフォームとは、シャシー、操舵、車輪、モーターをいう。
プラモデルでいえば、座席とかボディ(側)がない状態。モーターが乗っかってて、操舵部があって、タイヤがついてる。
こんな風に。
(C)田宮模型
自動車メーカーはそれをOEM供給する。
もちろん自社でつくってもいい。
ガソリンスタンドがなくなり、バッテリースタンドができあがり、電気が減ってきたクルマは、バッテリーを積み替える。
ネットワークインフラとユニットは一人乗りモビリティにも適用される。
たとえば、足腰が弱くなっている老人でも、フル自動運転で目的地まで安全にゆける。具合がわるくなったらかかりつけの病院に行き先変更してくれる。
幹線部の交通は、ネットワークインフラによってフル制御されて、事故も渋滞もなくなる。予定時刻通りに目的地にたどり着くことができる。
非幹線部の交通は、自動運転でカバーする。
小学生が考えそうなゆめのような世界だけど、案外そんな未来がまっているかもしれません。
人間が想像できるものは実現できるから。
トヨタ自動車の豊田章男社長がしきりに社内外に危機感を発信しているのは、いずれいまの自動車メーカーのあり方によるビジネスモデルは通用しなくなると考えているから。