18年にもなりますか

感じた事、出来事、いろんなこと書き綴ってます。

レインツリーの国

2015-12-24 23:34:00 | 
「レインツリーの国」

原作本も読んだらもっと良かった。

物語は、耳に障がいを持つ人と持たない人の間で起こる、「分かり合いたいのに分かり合えない」もどかしさを、若い2人の恋愛をベースに描いている。

原作者は、耳に障がい持つ人とそうでない人の間でのエピソードを象徴的に扱ってはいるが、描かれているエピソードは健聴者の男女間でも年齢に関係なく普通にある事。

深く捉えれば、健聴者は難聴者を一括りで障がい者として見ている事対して、それは健聴者の驕りだと訴え、また障がい者もやはり自ら壁を作っているでしょ?と突きつけつつ、その事自体には何の意味もない事、そしてその感情って健聴者の間で普通にあるよねと気づかせようとしてくれている。

原作も映画も「分かり合えた」2人は描かれていない。

男女という関係は永遠にそういうものを抱えながら、2人がお互いに維持したい「何か」を大切にする事で続いてゆくものなんだろう、と示唆している作品だなと思った。

ライトノベルと呼ばれるカテゴリーの恋愛小説なので、とてもカジュアルで受け入れやすい、どこにでもある若い男女の恋愛映画。

でも、映画を観たあとも、原作を読んだあとも心の中で温めたい何か生まれた感覚をもたらしてくれます。



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滑舌の話

2015-02-11 23:34:00 | 
 滑舌は本当に常日頃からやっておかないとダメなんだけど、滑舌と同じく大事なのは、発声。

その発声をしっかりさせる為に参考になるのがこの本。

決して、著者のまわしものではありませんが、あいまいな発声をきちんとした発声にしてくれるアドバイスとしてはかなりいい線いってます。

「あ・い・う・え・お」の発声は決して口の形だけではない!

このことだけでとっても新発見だし、より具体的にその発声のポイントを解説してくれている。


かくいう自分も、さ行を指摘されて、この本を参考にしてみたら、「お、かなり改善されてるね」と評価されたぐらい。


そもそも発声や滑舌は、疲れているときや寝不足の時に一番ゆるんでしまう。

どうしても、緊張しきれず、神経を行き届かせることが難しくなるからなんだけど、そんな時などは、この本のトレーニングは参考になる。

収録中に、「寝不足なんで」なんていえないし勿論休憩なんて取れない。でもこの本のコツは極めて効果的。

寝不足であいまいになりがちな発声は、少なくとも基礎が出来ているひとなら、収録に対応できるレベルにまで直せる。おそらくそれくらい指摘されている内容が的確なんだろう。


本の中の解説図はちょっと分かりづらい部分もあるが、まず、その絵の通りやってみるのがいい。そしてトライアンドエラーで、なるほどと思える舌の位置を見つけることからスタートしてみることをお勧めする。

実用性の極めて高い本で、お勧めできます。



人間の覚悟

2009-09-28 00:53:00 | 
 産経新聞の記事に「万引き現場にもモンスターペアレンツ」というのがあった。

 万引きした子をしからずに、店が悪いと怒鳴り込んでくるらしい。

 また、「お金を払えばいいんでしょ」などという親すらいるという。





 この現象を見ると、いろんな複雑な思いが浮かんでくる。

 ひとつは、「子どもの教育」だ。

 「お金を払えばいいんでしょ」という親の場合、万引きをした子どもが、金で解決する親を見てどう思うか?「悪いことをしても、お金で解決できるんだ」と思うだろう。その程度のことなんだと思うだろう。

 一方もし、親が子どもの前で、店に「スミマセンでした」と謝っている姿をみたらなんと思うだろう。

 情けない親と思うか?それとも親にこんな情けないことをさせてしまったという罪悪感を感じるだろうか?

 少なくとも「お金」で解決しようとする親に対する感情よりもましな思いを持つだろう。 





 店の責任にする親をみて子どもはどういう子どもに成長するだろう?なんでも自分が正しいという錯覚に陥らないか?なんでも親が自分をかばってくれるんだと思うのではないだろうか?



 では親はいつ子どもを叱るのだろう。親自身の鬱憤晴らしでのしつけと称した虐待か?










 古い話だが、神戸の猟奇殺人事件の少年Aの育てられ方に問題は無かったのだろうかということが頭をよぎる。

 何でも自分の言うとおりになる。子どもがしたことの責任を取るのは親だと勘違いする。子どもがこういう感情ともったとしたら、これすべて親の責任ではないか?

 生まれてきた子どもの自己は、真っ白ではない。すでに何らかの個性を持っているし、感性を持って生まれてきている。幼稚園や保育所に通う子どもであればなおさらである。親の想像をはるかに超えて社会性を備えるものだ。

 そういう事実に対する自覚が親の側になく、子どもをいつまでも溺愛の対象とし、社会性を身につけるたくさんの学習機会を親が自ら消し去っているのが、この万引き現場のモンスターたちなのだ。







 悪いことをしたら、親は子どもをつれて謝りにいく。もちろん万引きした子どもはきつく叱る。人の道に外れたことをしたらとことん叱られることを覚えさせるのは親の役目だ。叱らず、万引きを金で解決するような大人はろくなものではない。覚悟が出来ていない大人の年齢の子どもなのだ。



 万引きをお金で解決したり、店に文句を言ったりするのは、大人としての「覚悟」の欠落としか思えない。とても恥ずかしいことを子どもがやってしまったという事実を受け止める覚悟。そして店に謝りに行く覚悟。子どもをしっかり叱らなければと思う覚悟。



 そういう覚悟なしにどうして子どもを育てられるのか。




 金で解決なんて、もはや親自身の保身でしかない。




 そんな親の姿を、親の想像以上に社会性を身につけそして十分に知性をもった子どもが見ていったいどう思うか? きっと尊敬されないし、いやそれどころか、子どもは希望をなくしてしまう。
 
 大人というものに対する憧れは親に向けられる。その親がなんと金で
 万引きを解決したと知ったら憧れは消え去り、憎悪と形を変え、複雑な
 感情でしか親のことを見ることができなくなる。

 素直さは消え、屈折した感情をもてあまし、深夜に出かけたりする。
 親に対する示唆行為の典型だが、大概の子どもがそれに近い感情を持つものだ。





 親は覚悟を決めて、子どものしでかしたことについては謝罪し、そしてこどもを思い切り叱り飛ばすことだ。

 親の覚悟というものはそういうときに使うものだと信じる。




宿澤広朗 運を支配した男

2007-09-03 02:00:00 | 
 読みたい本があって本屋に寄ったけどもお目当ての本は見あたらず、仕方なしにおもしろそうなものは・・・と見ていたら「宿澤広朗 運を支配した男」という本があった。

 宿澤広朗といえば、ラグビーの元日本代表監督で、55才の若さで急逝された三井住友銀行の元専務執行役員だ。

 プロのノンフィクションライターによって書かれた文章に引き込まれ3時間ぐらいで一気に読んでしまった。それくらいに濃密で興味深い内容だった。

 本の少しだけども“戦いに勝つ”ということの具体性を読取れる部分もあり、ビジネスやラグビーの試合での勝ち方の為のセオリーがわかったような気がする。

 


 このように、さまざまな分野で活躍する人には実は共通していることがある



 それは、“負けず嫌い”ということばで表現される、“勝ちへの拘り”である。


 ラグビーで言えば試合に勝つ事。仕事で言えば業績を上げること。


 そういうと手段は選ばないのか?ということになるが、勝負に拘ればルールのグレーゾーンを使うことだってもちろんあるのだ。でもあくまで足を踏み入れるのはグレーゾーンであり、かつそこでのプレイをきちんと客観視しておかなければならない。


 


 さて、なくなられた宿澤氏の軌跡を追ったこの本。段階の世代のすこし後の多くのサラリーマンの像を象徴した本でもある。


 講談社から出ている。
 著:加藤仁 宿澤広朗 運を支配した男
 ISBN978-4-06-214066-9



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そして何のために働くのか?

2007-07-18 23:50:24 | 
ちょっと間があいたが、「何の為に働くのか、何の為に勉強するのか」の続き。



 結論だけ先に書こう。それは、自分の夢を実現する為である。



 前に書いた通り、信念、精神力、優しさが事業を成功させている人たちの共通のエッセンスであると考えているが、この3つは、黙っていても集まってくるものではない。普段の生活の中でももちろん、学生時代なら学校生活や部活動。社会人ならば仕事や同好会、あるいは社外の人との付き合いのなかで生まれてくる。


 また、こういう生活の中で“目標”や“夢”が徐々に明確になって積み上がってゆく。早い人なら学生時代に、遅くっても構わない。夢の実現には年齢は関係ない。


 しかし、ただ単に、歌手になりたいとか俳優になりたい、漫画家になりたい、では目標の持続には不十分だ。なぜ歌手になるのか?なぜ俳優になるのか?自分が俳優をやって誰をよろこばせたいのか?をしっかりじっくり考えて、そして何が何でも絶対に俳優になる!と思えるような目標の持ち方が必要だと思う。


 自分の場合、昔から絵が上手いと言われた。今でもそうである。美大出身?とも言われるが全くそんな経験はない。見る人が見れば分かる絵だが、そうでない周囲から見れば上手い方である。一般のコンクールにも応募したが、入選ぐらいはするレベルはある。

 しかし、自分のなかで“何のために絵を描くのか”が明確になっていないから、絵を描くことを職業としては選ばなかったし、いまも画家になることは目標でも夢でもない。勿体ないかもしれない、しかし自分自身の中で確固たる信念をもって画家になる意義を見いだせないのだから仕方がない。でも絵を描くのは好きなのは変らない。3年~5年に一度描きたくなったときに描く。

 
 自分の夢に一時的にはしばらく触れないようにしなければならない時もある。子どもを育てたり、会社の仕事が忙しかったりと、なかなか自分の夢の実現に直接結びつかないような事が多くある時は、仕方がない。

 しばらくは静かな気持で待つようにするのだ。焦ってはいけない、熟成期間が必要なのだ。徐々に進めてゆけばいい。夢や目標が明確なら、そういう時期も有効に使える筈である。



 気持が焦っている時は、敢えて立ち止まるべきである。焦りは冷静さの欠如。ろくな結果を生まない。チャンスは、焦りがない、平常心のときに来るものだ。だからみんなチャンスを逃す。平常心の時から、目標や夢がシッカリ意識されている人はチャンスが掴める。

 また自分の夢がいくつあっても良い。決めきれないというのも悪いことではない。ただ忘れない事とあきらめない事はしっかりと心に固く誓うべきだと思う。そして1つだけ、自分の力で叶えられるとしたらどの夢を選ぶか。選択しなければならなくなったときに、直感でもなんでもいいから選ぶことが出来るようにしておくことをオススメする。そして選んだら、もう後ろを振り向かない。

 目標は、小さな事のように思えることだっていい。必ずしも大事業だとか有名になるだとかである必要はない。あきらめないことが必要だ。小さくても夢を持ち続けること、そしてその実現に向けて行動し続けること。年齢は関係ない、夢を持っている人はいつまでも若々しくて元気だ。夢を持てない若者は、元気も覇気も無い。実に勿体ない。エネルギーはいっぱいあるのに・・・。無駄にならないうちに夢を見つけて進むべきだ。










 最後に




 自分の夢は、声でメッセージを伝えること、そして文章でメッセージを伝えること。 

 これをいま少しずつ進めている。