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18年にもなりますか

感じた事、出来事、いろんなこと書き綴ってます。

何の為に働くのか、何の為に勉強するのか

2007-07-15 19:08:47 | 
 SBIの北尾吉孝氏による本が本屋の店先に置いてあった。「何のために働くのか?」

北尾氏によると、人生の殆どの時間を働くことに使っている、故に働くことは生きることに通じるとのこと。

 この意見には全く賛成で、働くだけでなく、勉強すること、余暇を過ごすことだってすべて生きることに通じると思う。

 つまり、余暇をだらだら過ごせば、勿体ない人生だし、余暇を有効に使えば人生そのものも充実したものになる。

 だからといって北尾氏のようないわゆる有名人や大物と目される人たちのマネをする必要はない。


 たとえば、ワタミフードの渡辺氏、ソフトバンクの孫氏、問題にはなっているがグッドウィルの折口氏など若くして事業を成功させる人たちと私たちのような普通の仕事をしている人たちとの差は何なんだろうかと振り返ると、彼らに共通するのは、(1)確固たる信念、使命感にも近い信念があり、(2)かつその為に多少の苦難があっても乗り切る精神力、(3)加えて人に対してオープン、つまり優しいという特徴だと思う。


 これらを比較的若いうちに身につけて、その為に殆どのエネルギーを注いだ人たちが彼らである。



 つまり、そういうエネルギーと行動力があればいつだって彼らと同じように成功できる可能性がある。


 ここで話を2つに分けることにする。1つはではなぜ多くの社会人はチャレンジしないのか?もうひとつは、タイトルにもつながる、何のために勉強するのか?という話である。

 ここでは後者の話につなげる。


 さて、成功する人たちに共通している3つの要素(エッセンス)、つまり信念、精神力、オープンネスという優しさ。これを培う為には何が必要なんだろうか?

 信念を培うには人生上の経験がモノを言う場合が多い。極貧生活だったり、身内の死であったり、事故や事件だったり・・・。物事を当たり前と捉えている感覚では、強い信念は生まれない。なぜ・なぜ・なぜを繰り返していくなかで、見つけたモノに対して、どうすれば?を考え抜いてゆく中で生まれるように思う。

 この考え抜く力、なぜという疑問を探求する力を付ける為には、知能と教養が必要になる。ゆえに勉強は必要なのだ。

 精神力は、何かをやり続ける中で生まれてくる場合が多い。スポーツだったり自己鍛錬だったり。身体に痛い事や辛いこと、精神的な苦難を乗り越える強さは、普段の生活のなかで“逃げて”いるとやはり培われないと思う。なんらか言い訳を見つけて、決めたことをやらない。自分で設定した目標に向かって進むことをやめてもだれも何も言わないとした状態で、どれだけ継続し続けられるかがいわば精神力だ。

 最初から精神力が備わっていることはなかなか無いので、どこかに先生がいてそこに通う事で継続する力を徐々に付けてゆく。世の中にさまざまな学校があるのはそのせいである。もし、世の中に自動車学校(教習所)が無いとしたらどれだけ多くの人が運転免許を取っただろうか?そう考えると、教えてもらう“場”の力は大きい。え?自動車学校に行かなくても運転免許が取れるの?って?取れますよもちろん。運転免許試験場で、学科と実技に合格すればいいのです。

 さて、3つめの優しさ。実は、確固とした信念があって、強い精神力がある人の多くに欠ける傾向にあるのが、この優しさである。やさしさは、自己肯定が無いと生まれない。つまり人も自分も優しくされると嬉しいし、心を開くものである。自己否定が強いと、自分の弱さを認めなくなり、相手にもそれを求めてしまう。素直な優しさを表現できなくなるのである。厳しくすることも優しさの1つであるが、オープンネスと敢えて書いた通り、単なる優しさではなく、己も人も受け入れるという優しさが必要である。


 この優しさはどうやって身につけるのだろう?


 できればこれは、集団活動の中で見つけるのが良い。分かりやすく言えば学生のクラブ活動や学級生活である。つまり“なんでもやれる人”と“そうとうな努力を積んでもなかなか出来ない人”が、混在している集団。そんな中で、試合などがあったときに、“なんでもできる人”がミスをして、たとえば試合に負けたとする。そういうときにどう対処するのか?“お前のせいで負けた”と簡単に言うか“俺がミスしたら、どれほど落ち込むだろう、ここはちゃんと声をかけてやるべきじゃないか”と思うか。

 学級生活でも、そうである。簡単にいじめに発展してしまうちょっとしたケンカや、いざこざも、相手の気持を考えて、一言、“ゴメン”とか“悪かった”とかが言えるかどうかが、優しさを培うように思う。その一言を言う為には、自分のプライドを捨てなければならない時もある。それでも言える、オープンさ、心の広さが必要だと思う。


 はずかしながら、最近、やっとそういう事に気がついた。少しずつだが実践しているとやっぱりいいことがある。そして、ちょっと気を許すと、また以前に戻っていたりもする。でもちょっと分かっただけでもよしとして、またそんな自分の弱さも理解した上で、目標をもって進むことができればいいかと思う。

 ちょっと長くなったが、何のために勉強するのか?に対する自分なりの答えを書くことが出来たと思う。 

 次回は、何のために働くのか?を続けてみたい。



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日本はなぜ敗れるのか-敗因21カ条

2007-06-09 22:21:00 | 
 ビジネス書や小説など、乱読する方なのだけども、読みやすい文体の人ばっかりのなかで、この「日本はなぜ敗れるのか-敗因21カ条」の著者である山本七平(故人)氏の本は、なじめない文体の人だ。

 分析的であるがゆえ、どうも回りくどい。しかたないけど疲れる。

 じゃあ、読まなきゃいいのだけども、いやいや結構この本は興味深くて面白い。

この本は、小松真一氏の「慮人日記」と自らの経験を併せて、その信憑性を確認しつつ戦争末期の日本軍のやってきたことを確認し、現代(この本では1975年頃)に至ってもまったくそれが生かされていない点を指摘、それを21カ条という形式にまとめた物である。

内容は、本を買って読んでもらうこととして、その中で特に印象に残ったことは、「日本人は思想的に不徹底」という部分である。

言葉を換えて言えば「議論しつくさない」というのだ。

これは、2007年の今でもそのまま言えるのではないだろうか?会議でも声の大きい奴の意見が通る、あるいは社長の意見が結局は通る。会議に参加していても議論ではなく一方的な報告と命令。

それは会議か?

管理職が出席するような会議でも、「まぁ、みんなも何も反対していないし。」「べつにいいか。」といったようなことが多々あるのである。もしそんな事が習慣化している会議で「それは違うだろう!」だとか言おうものなら、上手くたしなめられ、「まあ、君の意見もわからんではないが・・・」とされるのが関の山、さらには会議後に同僚などからは「どうしたんだ?」といぶかしく思われる事もある。

議論をしつくさないとどうなるか?品質は落ちる、防衛することに走る、上を見て仕事をすることになる。

その結果、古い牛乳だの、架空売上だの、法律のくぐり抜けだの、端から見れば殆ど常軌を逸したことが行われてしまう。

もちろんそういうことが横行する組織に優秀な人間などは残らない。とっととやめて、そうじゃない組織へ移る。そこで力を発揮する。衰退する組織、つまりゆっくり死んでゆく組織から確実に前に進む組織との差がここにある。

気持ち悪いぐらいの「意見交換」のない会議。互いのことを配慮しての話し合いも良いかも知れないが、決して迅速な行動は取れない。

この本は、この事だけを述べているのではないが、この「気持ち悪い」状態が今でも、いやさらに蔓延しているのではないかという心配がある故気になった。

是非一読をオススメする。


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ペーパーバックを読む 『天使と悪魔』 

2006-09-21 00:31:00 | 
 案外多くの人がチャレンジしているのではないかと思うのが、洋書のペーパーバックだ。自分でも何度か挑戦したことがあるが、なかなか読めない。

 仕事がら、英語でかかれたマニュアルを読むことも多かったが、出てくる単語は限られているし、一度読めば何が書いてあるかは分かるのでそんなに苦労はしなかったが、普通の小説となると、なかなかそうは行かない。

 そもそも小説とかで書かれている単語が分からないからどうしてもつっかえてしまう。そうすると物語を読む楽しみよりも、英語と格闘する苦しみのほうが大きくなってどうしても途中で断念してしまうのだ。

 しかし

 しかしである。それにもめげずにまた挑戦している。

 いま読んでいるのは、あのダ・ヴィンチコードの著者、ダン・ブラウンによる”天使と悪魔”、原題「Angels and Demons」だ。

 米国からの帰路で、読む物が欲しかったので、空港で買ったのだが、これが以外にも、分からない単語をすっ飛ばしながらでもなんとか読み進める事が出来るのだ。とはいっても、すっごくスローペースでまだ47ページ。全部で560ページもあるから1割も進んでいない。

 でも、すっ飛ばし読みしながら読めるのはすごいと我ながら感心。途中まで読んで、分からない単語を辞書で調べて改めて読み返してみると、さらに理解が深まる。ただしあまり行ったり来たりするとまた物語のテンポが悪くなって面白くなくなるので適当にしかしないが、それでも面白い。
 
 いまこの本に、ちょっとハマりかけているのだ。もう日本語訳も出ているからそっちを買えばいいのだけどもそれでも、やっぱりもう少しペーパーバックと付合ってみたい。

 映画の影響もあるだろう。例のラングドン教授が主役だし、頭の中ではトムハンクスが、彼の発音で台詞を言ってる。

 そういうペーパーバックの楽しみ方があるのだなぁと新しい発見である。ただ、なぜかはよく分からないが、以前ハリーポッターのペーパーバックを買ったがあまり楽しく読めなかった。

 話の向き不向きもあるのだろうけども、まあ改めてする英語の勉強にはもってこいだ。

しかし、分からない単語が多いなぁ。もっと勉強しないと。



▲ダンブラウンのANGELS & DEMONS


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