「メンタリスト」としてテレビに登場した、ある人がYOUTUBEでの差別発言で誹謗中傷を浴びているということがニュースになっている。
そのニュース。誹謗中傷していることを非難するわけでもなく、どちらかといえば、誹謗中傷され続けている本人の言動を取り上げて、何が問題なのかを問うている内容が殆ど。
いつからニュースは「誹謗中傷」を「炎上」という言葉に置き換え、その行為を全て発信した”本人の人格”に問題があるかのように報じるようになったんだろう。
行われているのは誹謗中傷なのに、ニュースはなぜそれを非難しないんだろう? 誹謗中傷はいけないことなんじゃないの?
誹謗中傷を非難しないで、ニュースを流しているって言うことは、つまり煽っている側って事なのだろうか?
そしてそのニュースが「止まらない炎上」なんてタイトルをつけていたりする。
笑える位におかしい。もはや異常だ。
それとも、単なるアクセス数稼ぎ?
ちょっと昔、2ちゃんねるというインターネット掲示板が注目されていたとき、書き込まれた内容の削除責任をめぐって裁判がおこなわれたが、書き込む方が悪いのか、書き込みを制限しないほうがわるいのかということが議論になったことがある。
その話題を聞いたとき、どちらが正しいのかという話ではなく、ネット掲示板って人間社会そのものが「見えて」るだけなんだなと感じた事がある。
SNSのコメント欄も本質的には掲示板と同じだ。
全くの赤の他人による誹謗中傷。根拠があろうがなかろうがそれが公然と行われる。
ネットなどが無い時代までは、狭い範囲で陰口で済んでいたが、ネット社会は、その陰口を表に浮き上がらせる。
陰口はそもそも人間の性。
そして、ネットでの炎上やら中傷も、陰口と同じ人間の性だ、だれにでもそういう感情はある。
だけどもいくら性とはいえ、普通の感覚ならば陰口などは醜悪な部分と捉えている。
その証拠に、もし実名でなら中傷コメントも躊躇するだろう。
しかし、誹謗中傷を平気で行える、実名がでない環境を与えられていることが理由なのか、
誹謗中傷が日常化していて、ただ実名がでないだけでもはやその行為自体を醜悪だと感じてないことが恐ろしいと思う。
行っている事は、本人で変わりないのに。
そもそも、人なんていうのは善意もあるし悪意もあり、善悪両面を持っているが、この醜悪さをさらしながら善意を示されても、
その善意が真意だったとしても、容易には信じられない。
でも、誹謗中傷を書き込む時には名前を出さず、善意を行う時には名前をだせば、他人には「善意の人」と映るだろう。
「バレなきゃいいじゃん」
という感覚なのだろうか。
けど、そういう行為を続ける自分自身はそんな自分をどう感じるだろう。
「ふつうでしょ?」
という感覚なのかも知れない。
そして、きっと自分が誹謗中傷される身になってはじめて気づくんだろう。
「なぜ、そこまで誹謗中傷されなきゃいけないんだ」「何を知っているというんだ」
そしてその誹謗中傷している人たちが仮に善い事を進んでする人だったとしても
「信じられない」
「偽善者だ」
と感じるだろう。
それまでは
「ふつうでしょ?」
と捉えていたのに。
「偽善者だ」
と。
いや、その偽善者は、あなた自身。
このようにして自分の善意を毀損するのが、他人への誹謗中傷。
つまり、誹謗中傷は、結局は自分自身の醜さを露呈し、自分自身の持つ人間としての誇りを毀損するもの。
もし、それを全て分かった上で、なおも続けるというのは、もはや感覚麻痺状態。
千と千尋の神隠しで、本能のまま食べ物にがっついて、決して食べることをやめられない豚になったのと同じだ。
あなたは、豚か?
そのニュース。誹謗中傷していることを非難するわけでもなく、どちらかといえば、誹謗中傷され続けている本人の言動を取り上げて、何が問題なのかを問うている内容が殆ど。
いつからニュースは「誹謗中傷」を「炎上」という言葉に置き換え、その行為を全て発信した”本人の人格”に問題があるかのように報じるようになったんだろう。
行われているのは誹謗中傷なのに、ニュースはなぜそれを非難しないんだろう? 誹謗中傷はいけないことなんじゃないの?
誹謗中傷を非難しないで、ニュースを流しているって言うことは、つまり煽っている側って事なのだろうか?
そしてそのニュースが「止まらない炎上」なんてタイトルをつけていたりする。
笑える位におかしい。もはや異常だ。
それとも、単なるアクセス数稼ぎ?
ちょっと昔、2ちゃんねるというインターネット掲示板が注目されていたとき、書き込まれた内容の削除責任をめぐって裁判がおこなわれたが、書き込む方が悪いのか、書き込みを制限しないほうがわるいのかということが議論になったことがある。
その話題を聞いたとき、どちらが正しいのかという話ではなく、ネット掲示板って人間社会そのものが「見えて」るだけなんだなと感じた事がある。
SNSのコメント欄も本質的には掲示板と同じだ。
全くの赤の他人による誹謗中傷。根拠があろうがなかろうがそれが公然と行われる。
ネットなどが無い時代までは、狭い範囲で陰口で済んでいたが、ネット社会は、その陰口を表に浮き上がらせる。
陰口はそもそも人間の性。
そして、ネットでの炎上やら中傷も、陰口と同じ人間の性だ、だれにでもそういう感情はある。
だけどもいくら性とはいえ、普通の感覚ならば陰口などは醜悪な部分と捉えている。
その証拠に、もし実名でなら中傷コメントも躊躇するだろう。
しかし、誹謗中傷を平気で行える、実名がでない環境を与えられていることが理由なのか、
誹謗中傷が日常化していて、ただ実名がでないだけでもはやその行為自体を醜悪だと感じてないことが恐ろしいと思う。
行っている事は、本人で変わりないのに。
そもそも、人なんていうのは善意もあるし悪意もあり、善悪両面を持っているが、この醜悪さをさらしながら善意を示されても、
その善意が真意だったとしても、容易には信じられない。
でも、誹謗中傷を書き込む時には名前を出さず、善意を行う時には名前をだせば、他人には「善意の人」と映るだろう。
「バレなきゃいいじゃん」
という感覚なのだろうか。
けど、そういう行為を続ける自分自身はそんな自分をどう感じるだろう。
「ふつうでしょ?」
という感覚なのかも知れない。
そして、きっと自分が誹謗中傷される身になってはじめて気づくんだろう。
「なぜ、そこまで誹謗中傷されなきゃいけないんだ」「何を知っているというんだ」
そしてその誹謗中傷している人たちが仮に善い事を進んでする人だったとしても
「信じられない」
「偽善者だ」
と感じるだろう。
それまでは
「ふつうでしょ?」
と捉えていたのに。
「偽善者だ」
と。
いや、その偽善者は、あなた自身。
このようにして自分の善意を毀損するのが、他人への誹謗中傷。
つまり、誹謗中傷は、結局は自分自身の醜さを露呈し、自分自身の持つ人間としての誇りを毀損するもの。
もし、それを全て分かった上で、なおも続けるというのは、もはや感覚麻痺状態。
千と千尋の神隠しで、本能のまま食べ物にがっついて、決して食べることをやめられない豚になったのと同じだ。
あなたは、豚か?