「育児は女性のもの」が覆い隠す社会の歪み――見え始めた「母性愛神話」の限界
というYAHOOの記事を見つけた。
この記事自体に文句は何もないが、2つだけ。はっきりさせておきたいことがある。
1つめ
男女関係なく、愚痴といいわけはみっともないしもったいないからやめた方がいい。
2つめ、
しんどいことを楽しむ知恵を使え
仕事でも育児でも、生きていくのもどれをとっても大変なのよ。
子供がいなけりゃ、とか、給料が高けりゃとか、言いたくなる気持ちはわかるけど、それを言ったところでなんの解決にもならない。
不平不満を口から出せば出すほど、あなたの体の周りには、不平と不満がわんさかたまり、文字通り類は友を呼ぶがごとく、同じ体質、価値観、気質をもった人がよってくる。
そのうち、同類の顔をしながら、うまくあなたをだまして、犯罪に巻き込むことだってある。だって不満の解消に「ちょっとどう?」と誘い出すのは結構楽な話だとそういう連中はわかっているから。
そういう何の解決にもならない不満、これ「愚痴」ですからね。
また、給料が高ければとか、あの会社には言っていればとかに終始するのも、言ってみればたんなる自分の現状に対する言い訳でしかありません。
それを言ったところで何の解決にもならない。
人間の脳みそってそんなためにあるわけじゃない。知恵も経験も、知識もそんな現状からどうよくするかを考えるためにあるわけです。
義務教育から高等教育、およそ高卒者の半数が大学へ進学していて、脳みそをそんな風に使っているとしたら全くもったいない話だ。
「でも、どうしても口に出る」
じゃあ、なぜそういう気持ちになるか?
それは、ちゃんと自分の「今の」身の丈を理解して受け入れてないからよ。
みんなと一緒じゃなきゃだめと親から教育されてしまってて、ちょっとでもはみ出してしまうことに「恐怖」を感じる。
みんなから笑われるんじゃないか、みんなからいじめられるんじゃないか、みんなから、仲間外れにされるんじゃないか?
そう教えられてきたでしょ?
ばっかじゃない?
そんなにみんなといることが大事?
そんなあなたのことを笑ったり、仲間はずれにするような連中なんか「いらん」でしょ?
怖がることなんかまったくない。
あなたは、一所懸命に自分で生きていけばいいのに。
そんな格好はおかしい、流行のものを持ってない、メイクがどーの、もちものがどーの。
そんなのクソだよ。
そ、そんなクソみたいなのに縛られるから、愚痴も言い訳もでちゃうんだ。
それは、自己防衛本能だから仕方ない。だから愚痴も言い訳もしたくなきゃ、今の自分の状況を受け入れること。
今を生きることに全力を出すこと。
いいわけなんてしてる暇はない。
楽して生きるなんて、それができる家に生まれない限りできない。全部自分の力で切り開いて、あなたのことをしっかりいてくれている人を味方につけて、前に進むしかない。
そうやっている内に、自分が全部考えて、自分でやりくりしていることに少しずつ面白さが芽生えてくる。
子育て、でも隣の家の旦那さんはしっかり協力的、でもウチの旦那は・・・とか言わない。
手伝ってほしければ手伝ってといえばいい。手伝ってもらえるだけありがたいと思えばいい。
うちの女房は、子供ができてから、おれがワイシャツのアイロンをしている、とかぶーたれない。
自分が自分のワイシャツのアイロンするの当たり前。奥さんの手間を少しでも減らせることに喜ぶべき。
俺は疲れて帰ってきてるんだという愚痴とも文句ともわからないこと、同じくらいかそれ以上に家事と育児は大変なのだ。
取引先に気を遣うのと同じように、ご近所ともつきあっているのだ。
お互いに頑張っているんだから、愚痴言う時間があるなら、お互いに頑張ってるねと言えばいい。
まずは、
「頑張ってるね、ありがとう、おやすみ」
と寝る前に言い合おう。
というYAHOOの記事を見つけた。
この記事自体に文句は何もないが、2つだけ。はっきりさせておきたいことがある。
1つめ
男女関係なく、愚痴といいわけはみっともないしもったいないからやめた方がいい。
2つめ、
しんどいことを楽しむ知恵を使え
仕事でも育児でも、生きていくのもどれをとっても大変なのよ。
子供がいなけりゃ、とか、給料が高けりゃとか、言いたくなる気持ちはわかるけど、それを言ったところでなんの解決にもならない。
不平不満を口から出せば出すほど、あなたの体の周りには、不平と不満がわんさかたまり、文字通り類は友を呼ぶがごとく、同じ体質、価値観、気質をもった人がよってくる。
そのうち、同類の顔をしながら、うまくあなたをだまして、犯罪に巻き込むことだってある。だって不満の解消に「ちょっとどう?」と誘い出すのは結構楽な話だとそういう連中はわかっているから。
そういう何の解決にもならない不満、これ「愚痴」ですからね。
また、給料が高ければとか、あの会社には言っていればとかに終始するのも、言ってみればたんなる自分の現状に対する言い訳でしかありません。
それを言ったところで何の解決にもならない。
人間の脳みそってそんなためにあるわけじゃない。知恵も経験も、知識もそんな現状からどうよくするかを考えるためにあるわけです。
義務教育から高等教育、およそ高卒者の半数が大学へ進学していて、脳みそをそんな風に使っているとしたら全くもったいない話だ。
「でも、どうしても口に出る」
じゃあ、なぜそういう気持ちになるか?
それは、ちゃんと自分の「今の」身の丈を理解して受け入れてないからよ。
みんなと一緒じゃなきゃだめと親から教育されてしまってて、ちょっとでもはみ出してしまうことに「恐怖」を感じる。
みんなから笑われるんじゃないか、みんなからいじめられるんじゃないか、みんなから、仲間外れにされるんじゃないか?
そう教えられてきたでしょ?
ばっかじゃない?
そんなにみんなといることが大事?
そんなあなたのことを笑ったり、仲間はずれにするような連中なんか「いらん」でしょ?
怖がることなんかまったくない。
あなたは、一所懸命に自分で生きていけばいいのに。
そんな格好はおかしい、流行のものを持ってない、メイクがどーの、もちものがどーの。
そんなのクソだよ。
そ、そんなクソみたいなのに縛られるから、愚痴も言い訳もでちゃうんだ。
それは、自己防衛本能だから仕方ない。だから愚痴も言い訳もしたくなきゃ、今の自分の状況を受け入れること。
今を生きることに全力を出すこと。
いいわけなんてしてる暇はない。
楽して生きるなんて、それができる家に生まれない限りできない。全部自分の力で切り開いて、あなたのことをしっかりいてくれている人を味方につけて、前に進むしかない。
そうやっている内に、自分が全部考えて、自分でやりくりしていることに少しずつ面白さが芽生えてくる。
子育て、でも隣の家の旦那さんはしっかり協力的、でもウチの旦那は・・・とか言わない。
手伝ってほしければ手伝ってといえばいい。手伝ってもらえるだけありがたいと思えばいい。
うちの女房は、子供ができてから、おれがワイシャツのアイロンをしている、とかぶーたれない。
自分が自分のワイシャツのアイロンするの当たり前。奥さんの手間を少しでも減らせることに喜ぶべき。
俺は疲れて帰ってきてるんだという愚痴とも文句ともわからないこと、同じくらいかそれ以上に家事と育児は大変なのだ。
取引先に気を遣うのと同じように、ご近所ともつきあっているのだ。
お互いに頑張っているんだから、愚痴言う時間があるなら、お互いに頑張ってるねと言えばいい。
まずは、
「頑張ってるね、ありがとう、おやすみ」
と寝る前に言い合おう。
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