農楽通信(農を楽しむ現場報告)

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2024年10月3日:最上稲荷は「神社」か「お寺」か。(神仏分離の廃仏をどのようにしのいだか!)

2024年10月03日 | 知楽通信

最上稲荷のホームページを参照すると、

「最上稲荷は、正式名称を「最上稲荷山妙教寺」という日蓮宗寺院ですが、明治の神仏分離令の際、特別に「神仏習合」の祭祀形態が許された、仏教の流れを汲む貴重な稲荷として知られています。」(2024年10月3日現在)

とあります。

 これより、表題の「神社」か「お寺」かという問いの回答は「お寺」になります。

三代稲荷の豊川稲荷は「圓福山妙嚴寺」というお寺です。また、伏見稲荷は「伏見稲荷大社」という「神社」です。

これらの三代稲荷も明治維新の神仏分離政策により、それまでの神仏習合から神社かお寺かの選択を迫られたようです。


「高松歴史を楽しむ会」の資料を整理中に興味深い原稿(作者不明、「おかやま百年より抜粋」)を見つけました。

原稿は、後半に添付していますので、ご確認ください。


特に関心を呼ぶところを記します。

当時は、「正一位稲荷大明神」(注)別項を考察中 をまつっていた。

住職、前住職、院代の三人が頭を悩ませ、思いついたのが、「普賢菩薩は白像に、文殊菩薩は獅子に象徴されている」、

妙教寺として、法華経(経王)の象徴として稲荷の白狐を使ったら・・・

そこで、「正一位稲荷大明神(神)」を「最上位経王大菩薩(仏)」とし、神社に関わるものを取り払ったり隠したりした。

「お寺」を主張したわけである。その後も数度、神道を疑われ視察されたが「妙教寺」寺院排斥を免れることができた。


「正一位稲荷大明神」については、「最上稲荷の参道と門前町(加原耕作)」によると、天保十二年(1841)頃の最上稲荷は

「高松稲荷大明神」と呼ばれていたようです。

また、「特別に「神仏習合」の祭祀形態が許された」のではなく、大菩薩を祀るお寺として切り抜けたと考えられます。