月のカケラと君の声

大好きな役者さん吉岡秀隆さんのこと、
日々の出来事などを綴っています。

吉岡刑事物語・その29 / 窓枠の青空・1

2009年10月14日 | 小説 吉岡刑事物語




ふと見上げた視線の先に、大きな落葉樹の枝が空高く伸びていた。
足早に歩いていた足をつと止めて、萩原は暫くじっと、
凍てついた冬空に枝を伸ばしているその木肌を懐かしく見つめていた。

(何だったかな・・・・・)

視界に広がるその情景が、遠い記憶を辿っていく。
通っていた高校の校庭にも、確かこれと同じ木が植わっていた。
退屈な授業から目を逸らしたすぐ横の窓の外に、
すっと空高く枝葉を伸ばしていたこの木・・・。

(何の木だったっけ・・・・)

「ハギ」

背後からの呼び声に振り向くと、そこに吉岡が立っていた。

「元気そうでよかったよ」

見慣れたいつもの屈託ない笑顔がその顔中に浮かんでいる。

「それはこっちの台詞だよ、秀隆くん」

萩原は体を向き合わせてそう言うと、
厚手のシャツにジーンズ姿の吉岡へと歩いて行った。
共に並んだ二人はそのまま小径をまっすぐに歩き出す。

「もうとっくに承知のことなんだろうけどさ、」

周囲の景色を何の気なしに眺めながら、萩原は言葉を繋いだ。

「筒井がおかんむりですよ、また」

「・・・うん」

「困った人たちだね、君たちは」

「うん・・・」

「で、どうすんだよ?」

「行くよ」

萩原は空を見上げた。さっと刷毛で掃いたような薄雲が、
橙色に染まりきった空のカンバスに浮かんでいる。

「いつ?」

「明日の朝」

視線を戻して見た吉岡の横顔は、意志を深く包み込んだまま、
遠く静かに凪いでいる。萩原は顔を前方に戻した。

「困った人なんだよね、君って人は」

「うん」

「どうしようもないね」

「うん」

「ヒデ、」

「ん?」

「何でこんなところにいるんだ?」

二人の目の前には夕暮れの公園が大きく広がっていた。
人影もまばらな公園内には、桃紫色の夕陽のベールが、
ゆだねていくようなやわらかさで周囲に舞い降りている。

「寒いじゃないか、ここは」

「そうでもないよ」

「寒いだろ」

「そうかな」

「そうだよ、ヒデ、」

「ん?」

「何やってんだ?」

一週間前に吉岡から警視庁に出された退職願は、本人の願いを曲げた
休職扱いとして上に受理されたことは、記者クラブの仲間内から
洩れ伝わってきた話で萩原も知っていた。将来を有望視されている警部補の
その余りにもあっさりとした突然の辞職願いに対して、
庁内では様々な憶測や噂がとびかったが、しかしその真の理由を知るものは、
記者クラブの中にはもちろん、刑事仲間の中にすら誰一人としていない。
それはある結末としての事実が出るまでは、誰も知りえないことなんだろう。
萩原はさり気なく、隣に並んで歩く吉岡の横顔を見た。
蒼白く透き通ったその皮膚の下には、かすかに動いている生の息吹が、
堅固な意志の営みに懸命に追いつこうとしているかのようで居た堪れなかった。
萩原は再び遠方に視線を渡した。

「自分のアパートにもろくに帰らないでさ、
何やってんですかってことですよ、君はこんなとこで」

うん、と吉岡はまた小さく頷いて、遠く望み見るような眼差しを前方に向けた。
二人が足を運んでいる先には、申し訳なさ程度の人工池が見えていた。
そのほとりの一隅に、小屋とも呼べないような粗末な箱型の建物が、
いくつか寄り添い合うように並び建っている。

「やっておきたいことが沢山あるんだ」

徐々に藍色へと染め落ちていく夕闇の空気に、物静かな吉岡の声が、
そっと寄り添っていく。

「ヒデちゃん!」

いきなり呼びかけてきた甲高い声に、二人は同時に左横を向いた。
チワワを彷彿させるような小柄な熟年男性が、公園の芝生を突っ切って
小走りで二人の方に向かって駆け寄って来る。

「もうすぐ始まるわよ、あら?」

息せき切って走ってきたその男性の表情は、萩原の姿を目にした途端、
急に不愉快そうな鋭い顔つきに変わった。

「どなたかしら?」

まるで大魔神のごとくに一瞬で豹変した男性の様相に、
萩原はその場でハニワのように凝結してしまった。

「ここに何の御用なの?」

「僕の親友なんです、ノブさん」

すとん、と辺りに落ちた夜気の中で、吉岡の明るい声が軽やかに揺れた。

「筒井と同じ、高校時代からの仲間なんです」

「あらそうなの? やだわ、私ったら、ヒデちゃんのお友達だったのね。
てっきりどっかの記者かなんかだと思っちゃったのよ、ごめんなさいね」

ノブさんと呼ばれたその男性は一変して今度は、
あざらしのゴマちゃんのようなあどけない顔に戻っておほほと笑うと、

「さ、お友達さんも一緒にどうぞ」

と上機嫌な足取りで人工池の方へと歩き始めたが、

「どうして記者だってわかったんすか?」

つと投げかけられた萩原の言葉に、

「なんですって?」

と大魔神は振り返った。

「記者?」

「・・・・・そうですけど」

たじろいだまま突っ立ってる萩原の顔をじっと睨みつけていた大魔神は、
しかしふと横を向いて見た吉岡のやわらかな微笑みの前で、すっとまた
ゴマちゃんに戻った。

「何でわかったんですか?」

再びの萩原の問いにキッと一瞬大魔神になりかけたノブさんは、
しかしなんとか堪えたようにゴマちゃんの状態をまた取り戻し、

「わかるに決まってるじゃないの」

と呆れたような口調で言葉を吐いた。

「あんたね、記者の顔してんのよ」

「は?」

「顔が職業そのものになっちゃってるのよ、おばかさんね、
ヒデちゃんを見習いなさい」

「ノブさん、」

ふわっと明かりを灯すような吉岡の声が会話に入ってくる。

「みんなもう集まっているんですか?」

「あらそうなのよ、もうすぐ始まるのよ、御明かしが。
こうしている場合じゃなかったんだわ」

ノブさんは急に思い出したように慌てた様子でくるっと踵を返すと、

「それじゃあたし先に行ってるわね、あっ!」

ズルッと滑って尻餅をついた。驚いた吉岡がその体を抱え上げようとする前に、
しかしコンマの速さでピョンっと軽々地面に跳ね起きると、

「いやぁね、これだから歳をとるのは。見なかったことにしてちょうだい」

そう早口でいうと、来たときと同様、竜巻のような慌しさで、
ゴマちゃんの顔をしたチワワなノブさんはその場を走り去っていってしまった。
しばし呆然とその後ろ姿を眺めていた萩原は、

「ヒデ・・・・、」

とやっと口を開いて、横に立っている親友に話しかけた。

「誰だよ、あのおっさん」

暮れ渡る公園の中、一心に小径を駆けて行くノブさんの後ろ姿を、
温かな眼差しで見送っていた吉岡は、

「命の恩人なんだ」

といってやさしく微笑んだ。




つづく
コメント
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