月のカケラと君の声

大好きな役者さん吉岡秀隆さんのこと、
日々の出来事などを綴っています。

吉岡刑事物語・その30 / 窓枠の青空・2

2009年10月16日 | 小説 吉岡刑事物語




祭壇に供えられたロウソクの灯りが、チラチラと、ユラユラと、
星のない夜空の下に揺れていた。
何処かから拾ってきたような古い折りたたみの簡易テーブルに、
白いクロスを上掛けしただけの簡素な祭壇の上には、
お焼香用に置かれた小さなグラスの器が手前に一つと、
写真の入った額縁が一つ、その奥にポツンと飾られている。
萩原は、そこから少し離れた遊歩道の脇にある公園のベンチに腰掛けて、
ぽつりぽつりと祭壇に訪れてきては線香やロウソクを供えていく弔問客の様子を
ぼんやりと遠めに眺め見ていた。
弔問客といっても、喪服を着ている人などそこには一人もおらず、
それぞれ思い思いに少しくたびれてしまった私服を着て、そして皆が皆、
どこかしら明るかった。
それは悲しみに無関心な感情から生まれ出た明るさとは絶対的に異なる、
なにか悲しみの境地の向こう側に達してしまった諦念のようなものから
剥がれ落ちてきた明るさなのかもしれないな、と萩原は、
そんなとりとめもない思いを頭の中に巡らせていた。
視線の先にある祭壇上の額縁の中には、浅黒い顔をしたごま塩頭の初老の男性が、
満面の笑顔でこちら側に笑いかけている。笑顔の前に立ち昇る線香の煙が、
力尽きかけた竜のように、心細そうに漆黒の冬空へと吸い込まれては消えていく。

「今夜集まってるのは、みんなここの住人なのよ」

不意に声がして顔を横に向けると、いつのまにかノブさんが
ベンチの横に立っていた。

「お別れしちゃった今夜の主役もね、ここの古株のうちの一人だったのよ」

どっこいしょと言いながらノブさんは萩原の横に座り、

「いやよねぇ・・・もう会えないなんて・・・」

と、祭壇を見つめていた小さな目を何度かぱしぱしとしばたいて、
ズボンのポケットから取り出したハンカチでビーっと鼻をかんだ。

「肝硬変だったよ、徳さん。あ、徳さんっていうのは、
今夜のお別れの会の主役の人なんだけど、もうかなり末期の状態でね、
何度も何度も入院させたんだけど、その度にすぐ抜け出してきちゃうのよ、
病院を。やわらかいベッドじゃ落ち着いて寝られないって言ってね・・・。
最後もそんな状態でね、入院先の病院から抜け出てきたその晩に、
容態が急変しちゃって・・・。結局そのまま帰らなくなっちゃったの。
いやよね、ほんとにもう・・・」

ノブさんはつと夜空を仰ぎ、はぁーと大きなため息を一つつくと、
ビーッと再び鼻をかんだ。

「ヒデちゃんがあんなにも親身になって一生懸命助けようとしてたのにね・・・。
結局最後にはこんな形で悲しませて・・・ばかよ、徳さん・・・」

「あの・・・」

泣き腫らしたノブさんの顔を、半分固まった状態で見つめていた萩原は、
ようやく掴んだ一つの問いを相手に投げかけた。

「その人とヒデとは一体どういう関係なんですか?」

「え?」

豆鉄砲をくらったような顔を萩原に向けて、ノブさんは目をパチパチと瞬いた。

「知らないの?」

「はい」

「なんで?」

「なんでって言われても・・・」

「支えだったんじゃないかしら」

「はい?」

「ヒデちゃんよ。徳さんにとっての」

「・・・・はぁ」

「じゃあね」

すくっとベンチから立ち上がり、ノブさんはとっとと向こう側に歩き出した。

「いやちょっと待ってください。全然わからないんですけど」

その背中を引き止めるように問いかけた萩原の言葉に、ノブさんは
くるっと振り返った。

「何の理由でヒデはここにいるんですか? 命の恩人だって言ってる
あなたとの間柄も謎だし、なにがなんだか全く意味不明なんですよね。
わかりやすいように説明してくれませんか?」

相手を逃すまいとするかのように早口でまくしたてた萩原の顔を、
ノブさんはじっと透かすように見つめていたが、やがてぽっと口を開いて、

「理由も説明も要らないじゃないの、友情には」

と言って再びベンチに戻り、萩原の横に腰をかけ直した。

「事実があるだけよ、互いの間の」

ノブさんはそう言って、遠くを見つめるような目を人工池のほとりに向けた。
萩原もその視線を遠目に辿っていく。二人の目線の向こうには、
立ち並ぶ小屋の中でもひときわみすぼらしく崩れかけた小屋の屋根を、
その主らしき男と穏やかに談笑しながら修繕している吉岡の姿が見えていた。
春のそよ風のような吉岡の笑い声が、時折周囲にふわっと吹き渡っていく。

「またちゃんと笑えるようになってよかったわ・・・」

萩原は視線をノブさんに戻した。

「ああやって、ここに来るたびにみんなの小屋を直してくれるのよね」

ノブさんの横顔は、愛しそうに吉岡を眺めている。

「ああして小屋をいつも直してくれるんだけどね、だけどほんとは、
みんなにちゃんとした所に住んでほしいって願っているのよね、あの子は」

あの子は、と形容されたその言葉が、少し異質な響きを伴って
萩原の耳の中に入ってきた。

「もちろんそんなこと言葉に出したりなんかしないわよ、ヒデちゃんは。
でもね、あたしにはわかるのよ。みんなにね、自分自身に負けないで欲しい、
強くなって欲しいって思っているんだと思うのよ。あたしもね、
ひと昔前は今よりもずっとずっといくじなしだったのよ、生きてくことに。
もしもあの時ヒデちゃんに出会ってなかったら、きっとあのまま
今もここの住民のままでいたと思うわ」

しばらくそのまま吉岡の姿を眺めていたノブさんは、
やがてふっと思い出したように、不思議そうな顔をしている萩原に振り返り、

「あの向こうに大きな木があるでしょう?」

とベンチの後方を大きく指差した。その指先の遠方に、
萩原がこの公園に入ってきた時に、ふと立ち止まって見あげた木が、
常夜灯のオレンジの明かりの下に静かに浮き佇んでいた。

「あの木の下にね、蹲ってたのよ、ヒデちゃん」



つづく
コメント
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