その昔、ニーチェは言った、「神は死んだ」、と。
おぉ、なんとディープなお言葉なのだ。
人間の心というのは、非常に不確かなものであり、
その不確かさなゆえ、人は、形になったものへと
ヒュルルル~と傾いていってしまう。
なんかそうすることで安心しちゃうのだ。
しかし、形あるもの、それは全て真実なのか、
というと、決してそうではないのでごじゃりまして、
それは一向に良くならない政治が証明しているわけで。
公言したから、真実になるのか、え、どうなのだっ?
しかし政治はいつまでたってもスチャラカタ~ンな状態ではないのかっ?
「一体どうなっているのだっ、責任者でてこーいっ!」
と、私は叫びたくなるわけでござる。
言ったもん勝ち、にいつも私たちは惑わされてしまうのじゃのぉ。
自分の心に目を向けると、それはとっても有耶無耶で、
それはまるで空に高く流れる雲のようであり、
そこに「ある」とは分かっていても、
しかしそれは実態を伴わず、
つかめるようでいて、
実際つかみ所がない。
そしてそれは吹いていく風によって、
刻一刻と形を変えており、
絶えず一定の形は留めていないのですな。
だから、他の人がチラリと見上げた、
「あの雲はこ~んな形だっ!」
という雲と、またまた他の人が見る雲とは
全く違う雲でありえるわけで、
しかしどの雲をとってみても、
それはその雲のようであり、
その雲ではなかったりする。
茶川せんせはどうなのか知らないけど、
小難しい古典ロシア文学などを読んでみると、
その一字一句を理解するなんて、
私みたいな凡人には到底無理でありまして、
しかし文面通りになぞらえて理解はできなくても、
そこから何かを汲み取ることは出来るわけであり、
私なんぞは、それで満足なわけでありまする。
そこに何を感じるのか、見出すのか?
というのは、自分自身の「目」「耳」を持つことであって、
そこにニーチェの言った言葉が深く意味を持ってくるのだと。
なんかそげなとりとめのないこと、思ったりしたとですよ。
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