毎日毎日、生活している。
仕事も一応前向きにしているつもりだ。
まあ、自分では怠惰な生活ではないと思っている。
それでも、これでいいのかなぁ、とも思う。
それで、月に一度は、松下幸之助翁の「道をひらく」を手に取ってみる。
◆手探りの人生
目の見えない人は、なかなかケガをしないという。
むしろ、目の見える人の方が、石に躓いたりものに突き当たったりしてよくケガをする。
なまじっか目が見えるために、油断をするのだそうだ。
行動が乱暴になるのである。
目の見えない人は、手探りで進む。
その歩みの一歩一歩が慎重であり、謙虚である。
そして、一足歩むために全神経を集中する。
これほど真剣な歩みは、目の見える人にはちょっとできない。
人生で思わぬケガをしたくなければ、そして世の中でつまずきたくなければ、この歩み方を見習うがいい。
いつの時代になってもわからないのが人生というものであり、世の中というものである。
それならば、手探りで歩むほか道はあるまい。
わからない人生を、わかったようなつもりで歩むことほど危険なことはない。
わからない世の中を、みんなに教えられ、みんなに手を引かれつつ、一歩一歩踏みしめていくことである。
謙虚に、そして真剣に。
急ぎすぎることはない。
人生は、手探りのつもりで歩んでいけばよい。
だそうです。
世の中に、教えの類は星の数ほどありますので、すべての実践は無理かと思いますが、時々はこういった先達さんの言葉を
読み返してみるのもいいのでしょうね。
仕事も一応前向きにしているつもりだ。
まあ、自分では怠惰な生活ではないと思っている。
それでも、これでいいのかなぁ、とも思う。
それで、月に一度は、松下幸之助翁の「道をひらく」を手に取ってみる。
◆手探りの人生
目の見えない人は、なかなかケガをしないという。
むしろ、目の見える人の方が、石に躓いたりものに突き当たったりしてよくケガをする。
なまじっか目が見えるために、油断をするのだそうだ。
行動が乱暴になるのである。
目の見えない人は、手探りで進む。
その歩みの一歩一歩が慎重であり、謙虚である。
そして、一足歩むために全神経を集中する。
これほど真剣な歩みは、目の見える人にはちょっとできない。
人生で思わぬケガをしたくなければ、そして世の中でつまずきたくなければ、この歩み方を見習うがいい。
いつの時代になってもわからないのが人生というものであり、世の中というものである。
それならば、手探りで歩むほか道はあるまい。
わからない人生を、わかったようなつもりで歩むことほど危険なことはない。
わからない世の中を、みんなに教えられ、みんなに手を引かれつつ、一歩一歩踏みしめていくことである。
謙虚に、そして真剣に。
急ぎすぎることはない。
人生は、手探りのつもりで歩んでいけばよい。
だそうです。
世の中に、教えの類は星の数ほどありますので、すべての実践は無理かと思いますが、時々はこういった先達さんの言葉を
読み返してみるのもいいのでしょうね。