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私が一身に・・

2019-09-17 19:27:06 | 日記
時は1868年。いわずとしれた明治元年のことだ。
薩摩・長州を中心とした討幕軍と幕府側の決戦前夜だ。
決戦を避けるための話し合い、討幕軍の代表は西郷隆盛、徳川幕府側の代表は勝海舟だ。
勝海舟のまとめた「氷川清話(ひかわせいわ)」の中に、こんな場面がある。

◆肚の据わった(はらのすわった)男とは
 「いろいろむつかしい議論もありましょうが、私が一身にかけてお引き受けします」。
 西郷隆盛のこの一言で、決戦は回避され、江戸城は無血開城され、徳川家は滅亡を免れたのだ。

 実に、西郷隆盛の大きさがよくわかる名言だと思います。
 討幕軍は、徳川慶喜の首をとるまでは、決して戦いをやめないと血気盛んだったといいます。
 その、まさに日本を二分する戦いが、この一言で回避されたのです。
 リーダーたるものの役割は、何を判断基準にして、そしてそれをいかに現場に着地させるかということだと思います。
 さらに、自らが全責任をもって、それを遂行するということなんでしょうね。
 その意味で、西郷隆盛はそれらをすべて実行できる男であり、勝海舟はそれを全面的に信用したということなんでしょう。
 そして、その結果が明治維新へとにつながったわけです。
 
 ここで、お国自慢をひとつ。
 そんな西郷隆盛の師は(直接の師ではないようですが)、岐阜県岩村藩(現在の恵那市)の佐藤一斎(さとういっさい)だ。
 儒学者佐藤一斎は、昌平坂学問所の塾長にして、弟子は佐久間象山・渡辺崋山などである。

 なお、肚の据わった男とは、ひとつの比喩であり、肚の据わった女でもまったく問題はありません。念のため補足しておきます。