余生なる言葉がある。
この世でのやりたいことや、やらねばならないことを概ねやり切ったというような感情なのだろうか。
そこには満足感と、あきらめが併存しているのかもしれない。
あとはおまけの人生なのか、否、江戸時代に自ら歩測しなが日本地図を作り上げた伊能忠敬はこう言う。
◆人間は夢を持ち前へ歩き続ける限り余生はいらない
家業と家督を息子に譲って隠居したのは、忠敬56歳のときだ。
江戸時代としてはごくふつうの年代だったのだろう。
だが彼は、千葉の佐原から江戸に出、天文暦の勉強を志し、15歳下の先生に弟子入りもしたのだ。
その後、日本中を歩きまわって日本地図を完成させたという訳だ。
隠居はしたものの、そこから自分の夢への挑戦を始め、死ぬまで歩き続けた忠敬に余生などはない。
何歳になろうと、物事に挑戦する心があれば青春時代ということだ。
これは、サムエル・ウルマンの「青春」の詩と通じるものがありませね。
同様に松下幸之助翁もこう言う。
「青春とは心の若さである。
信念と希望にあふれ、勇気に満ちて日に新たな活動を続ける限り、青春は永遠にその人のものである。」
→なるほど、われわれも自らの生涯を余すことなく生きたいものですね。