政治と一般国民との乖離がよく言われる。
曰く、政治家は浮世離れした別世界にいる。
曰く、政治家は特権階級と勘違いしている。
そのどちらにも頷かされるものだが、菅総理のこの言葉には驚いた。
さすがに週刊新潮誌でも指摘されていた。
◆政治家は言葉と行動が大事だと言われるが
新型コロナに関する二度目の緊急事態宣言への国民への協力要請についての記者会見での言葉。
手元のメモに目を落とし、台本を読み上げるかのような口調に終始した上でだ。
「これまでの国民の皆さんのご協力に感謝申し上げるとともに、
今一度ご協力を賜りますことをお願いして、私からの挨拶とさせていただきます。」
ただでさえ苦境にあえぐ国民であふれる中、改めて緊急事態宣言への協力を仰ぐ場面のはずだ。
それなのに、結婚式に招かれた来賓のスピーチのような言葉では、話にならない。
これは恐らくは、発言している政治家本人に当事者意識が欠けているためだろう。
他人事ではないのだ。自分を主語にして、責任の所在をはっきりさせて訴えたり命令したりすべきもののようだ。
思い出させられるは田中角栄元総理の大蔵大臣就任時のスピーチだ。
日本を代表する俊英・エリートを前にして、
「できることはやる。できないことはやらない。しかし、全ての責任はこの田中角栄が負う。以上。」
おいらは特段の政治信条は持ち合わせていないが、どちらが心に響くかは明確だろう。
曰く、政治家は浮世離れした別世界にいる。
曰く、政治家は特権階級と勘違いしている。
そのどちらにも頷かされるものだが、菅総理のこの言葉には驚いた。
さすがに週刊新潮誌でも指摘されていた。
◆政治家は言葉と行動が大事だと言われるが
新型コロナに関する二度目の緊急事態宣言への国民への協力要請についての記者会見での言葉。
手元のメモに目を落とし、台本を読み上げるかのような口調に終始した上でだ。
「これまでの国民の皆さんのご協力に感謝申し上げるとともに、
今一度ご協力を賜りますことをお願いして、私からの挨拶とさせていただきます。」
ただでさえ苦境にあえぐ国民であふれる中、改めて緊急事態宣言への協力を仰ぐ場面のはずだ。
それなのに、結婚式に招かれた来賓のスピーチのような言葉では、話にならない。
これは恐らくは、発言している政治家本人に当事者意識が欠けているためだろう。
他人事ではないのだ。自分を主語にして、責任の所在をはっきりさせて訴えたり命令したりすべきもののようだ。
思い出させられるは田中角栄元総理の大蔵大臣就任時のスピーチだ。
日本を代表する俊英・エリートを前にして、
「できることはやる。できないことはやらない。しかし、全ての責任はこの田中角栄が負う。以上。」
おいらは特段の政治信条は持ち合わせていないが、どちらが心に響くかは明確だろう。