そうすけ漫録

そうすけの一日の型録です。

#1193 回復をする。その1

2006年11月01日 | 願った

 
 アルコール依存症の回復は、ただ単にお酒を飲むのをやめる、ということではありません。お酒をやめると、それまでお酒で埋めていた自分の心の中がとても空虚(からっぽでスカスカな感じ)になってしまいます。

 人は何かに依存している。依存しあうことが生活である。しかし、その依存が生活を破壊するものならば病である。依存症という病は、一方的に依存しなければ生きていけない状態です。

 空虚さを持ったまま生きていくのは、とてもつらいことなのです。ですから、そのつらさを何かで埋める必要が出てきます。そのために、今度は薬物を乱用したり、恋愛にのめりこんだりという行動をしてししまう人も多いのです。

このような人は、悲劇である。でも空虚さを解っていても、やめられない人は喜劇である。

 人はなぜ依存するのか.

さびしい。かなしい。くるしい。みたされぬ。からっぽ。いかり。うらみ。むなしさ。
否定的感情を癒しましょう。
びしい。かなしい。くるしい。

 「物質」「行動プロセス」「人間関係」からの依存を何か健康の方法で自分を満たすことが大切です。

 伝統文化に親しむ=合法かつ健康で許される逸脱した行為を洗練させたもの。文化を創造していく。これしかないでしょう。

 


#1198 自分を守る

2006年11月01日 | 願った

 その子にニックネームをつけて、ちょくちょくその子を思い出し、名前を呼んで、大事に守ってやってください。それが自分の人生を大切にすること、自分のために生きることにつながります。

 もうひとりの自分。自分の中にいる子供に名前をつけましょう。その子と対話をしましょう。それがそうすけ自身の人生を大切にすることにつながるのです。

 


#1190 アルコールチェックリストを知る。

2006年10月24日 | 願った

 
 1 飲酒量を減らさなければと感じたことがありますか?
 2 人から飲酒を非難されて、気にさわったことがありますか?
 3 自分の飲酒に後ろめたさを感じたことがありますか?
 4 神経を落ちつかせたり、二日酔いを治すために迎え酒をしたことがありますか?

 一つでも当てはまれば、アルコール依存症かどうかの診断を受ける必要があるでしょう。

 そうすけは、1と3に該当する。わかっちゃいるけど、やめられない。減らすという「適量をのむ」という自信がない。飲むなら飲もう。飲まないなら飲まない。弱い人間にはこれしかない。また、この弱さがどこから来ているのか?自覚したい。

 「なぜ、自分は飲酒をしなければならなかったのか」
 「飲酒が自分にとってどのような意味があったのか」

 これからの人生を酒なしでどう生きるか。

 これからの人生をXなしでどう生きるか。
 これからの人生をYなしでどう生きるか。
 これからの人生をZなしでどう生きるか。

 愛を失ったときどう生きるか?

 


#1189 アルコール依存症の診断基準を知る。

2006年10月23日 | 願った

 
下記の診断基準を見てください。6項目のうち3項目以上当てはまるものがあると、アルコール依存症と診断されます。

 1 飲酒したいという強烈な欲求(渇望)
 2 節酒や断酒を試みても結局飲んでしまう(抑制の喪失)
 3 急に飲酒をやめたり量を減らすと、手が震えたり不安感がでたりする(離脱症状)
 4 前と同じ量では効き目がなくなってしだいに量が増えてきた(耐性の増大)
 5 飲酒やそれからの回復に一日の大部分の時間を使う(飲酒中心の生活)
 6 飲酒によってさまざまな問題が出現してもまだ飲み続けている。

   そうすけはアルコール依存症である。

 飲酒の渇望はあります。実は走ることがいやだなと腰が重いとき、甘い缶チューハイやビールを汗をかいたあと飲めむと、うまいぞと動機付けに使っていました。春先の陽気がよくなってきてから飲むために走っているような精神状態になってしまった。だから走っていなくても真夏の暑い日には冷えたアルコール飲料を一気飲みをしてしまっていた。飲まない日は眠れなくなってしまい、不安におちいる。だから、毎日飲んでいるうちにアルコール量がふえていきました。酩酊では飲み足りなく、泥酔まで眠くなるまで飲んでしまうのです。当然、金もなく自宅で呑んでいますのでひっくり返っても大丈夫ということがより拍車をかけます。

 それをなんとか、しのいでいるのは仕事があるからでしょう。


NO1147 フルマラソンに挑戦する

2006年08月03日 | 願った
九月、十一月、一月か二月にマラソン大会に参加をしよう。
最近は走っていても楽しくない。楽しくないことは良いのだが、身体がくるしいことをつらく思えてしまう。
身体はきつくとも、いつも心に光をもっていたい。

そのためにフルマラソンに挑戦しよう、と決めた。

まずは東京マラソンに申し込んだ。



#1131 ぬか漬けをする

2006年07月02日 | 願った
夏だ。そうだ。ぬか漬けをしよう。
 
ライフでぬか床を購入した。これは重宝します。もう塩を振って漬けるだけです。胡瓜は半日でよい味になります。それを毎日むしゃむしゃ虫の如く食しております。
ぬか床がびしゃびゃになってきたら、ぬかを足しちゃいます。昆布などをいれて塩を振ります。もちろん毎日かき回してあげます。根多がなくてもかき回してます。
ぬか床をつくるって、たぶん愛なんでしょうね。

これからは、なす、みょうが、大根なども漬けていこうと願っています。

#1143 貧を極める

2006年06月29日 | 願った
貧乏は、
不便ではあるが
不幸ではない。

不便、不信、不安、不可解にしばられない。
今を、今日を完全燃焼できるならば不幸ではない。
不幸ではないということは幸せなことなのでしょう。

貧とは貝を分けることであろう。
そうすけには貝が少ない。
では、どうすればよいだろうか。

貧者一燈を捧げたい。
財貨は少なくとも「やさしさ」を与える。
足りないものを真心で補い、与え続ける。

これが貧の極意なり。

いつもやさしい気持、真心をどんな環境、状況、状態になろうとも持っていたい。
これを忘れなければ、貧であり、豊かな生活ができるでしょう。



#339 人生で感謝できることを10個書いてみよう

2006年06月27日 | 願った
自分の生活のいい点と感謝すべき点を考えてみよう。

そうすけの身近なところにあって自由に利用できるものを思い起こしてみよう。

① 貧乏である。
② 健康である。
③ 臆病である。
④ 20キロを走れる。
⑤ 独身である。
⑥ 仕事がある。
⑦ 車を運転ができる。
⑧ 本が読める。
⑨ 酒が呑める。
⑩ 映画を観れる。

#1142 感謝の気持を持ち続ける。

2006年06月25日 | 願った
そうすけは、すでに裕福である。
そうすけが自分自身に気がつけば、すでに多くのものを持っていることがわかる。
そうすけは、すでに完全である。
生きている自分は只今生かされている存在である。
それゆえに完全である。

今の裕福な自分と完全な自分に気がつき、十分に表現ができたら、こんなに楽しいことはありません。

毎日、自分が持っているものに感謝をしよう。
すぐに気分が落ち着くはずです。
感謝すると同時に自分を哀れむことはできません。

夢や希望が打ち砕かれようとも、感謝の気持を忘れなければ周囲にはきっとそうすけを待ち望んでくれる人がいます。
その人の希望に沿ってみましょう。

きっといいことは起こる。
そして、裕福で完全であることに再び気がつき、感謝の気持が湧いてきます。

NO1108 感性を磨く

2006年05月07日 | 願った
感性は動くことから磨かれる。
自給自足している動物たちは感性のみで生きている。
しかし、感性貧困のそうすけは、頭でっかちの不・福助である。下げた頭がに二度と上がらない。
まず、動け。
そして、頭を軽くせよ。顔を上げよ。涙がこぼれぬように・・・。

NO1101 本の整理をする

2006年04月08日 | 願った
積読本を整理をしよう、とおもった。(春ですね)
雑然と積んである本を分類して箱に詰め込む。
これからは机周りに必要のものを置くようにしたい。

必要なものって何?

分類は、直感で分けていく。
考えない。さっさと箱に詰めていく。

箱は柑橘系の10kgの箱が良い。
詰めて部屋の隅に積む。

これって積読になるのかな?

NO976 スランプを脱け出す

2006年03月28日 | 願った

「スランプをぶっとばせ!」 ベースボールマガジン社

どん底からはい上がる第一歩は、過去のピークパフォーマンスを探ることです。

スランプ打破の鍵は過去の成功した経験と、そのプロセスから得た思考パターンにあります。

絶好調のときには必ず7つの心理的特徴がみられるということです。
7つの原則を踏まえてメンタルトレーニングを行えば、あなたはスランプを撃退し、素晴らしいパフォーマンスを次々と生み出すようになるでしょう。

原則1  情熱と楽しみ
原則2  自分への強い自信
原則3  試合の過程(プロセス)への集中
原則4  回復力
原則5  チャレンジ精神
原則6  無心でプレーする
原則7  試合中のリラックス感  

 




NO1035 自分を脱ぎ捨てる

2006年03月21日 | 願った
心を構成するものは、記憶を基にした価値判断や歴史認識、さまざまな記憶の残像によります。
汚れた自分をバカにしつつ、仏などと呼ばれる清らかな心にたどりつきたい。

それでもいいや
諦めとは、すなわち悟ること
しあわせは、何かを達成することによって手中におさめるものではない。
「これでいいんだ」と自分の現実(ありのまま)を自分で認めることによって向こうからやってくる。