そうすけ漫録

そうすけの一日の型録です。

NO1034 自分を整える

2006年03月20日 | 願った
スランプを抜け出すには、自分を見つめなおす。
だが見つめなおすにも机上で考えていては堂々巡りの地獄八景に堕ちてしまう。
まずは、最近の生活態度を改めて、苦しいけれど建設的、創造的な習慣を意識的にしてみよう。

そして行動を変えることによって、喚起される感情をチェックする。
特に、良い感情をすくいとることが大事です。

1 朝食をしっかりとる。
2 仕事を素早く動く。
3 あいさつをして、コミュニケーションを確実にする。
4 汗をかく。
5 ランニングをする。
6 入浴をする。
7 禁酒をする。
8 TV視聴時間を1時間にする。
9 本を読む。
10 明日の自分をイメージをする。

(倒れるにしても前に倒れようぜ!そうすけさん)

NO.975 70年代の美学をもつ

2006年03月15日 | 願った
70年代の美学とは、
たとえばニューシネマのラストシーン。格好悪く死ぬことが格好いいという感性。
たとえば東映任侠映画。太く短く生きる。男ならやってみな。死んでもらいます。
たとえばあしたのジョー。灰になりたいんだよ。
たとえばフォークソング。友よ、夜明けは近い。
たとえば演歌。ぼろは着ててもこころは錦。

たとえば、たとえば、たとえば、たとえば、風車に突進する男。
(それからどうした

NO823 初詣にいく

2006年01月09日 | 願った
浅草へ初詣に行く。午後一時頃に浅草駅に着く。浅草寺は大変な人でした。これは構造的な問題で、お参りを終わった人がお参りしたいひとに邪魔をされてしまうのです。そのために捌けられずになかなか流れがすすまない。これは階段よりお賽銭函の幅が小さいために本堂に近づくほどに列が狭まり、端にいる人たちが中央に寄ろうとするためです。また賽銭函の脇に灯篭があって出たい人の邪魔をしています。いざ手を合わそうとしたら、押し流されてしまいました。振り返ると黒い頭一色。本当に佃煮にできるくらいです。これでは不完全詣でになってしまう。でも大丈夫です。浅草神社に改めてお参りをしました。二礼二拍手一礼。「今年もよろしくお願いします」と祈願しました。境内に人垣ができていました。猿回しをやっているようです。歓声があがっています。太郎さんの顔は見えるのですが次郎君の芸が見えずに残念でした。大道芸の原点を見た思いです。腹が減ったので葵丸進にて天丼とビールをいただきました。これぞ江戸下町の味だ、と訳のわからないことを思いつつ、ひさしぶりにおいしい天丼を食べました。腹こなしに上野公園までふらふらと歩きました。国立科学博物館に入りました。新館には初めてです。博物図鑑がそのまま剥製、模型が展示してあり、映像による説明など感動です。素晴らしい。時間が足りない。これを創り上げる学問という好奇心のパワーをおもうと、また違った感動が湧き起こりました。ん~人間ってすごいですね~。また行こう。地元に帰ってミニミニ新年会をしました。大いに酔っ払って降りる駅を乗り過ごしてしまった。電車を待つ間、月と星を眺めながらココアを飲む。風もない穏やかな夜。これでいいんだな、と思いました。

NO784 幸せに耐える力を育てる

2005年11月03日 | 願った

Aさん宅へ社長のお供でお祝いを届けにいった。
ご主人が、上がりなさいという言葉に甘えてそうすけも座敷に通される。

お膳にはお寿司をはじめご馳走が並んでいた。昼食を食べたばかりだったので汗をかく。他のお客様もいらして、どうぞどうぞと勧められた。すこしずつ箸をつけていたが、ハタ、と気がついた。お寿司を食べ終わらなければ帰れないのではないか。社長は世間話をつづけている。これは、と思い、おいしい連発で他の料理もいただきました。
これも、なにかのご縁とAさんの福にあやかって腹十二分に幸せを分けていただきました。
Aさん、ご馳走様でした。仏様ありがとうございました。合掌。

しかし無理喰いでした。帰り道に目がチカチカして厭な汗がでた。
心に勲章をつけたあとにきたのは身体の試練でした。神様ありがとうございます。

それでも今が幸せならばいいのだ、有り難い事件なのだ。お蔭様の皆さまに支えられているのだなぁ、という気持になりました。お寿司はおいしい。いつか自分の金で寿司を食べるぞ、と誓ったそうすけでありました。