空き地・空き家は
定借でイノベーションえを起こせ
「山田うどん」埼玉 new
県で愛されるワケ 連載 2
半数の87店が埼玉県
チェーン全体の店舗数は167店(
2018年3月現在、以下同)。その
うち約半数の87店が埼玉県内にあ
る。県外では、東京都、神奈川県
、千葉県、群馬県、茨城県、栃木
県と関東圏に店舗が広がる。東京
都23区内には蒲田店と新業態の
「山田うどん食堂」が五反田にあ
るだけだ。23区外では、ロード
サイド店が発達している八王子市
あたりまで来るとポピュラーなチ
ェーンである。神奈川県では横浜
市や川崎市には1店もない。相模
原市や藤沢市あたりの国道16号
線より外側の郊外に出店している
。今回は、山田うどんがなぜ埼玉
の県民食と言われるまでに成長し
たのか。その軌跡を追っていきた
い。
(次回に続く)
「山田うどん」埼玉
県で愛されるワケ 新連載 1
愛称もある
埼玉県民のソウルフードと称され
る「山田うどん」。地元では親し
みを込めて “ダウドン” または“ヤ
マウ” と呼ぶ。黄の地色に赤のか
かしがトレードマークだ。県内の
幹線道路をドライブしていると山
田うどんの回転看板が目につく。
昨今流行しているコシのある讃岐
うどんとは異なり、麺は軟らかい
。どこか、懐かしさを感じる味わ
いがある。うどんは1杯280円(
税込、以下同)だ。ボリュームた
っぷりの丼やカレーとのセットは
600円台。毎日でも通える価格も
魅力だ。
長浜淳之介 ITmedia
(今回新連載です)
「らくらく連絡網」は他の new
NSNと何が違うのか
最終回 19
シルバー層のマーケティング
が容易に進むかは未知数
吉田:もちろん、「らくらく連
絡網」の会員数が今後も順調に
拡大していけばそれに越したこ
とはないのですが、PTAやシル
バー層のマーケティングが容易
に進むかは未知数です。会員数
の伸びの鈍化は傾向として続く
でしょう。ですから、その間に
データベースを強化するのが最
善策で、凸版印刷をはじめとす
る外部連携に乗り出したのもそ
の一環です。ピンポイントでセ
グメントしていくためには、デ
モグラフィックデータに行動履
歴、さらに位置情報も、といっ
た具合に、データベースをさら
にリッチにしていかなければな
りません。そのうえで、DMPを
駆使した広告代理店のような展
開を図って成長を遂げていきた
いと思っています。
(今回最終回有り難うございます)
「らくらく連絡網」は他の
NSNと何が違うのか
連載 18
連絡網内に決済機能を
吉田:それから、「らくらく連絡
網」への決済機能の付加が目先の
重要なテーマですね。部費や飲み
会の代金など、グループ内でおカ
ネのやりとりが発生するケースが
少なくないので、「らくらく連絡
網」でそれまで完結すれば非常に
便利だからです。
小林:なるほど。確かに、学校で
PTA費とかの集金があると、お釣
りが出ないようにきちんと小銭ま
で用意しなければならなかったり
して、何かと面倒ですよね。
吉田:P2P(個人間)送金のスキ
ームを使うのか、あるいはブロッ
クチェーン技術にするのか、現時
点ではまだ方向性は定まっていま
せんが、とにかく簡単に決済でき
るサービスを導入したいと思って
います。ちゃんと用途開拓をしな
ければ本当には使ってもらえませ
んから、新たなアプリをダウンロ
ードするのではなく、「らくら
く連絡網」アプリ内にある「割り
勘ボタン」をポチッとするだけで
送金できるようにしたいですね。
グローバルな市場においては地域
によって文化などの観点から「ら
くらく連絡網」が必ずしも受け入
れられるとは限らないと思ってい
ますが、グループ内決済ならば海
外の人々にも使ってもらえるので
はないでしょうか。
小林:グループ内決済については
、海外にもかなりのニーズが潜在
しているはずですね。今後の成長
性については、どのようなイメー
ジを描いていますか?
(次回最終回お楽しみに)
「らくらく連絡網」は他の
NSNと何が違うのか
連載 17
人材採用や顧客獲得に
吉田:ええ。「らくらく連絡網」
と凸版印刷の電子チラシサービス
「Shufoo!」のビックデータを基
盤としたインターネット広告サー
ビスを共同で進めていく方針です
。凸版印刷はありとあらゆる企業
のマーケティング部門など、当社
が自力で開拓するのはまず不可能
なところとも接点があります。そ
の一方で、出版業界の衰退に対し
て非常に危機感を抱いているよう
で、こうした新規ビジネスへの取
り組みに意欲的です。2社で共同
のDMPを用いてさらに精度の高い
ターゲティングを行うことで、人
材採用や顧客獲得などの広告効果
を最大化していくというのが連携
の狙いです。
決済機能を付ければ、海外展開も
視野に入る
小林:今後は、どういった層を開
拓して会員数の拡大を図る方針で
すか?
吉田:すでに若年層にはかなり浸
透しているので、今はPTAのさら
なる開拓に目を向けています。ま
た、リタイア前後の世代への普及
にも力を入れたいですね。ひと昔
前とは違って、そういった層も抵
抗なくスマートフォンを使ってい
るでしょうし、開拓の余地は大き
いと思います。
(次回に続く)
「らくらく連絡網」は他の
NSNと何が違うのか
連載 16
求人広告にも有効
たとえば、「来春卒業予定の理系
大学生に採用広告を配信したい」
というのがクライアントの希望だ
ったとしたら、一般的なDSP(広
告クライアントのための出稿プラ
ットフォーム)ではネット上での
閲覧履歴などをもとに該当しそう
な人を推定して広告を打つことに
なります。これに対し、当社のD
MP(データ管理プラットフォー
ム)を利用すれば、「らくらく連
絡網」の登録情報から該当する人
を抽出できますから、確実にター
ゲットに配信できるのです。そう
した特長から、当社のそれは特に
求人広告などに有効です。
小林:2017年7月に凸版印刷と業
務資本提携を結んだのも、デモグ
ラフィックデータをさらに活用し
たビジネスを進めるためですか?
(次回に続く)
「らくらく連絡網」は他の
NSNと何が違うのか
連載 15
アドテクによって救われる
小林:なるほど。そういった明確
な線引きができているのですね。
吉田:団体を統率する立場の人に
しても、「らくらく連絡網」だと
「入会しておいてね」と気軽に頼
みやすいわけです。それでいて、
当社は入会時に詳細なプロフィー
ルについて記入していただいてい
ますから、LINE などと違って非
常に濃密なデモグラフィックデー
タ(消費者の属性情報)を蓄積で
きます。その反面、Facebook や
LINE と違って頻繁に閲覧するわ
けではないため、単に広告を載せ
ればそれで効果が上がるというも
のではありません。すごく便利で
はあるけれども、ビジネスとして
なかなかマネタイズできないとい
うジレンマに当初は苦しみました。
小林:それでも、現在はサービス
の利用を基本的に無料とし、クラ
イアント企業から広告料を受け取
るというビジネスモデルを確立さ
れているわけですね。
吉田:マネタイズに苦慮していた
矢先にアドテクが出てきたことに
よって、私たちは生き残ることが
できました。デモグラフィックデ
ータに基づいて、クライアントが
本当に届けたいターゲット属性へ
的を絞って広告を配信することが
可能になったのです。
(次回に続く)
「らくらく連絡網」は他の
NSNと何が違うのか
連載 14
口コミで伸びるサービスの可能性
小林:実際に使っている側の細かな
要望に応えていった結果、クチコミ
で一気に広がるようになったという
ことは、ある意味でユーザーが創り
出したサービスとも言えるかもしれ
ませんね。
吉田:とにかく、クチコミで大きく
なるサービスは絶対に伸びるはずだ
と確信しました。そして、そんなに
便利だと思っていただけるなら、ち
ゃんと名称をつけてホームページ上
にアップして、より多くの人に使っ
ていただこうと考えたわけです。私
たちがやったのはそれだけです。そ
こから先はユーザーの皆様が代わり
に新規会員をクチコミで獲得してく
ださいましたから、今まで大々的な
プロモーションは特に実施していま
せん。それに、このサービスは部や
団体の代表の方にしか訴求しないた
め、広告での集客は難しく、費用対
効果も高くないでしょう。
小林:「らくらく連絡網」が始まっ
た2005年当時は、LINEはおろか、
まだツイッターも登場していません
でしたね。
吉田:そういったサービスが出てき
たとき、当社の「らくらく連絡網」
は淘汰されると言われましたが、実
際はそうなっていません。なぜなら
、ユーザーは用途に応じてサービス
を使い分けているからです。
(次回に続く)
「らくらく連絡網」は他の
NSNと何が違うのか
連載 13
要望に対応しているうちに
吉田:そこから先がさらに苦労の
連続だったのですが、あのお話を
いただけていなかったら、イオレ
は今まで存続していなかったと思
います。最初に作ったのは単なる
メーリングリストだったので、納
品後も「ここが使いづらい」とか
「あそこはもっとこうしてほしい」
とかいったご要望をたくさん頂戴
して、当社のプログラマーがその
度に対応を続けていきました。す
ると、どんどん機能的になってい
って「便利なサービスだ!」とい
う評判が立つようになりました。
当初は 30人程度を対象としたメ
ーリングリストにすぎなかったの
に、気がつけば半年後にはクチコ
ミで 3000人超まで会員数が増え
ていたのです。エンジニアが私の
もとにやってきて、「社長、サー
バーに負荷がかかりすぎてヤバイ
のですが……」と打ち明けられ、
初めてそこまで急増していること
に気づきました(笑)。
(次回に続く)
「らくらく連絡網」は他の
NSNと何が違うのか
連載 12
サッカー部監督の一言から
「らくらく連絡網」を開発
小林:携帯サッカー新聞で立ち上
がったイオレですが、その先には
大きな転機が待っていたわけです
ね。
吉田:迷走を続けるなか、「もう
ちょっとがんばってみろ!」と株
主の皆様から叱咤激励されたこと
もあり、やれることはすべてやっ
てみようと思って、読者を増やす
ためにいろいろな小中高校をひた
すら訪問して取材を重ねました。
すると、ある小学校のサッカーチ
ームの監督さんから「連絡網を作
ってもらえないか?」とお願いさ
れたのです。雨が降って練習場が
グラウンドから体育館に変更にな
った際などに電話では連絡がなか
なか行き渡らないので、メールで
一斉に伝えることができないかと
いう話でした。それで、2週間で
リクエストに沿うような連絡網を
作ったわけです。
小林:それが御社の主力ビジネス
である「らくらく連絡網」の出発
点ということですか?
(次回に続く)
「らくらく連絡網」は他の
NSNと何が違うのか
連載 11
ボランティアになりすぎた
吉田:今のクラウドファンディン
グのようなことをやって、それで
得られた収益をサッカー日本代表
候補の若年層に寄付するという仕
組みです。若年層を強化しなけれ
ば、日本代表はさらに強くなれま
せんからね。ところが、ドネーシ
ョン(寄付)に関する仕組みを構
築するのに苦戦しました。日本サ
ッカー協会とも話を進めていたの
ですが、さまざまな困難に直面し
、結局はこの根本的な部分が暗礁
に乗り上げてしまいました。その
結果、イオレとして最初に立ち上
げたのは、携帯サッカー新聞にな
りました。コンテンツで収益を上
げて、それを寄付すればいいじゃ
ないかと開き直ったのですが、そ
こまで収益が上がりませんでした
。「収益を上げよう」ではなく、
「人のために役に立つことをしよ
う」というスタンスが強すぎると
、どこかビジネス的にはバランス
が悪くなってしまうのでしょうか
。ユーザーのために少しでも早く
速報を伝えようとか、一所懸命に
やっているのですが、どんどんボ
ランティアっぽくなってしまいま
した。株主の皆様からさらに出資
していただき、誰かを応援しよう
としている私たちが逆に応援され
る始末です。結局、最初の3〜4
年は迷走が続きました。
(次回に続く)
「らくらく連絡網」は他の
NSNと何が違うのか
連載 10
スポーツ応援で社会貢献を
吉田:どんなことをやって社会に
貢献しようかと模索していた頃に
、ちょうど日韓W杯が近づいてサ
ッカーが盛り上がってきて、サッ
カーに関する事業で貢献するのは
どうかと考えました。ゲームを作
っているとわかるのですが、どん
な人気作にも必ずアンチのユーザ
ーはいます。それこそ、ポケモン
だって嫌いだという人は存在する
んですから。ところが、オリンピ
ックもそうですが、W杯ともなっ
てくると、日本人なら誰もが一緒
になって日本代表を応援するわけ
です。この一体感を生かして何か
をやれないかと思ったのです。ま
た、こうしてサッカー熱が高まっ
ていく一方で、廃部やリーグ自体
の廃止といったように、企業スポ
ーツが廃れていくのを目の当たり
にしていました。だから、スポー
ツをみんなで応援していく仕組み
を作ろうと考えました。
小林:具体的に、どのような仕組
みを作ろうとしたのですか?
(次回に続く)
「らくらく連絡網」は他の
NSNと何が違うのか
連載 9
社会にに貢献したい
小林:その結果、どのような結論
に至ったのでしょうか?
吉田:自分は事業に失敗してたく
さんの人に迷惑をかけ、たくさん
の人に助けてもらいました。だか
ら、きれいごとに聞こえるかもし
れませんが、単に新たな事業を立
ち上げてそれで成功するだけでは
なく、世の中に貢献することをや
りたいと思ったのです。みなさん
の役に立つことに取り組んで、そ
の結果として事業も大きくなって
いくような状態を目指したいと考
えていました。そして、サッカー
の日韓W杯開催の前年である200
1年4月にイオレを創業したわけで
す。社名の由来は、サッカーで応
援する際の掛け声である「オーレ
」です。
小林:創業前のお話だけでも相当
な厚みがありますね。ようやく今
の会社のお話に入りますが、「オ
ーレ」が社名の由来と言うと、当
初はサッカーに関わるビジネスか
らスタートさせたということでし
ょうか?
(次回に続く)
「らくらく連絡網」は他の
NSNと何が違うのか
連載 8
新会社設立で波に乗る
小林:またまた、今まで取り組ん
できたビジネスとはまったく畑違
いのジャンルですね。
吉田:そうですね。しかし、これ
まで自分が手掛けてきたビジネス
の仕組みとは異なっていたため、
さらなる拡大は難しいと考えてい
ました。そして、できればもう一
度メディアの世界に戻りたいと思
っていたところ、ファミリービズ
という会社を立ち上げていた友人
から「いっしょに仕事をしないか
?」と誘われ、友人が会長、私が
社長という位置づけでサイバービ
ズを設立・経営することになった
わけです。
小林:サイバービズのビジネスは
、NTTドコモのiモード向けにコン
テンツを提供するというものでし
たね。
吉田:そうです。ちょうどiモード
がヒットし始めた頃で、マーケッ
トが拡大する中でコンテンツが不
足していたことから、サイバービ
ズもいきなり初年度から莫大な売
り上げを獲得し、まさにロケット
スタートを切ることができました
。サイバービズでの経験も、私の
自信の回復に大変大きな影響を与
えました。そこで改めて、自分の
ビジネス人生を見つめ直しました
。
(次回に続く)
「らくらく連絡網」は他の
NSNと何が違うのか
連載 7
マッサージ店、iモード
コンテンツの成功後
小林:銀行からの貸しはがしで一
度は自己破産なさった吉田社長で
すが、その後にサイバービズ(現
ザッパラス)を創業されています
ね。
吉田:会社があっという間に倒産
に追い込まれた後、マインドも完
全にやられ、しばらくは茫然自失
の日々でした。ただ、時間に追わ
れない生活になって、友人は増え
ましたね。経営者時代はとにかく
仕事に没頭しており、人付き合い
にはまったく興味のない人間でし
たから。とにかく、そうやって過
ごしているうちに、私の中で 1つ
のアイディアが生まれました。銀
行に返済を催促されていた頃 、
憔悴しきっていた私はマッサージ
に癒やしを求めていました。その
時にふと思い出したのは、スキュ
ーバダイビングの資格を取得する
ために出かけたプーケットで施術
してもらったタイ古式マッサージ
のことです。当時はまだ日本に上
陸していなかったので、1998年
に六本木で「チャイ」という本邦
初のタイ古式マッサージ店をオー
プンしてみました。すると、雑誌
やテレビが取材に訪れ、4 カ月後
まで予約でいっぱいの大盛況とな
ったのです。この成功で、私はい
くらか自信を取り戻すことができ
ました。
(次回に続く)
「らくらく連絡網」は他の
NSNと何が違うのか
連載 6
金融危機で会社倒産
小林:えっ、そんなことがあった
のですか……。それで、その作品
はどうなったんですか?
吉田:1997年4月にリリースした
『QUOVADIS2』という作品がそ
れです。ゲーム自体はヒットした
のですが、とんでもないことにな
ってしまいました。
小林:またしても、まったく想像
もつかないことが起こったのです
か?
吉田:1997年11月、北海道拓殖
銀行と山一證券が破綻して金融危
機が深刻化したのはご存じのこと
かと思いますが、その前から銀行
の間では貸し渋りが横行していま
した。
小林:多くの金融機関がバブル時
代に背負い込んだ不良債権の処理
に苦しんでいた頃ですね。
吉田:貸し渋りはさらにエスカレ
ートして貸しはがしになり、私の
会社も先頭を切ってその対象とな
ってしまったのです。10数行から
数億ずつ合計20数億円を借りてい
たのですが、4月に返済を迫られ、
5月に定期預金、6月に普通預金が
凍結されて、7 月には事実上の倒
産に追い込まれました。まさしく
“あっという間”で、何が起きてい
るのかわからないうちに会社が潰
れてしまいました。私自身も私財
を処分して従業員の最後の給与を
工面したうえで、多くの人たちに
迷惑をかけてしまうかたちで自己
破産に追い込まれてしまいました。
(次回に続く)
「らくらく連絡網」は他の
NSNと何が違うのか
連載 5
通常の写真集と違って出版卸を通
さず、パソコンソフトの流通と同
じルートで販売できたうえ、まだ
競合もおらず、当時の一般的なパ
ソコンソフトの値段で設定したと
ころ、大いに収益が上がりました
。そして、その利益を投入してア
ニメシーンをふんだんに盛り込ん
だゲームを開発しました。自社で
アニメスタジオを作り、ゲームで
使用する音楽についても自社でレ
コードレーベルを立ち上げて制作
するほど、とことんこだわったと
ころ、注目されるようになり、「
マルチメディアの星」などと持て
はやされるようになったのです。
銀行による貸しはがし、
まさかの転落が待ち受けていた
小林:大きな転機が訪れたとい
うことですね。
田:しかし、その 先に想像もつ
かない展開が待っていました。
その直後、32 歳のときに私は咽
頭ガンを患ってしまったのです。
放射線治療で3 カ月後には復帰し
たものの、もはや自分の寿命は長
くないと思いました。そこで、銀
行から20 数億円を融資で調達し、
それを注ぎ込んで日本を代表する
超大作を世に生み出して、クリエ
イターとして華々しく散っていこ
うと覚悟を決めました。
(次回に続く)
「らくらく連絡網」は他の
NSNと何が違うのか
連載 4
プログラマー募集で苦労
小林:それはまたすごい思い切り
ですね(笑)。しかし、ゲームを
作るためにはプログラマーが必要
ですよね?
吉田: ええ。ですから、求人情報
誌に何度か広告を出したのですが、
まったく応募がありませんでした。
6 回目にようやく、ある有名ゲー
ムメーカーの人気作品の制作に関
わったという人材が見つかりまし
た。そして、彼を中心に PC向け
のゲームを開発していったわけで
す。
小林:ヒット作は生まれましたか?
吉田:いいえ。その時は「これだ!
」という作品は生まれませんでした
。そんな最中、マルチメディア時代
というものがやってきたのです。今
では当然のことですが、当時は PC
で写真を見るという行為は当たり前
ではありませんでした。写真を見ら
れるようになった点を生かし、 CD-
ROM の写真集を作りました。今で
言えば Photoshop の簡易版のよう
なもので、自分だけのオリジナル写
真集を編集できるというものです。
(次回に続く)