熊野古道 そのー5「最終章」
この章で熊野古道の日記は終わりです
「序章」そのー1の日記から合わせてご覧頂ければ幸いです
熊野はなぜ日本の聖地になったの
それは、こんなことのようですよ
紀伊山地の誕生と古の並々ならぬ努力が
知りたかった「熊野が日本の聖地」
先ずその1は:紀伊山地と海
紀伊山地は急激な隆起によって誕生。1000m級の山が海に近い。
これが山と海が聖地となった背景です。そこで熊野は神が住む聖
地と崇められるようになりました。
上下 NHK放送画面より拝借 感謝
隆起、これはよく耳にするフィリ ピンプレートのユーラシアプレート
への潜り込みによるものですね。
神は現世の罪を許す、仏は死後の救済
蟻の熊野詣でと言われるように、上皇のみならず民衆までが熊野詣
でを盛んに行うようになりました。神と仏の融合、当時の民の罪滅ぼ
しと極楽浄土への祈願なんでしょうかね。
中辺路
正に、神秘的な古道 新宮市の観光HPより拝借 感謝
(こんな一枚を撮りたかったな~)
三山は平安時代に三山で一つの聖地にまとまる
熊野本宮大社、熊野那智大社、熊野速玉大社
古道を整備して上皇の参拝を促す
それを山伏がプロデュース
上皇に参拝を。更に山伏が全国津々浦々に出向いて信仰を全国各
地に広める活動をしました。古道整備は山伏(僧侶)や地元の民です。
山伏は熊野の立役者で、那智の滝の存在も大きかったようです。
石畳の古道(中辺路) 那智大社 大門坂
大辺路 人力による切通しでしょうか
大辺路 伊勢路 松本峠
上下3枚 新宮市観光HPより拝借 感謝
小辺路
こんな話も「補陀洛渡海」
補陀洛山寺(ふだらくさんじ):観音様の浄土
JR那智駅の近く
補陀洛山寺
補陀洛渡海船
NHK放送画面より引用 感謝
海の果てに浄土があり日本の最南端、つまり海の果て。この寺のお坊
さん(山伏・住職)が自ら代表になって民衆を浄土の導くために海の果
てに向かった。9世紀から18世紀にかけて20人以上がこの船で旅だ
った。熊野は南の端、海の果てに浄土がある。熊野は山から海までが
聖地だったという事です。
NHK放送画面より引用 感謝
最後はちょっと重苦しいお話でしたね。 熊野古道の記録日記はこれで
終了です。
NHK、新宮市観光協会、他に感謝します
熊野古道については何も知らないので5月の初に、先ずは大辺路を歩
いてきました。運よく、出発直前にNHKブラタモリで熊野古道の放送が
ありました(4月20日、19)。 これを参考に今回の旅は数倍もの有意義な
熊野古道歩きとなりました。また旅の準備、ブログ掲載においてもNHK
の他、新宮市観光協会のHPを参考にさせ頂きました。その上、勝手乍
らブログに引用させて頂きましたことにお礼申しあげます。
貴重な情報を与えて頂き、大変勉強になりました。とっても嬉しいです。
お断り:記載内容に関しては私の聞き違い、解釈の間違い箇所が多々有るかも
知れません。素人の忘備録、日記とご容赦ください。
今日もご覧くださいましてありがとうございました
(5月31日、19 UP)
いつもご訪問くださる皆様へ
これから先、しばらくの間ブログの更新はありません.
この5回の順次更新で時間を取ってしまいましてね(笑)
ありがとうございます