妙見堂の建物跡探しをして
前回のブログに引き続き「いのししのお蔭」最終編
古絵図には他にもまだ建物があり再々探索
今回の探索で
ここには 茶屋や宿ヤ など
規模の大きな妙見堂だったんだと認識新たに
古絵図には他にも建物跡が描かれています
古絵図:追記(赤矢印と白字)三回目のUP
古絵図には他にも:臺所 と ”なんとか”馬堂 と書かれています
これはほってはおけずと探してみました
ここが ?(なんとか)馬堂跡だろうか 絵図の位置と近いですね
石段傍、且つ境内の石段下に平地がありました
瓦や火鉢の欠片が一面に散らばっています
臺所:古絵図では 臺所 と読めますが・・
落ち葉が積っていることもあり、瓦などは見えません
ここは境内であり、古絵図にある臺所に近い位置です
参道沿いの建物跡探索、終了
偶然をきっかけに始まった参道沿いにある妙見堂に関する建物探索の
お話はこの日記をもって終わりです。冒頭に記載の通り、この妙見堂は
結構大規模だったようですね。 三上山登山で必ず妙見堂境内跡を通り
ます。なので存在は知っていましたが、いのししのお蔭(前々回UPのブログ
にお陰とは、が)で思わぬ勉強をさせて貰いました。
ついでながら:妙見堂、妙見宮
この妙見堂には妙見菩薩が祀られ、妙見堂は神仏分離により「宮」が
「堂」に変更されたのだそうです。
あとがき:
日々散歩で登る三上山の山中にある妙見堂のことで日頃、これはなんだ
ろうと思っていたことをちょっとしたきっかけで知ることが出来ました。私の
ブログは目的が備忘録です。合わせて訪問下さる皆様に情報提供が出
来れば幸いとも思っています。
ただ、私の興味の分野は どれも ”ど素人" でして、間違いや勘違いがあ
るやも知れません。その都度修正はしておりますがその節にはどうかご容
赦くださいますようお願い申し上げます。
感謝します(ブログ管理者):参考資料(引用)
東氏・遠藤氏と三上藩 銅鐸博物館 編集・発行
ブログ: http://kida.shiga-saku.net/e379963.html
お断り:
今回古絵図にある参道筋と境内の建物跡とおぼし個所を見てきました。 しかし本来は許
可なく他人の土地に入ってはいけないのかもしれませんが、物を壊さないように等々、細
心の注意を払って入らせて頂きました。 感謝します(ブログ管理者)
今日もご覧くださいましてありがとうございました
(3月18日、UP)