安土の城は本当に築城3年にして燃えてしまったんです!
何を今更と思われるでしょうが、その事実を見たお方は今は世界中の何処にも
おられない。だから史実としてもはっきりと証明、確認できる物を見ない限り
私はそんな考えしか出来ないのです。
さて、今でも確かにその燃えた跡が残っています。今日は先ずその一つを紹介
します。
それが、添付の写真なのです。写真が小さくてよく見えないかな?
天主の礎石にくっきりと柱の焼きついた跡が残っているのです。
過日の現地説明会で学芸員の方からまず間違いはないだろうとして説明が有り
ました。
礎石に丸い赤茶けた跡が見えます。 大火の、その跡と信じております。
ロマンと言うには少し怖いような戦国時代の出来事です。でも歴史はロマンと
言うそうですね、まずはご覧下さい。そして現地に行かれたら山頂(天主)
にある幾つも並んだ礎石を一つひとつ見て探してみてください。
現地で、伝羽柴秀吉邸跡と頭に「伝」と付けて解説してあります。それはやはり
断言を避けてロマンを楽しむと言うことではないでしょうか。
30年前に息子達(4-5歳時)と訪れた時は
単なる山で山頂に規則正しく並んだ礎石だけの
本当にここにそんな立派なお城があったの?
でした。また秀吉邸、大手道などは地下に眠
って(積もった土の中)おりました。今では
当時の安土城をイメージできるようになりました
焼けた痕跡が礎石上に残っているとは!
なんとなく眺めていただけでした。残念。
石垣は穴太衆など石積み職人の仕事だったようだけど、礎石の敷設も石積み職人の仕事なんだろうかと、ブログを拝見した時、思っていました。
『火天の城』を読んだ後、安土城に関連する書籍にも関心をいだいて、ネットでたまたま知った情報で、『天下城』(佐々木謙)という小説をこの週末に読んだんです。
こちらは石積み職人を主人公にしたいくつかの城造りの話でした。下巻の後半に安土城の石積みの話が棟梁戸波市郎太の最後の石垣積み、城造りの仕事として出てきます。
その中に、何と、岡部又右衛門と戸波市郎太の礎石敷設に対する会話が登場するではありませんか。
小説とは言え、なんとなくそうなんだろうな....と臨場感を感じだ次第。
天主に重点を置いた小説と、石垣積みに重点を置いた小説で、ますます安土城のイメージが膨らんで来ています。
完全に消滅しているものを想像するって、本当にロマンですね。
『火天の城』では、蛇石が頂上まで引き上げられたという話になっていますが、『天下城』では蛇石は落石し多数の死傷者が出た後、石奉行他で密かに埋設して、頂上に引き上げたことにしてしまったという話になっています。
これも、小説家自身の安土城造りに対するロマンの微妙な違いなのでしょうね。
そんな気がしました。(脇道にそれてしまいました。)
通り「頂上まで引き上げられたという話になっているが、蛇石は落石し多数の死傷者が出た後埋設してしまった」との学芸員の説明があったように記憶しております。
火天の城は天主に重点を置いた小説ですが、
石垣積みに重点を置いた小説も有ったので
すね。
ありがとうございました。
14年間、現地の発掘調査と研究に携わられた方が考古学的観点で書かれた、素人の私にも読みやすい本でした。
発掘事実に基づく分析と提示された情報は、安土城の理解を深めるのに大変有益でした。
98ページに以下のように述べられています。
「その他、天主台の物理的探索により、天主台が山頂部の岩盤を切り取り、周囲に若干盛土をしながら天主台の石垣を積み上げて穴蔵を作り上げていることがわかった。織豊系城郭によく認められるような、礎石下の栗石敷はまったく認められなかったのである。ましてや天主台の下に蛇石が埋設されているのではという憶測も単なる憶測にしかすぎなかったことが証明された。そして、これら本丸・天主の調査と測量により本丸周辺部の正確な図面が作成されたのである」
フィクションと実証的データの両面から、ますます安土城の謎がおもしろくなってきています。さらには、信長理解へのロマンが広がります。
蛇石はどこに眠っているのだろう?
大変参考になります。戴いたコメントを読む
だけでも貴重な内容ばかりです。
色々な事に手を出してものすごく浅く、そして
広くですので、一兎を追う者・・・、ですが、
郷土史の興味は捨てないで続けて行きたいと
思っております。