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Kennyの歴史探訪:自転車で三十三ケ寺観音霊場巡りーその6

2014-11-25 09:35:48 | 5爺:野洲三十三か所観音場巡り

  野洲三十三ケ所観音霊場巡り

               そのー6 最終章        
            4Ji、自転車を漕いで
   今回で33ヶ寺すべてを参拝しました

                Kennyの滋賀から情報発信

               (この日記の掲載期間:1月23日から1月29日)


        比良山系、琵琶湖方向に流れる野洲川堤防行くJiさん4人

今日は撮影をしながらの影でも写っています(今回でこのシリーズは最終
なのでこの4人ですとの意味で)。そして左からYASさん(左)、TAMさん
(中央)、KAKさん(右)と、この4人です。


第6回目(最終回)の今日は六つのお寺をお参りしてきました
                    (滋賀県守山市にあります)


第二十五番 東光寺  
第二十六番 福林寺
第二十七番 観音堂
第三十一番 円福寺
第三十二番 宝覚寺

第三十三番 観音寺

三十三ヶ寺の一蘭表と所在地は ここを 
                         
(上の ここを クリックしてください)

先ずは今日のルートを打ち合わせです



      お待たせーぇ、とYASさんが到着  でもまだ集合時間前です、遅刻やなんいです


         当企画の提案者、TAMからいつもの通り、どうやこんなところで、と説明です


さて、出発です
今回はネット検索で得た情報でそれぞれのお寺の歴史、特徴を入れてみ
ました。 一部を除き、守山市監修の情報です。 

第二十五番 東光寺 十一面観音



県内では珍しい二重屋根の本堂が特徴的な東光寺は、「湖東三十三ヶ所霊
場」のひとつとして親しまれてきた寺院です。開基の詳細は不明ですが、寺
伝によると延暦年間(782-806)に秋富長者の発願により建立されたといわ
れ、実際に古い時代の仏像が伝えられていることから、長い歴史をもつ寺院
であると推測されます。


          残念ながら観音菩薩さまにお目にかかかれることは殆どありません
                            事前に予約をすれば可能な場合もあります



第二十六番 福林寺 十一面観音


                            旧野洲郡下最古の歴史をもつ寺院

桓武天皇(737-806)の勅願によって最澄(767-822)が開いたといわれる、
歴史が古い寺院です。もとは野洲にありましたが、戦国時代に現在の場所
に再興されました。
また、境内の石造宝塔は、頼朝方の武将・佐々木高綱
(?-1214)が「宇治川の戦い」に出陣する折に建立したものです。





第二十七番 観音堂 十一面観音



おお探しの後、諦めて岐路につき、その途中ふと大曲自治会という黄色
の看板(上の写真)と背後の何かの看板に「観音堂前」の文字が目に入り
ましたした。 振り返るとお堂が!! 観音様が導いてくださった とみん
なで喜びあいました。




第三十一番 円福寺 観音様・・? (資料がなく)



立田町の南端近くにある小さなお堂が円福寺である。この本堂には木版の
般若経が六百巻伝わっていて、市指定となっている。十巻ずつ納箱され、さ
らにその十箱ずつが櫃に納められている。経には奥書があり、文安元年
(1444)に勧進僧宗祐と壇越浄観が野洲郡富田庄新宮社の御宝殿に奉納
したと記されている。円福寺はこの新宮社の神宮寺で、現在も境内には、新
宮社の神輿蔵がありその面影をとどめている。
そして今なお、この大般若経
を用いて転読が続けられている。転読とは経文を略して読むことで、六百巻
の経文の要点だけを読請することも全巻の読請に値すると考えられた。

                
                               ネットから拝借




第三十二番 宝覚寺 十一面観音

このお寺も探しに探しました。 資料ではやぶの中と。また近くの住民の
方に伺いますと、100mほど行ったところに工場がある。その裏側だが
もう廃寺だとの情報を得ました。 どうやら最近更地にしたような跡地が
あります。 また石造宝塔(下の写真)のみ残った跡地も隣接しています。
最終確認はしていませんが、我々はここが宝覚寺のあった場所
であろう
と、勝手ながら結論づけました。


         ここが、そのお宝覚寺跡なんだろうか? 最近地ならしたように見えます

                           
                                宝覚寺:ネットから拝借


                              石造宝塔のみ残っています


第三十三番 観音寺 聖観音


              源頼朝が平氏打倒を祈願した寺院

天平元年(729)、聖武天皇の勅願を受けた慶俊(大和大安寺の僧)が地元の
官領と協力して伽藍(寺院の建物)を建立し、自ら彫刻した
聖観音菩薩像を
安置した寺院です。

山門からやや離れたところに植樹されたフジは、「平治の乱」(1159)で父
が平
清盛に敗北し、逃亡中だった源頼朝(1147-1199)が平氏打倒を祈願
して植樹し
たものと伝えられています




   ブログ仲間 めりいさん の観音寺参拝リポートで詳細を!

             めりいさんのブログ 観音寺 水保町

              めりいさん、ありがとうございます

道中の風景

                                    新野洲川(放水路)                        

この辺は増水時の氾濫対策で新しく出来た野洲川(放水路)です。それま
では南北に分かれた細い川で、幾度かの河川決壊被害に襲われました。
昭和46年(1971年)9月から放水路工事に着手することになり、その後、昭
和54年6月に新放水路への通水を行い、昭和60年度(1985年)に落差工
から下流について工事がほぼ完成しました。
今ではこのように広くて、秋に
はススキアシ?)が美しい河川です。

        
                   昭和40年頃                        昭和50年頃
                             (
野洲川下流土地改良区のHPより拝借)

 
            その放水路(新野洲川)が琵琶湖に流れ込みます 正面は比良山系


        野洲川上流、東(鈴鹿山系)の方向を見れば遠く、三上山が美しい山容を
                           (上下の写真は同じ橋の上から撮影しました)


御礼:
非常に地味な紀行日記ですが6回に亘り「野洲三十三ケ所観音霊場巡り」
にご訪問いただきありがとうございました。 この初めての分野は、サラリー
マンの生活、俗世界しか知らない私にとっては貴重で、いろんな意味で今後
に生かせる素晴らしい体験でした。

この自転車で行く霊場巡りにお誘い下さった、TAMさん、YASさん、KAK
さんに御礼申しあげます。 一日25km以上の自転車走行はほぼ余裕で
した。日頃、野良猫(さんには失礼ながら・・)のようにほっつき歩いている
ことの奏功と嬉しく思います。


         今日もご覧下さいましてありがとうございました



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2 コメント

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ありがとうございます (Kenny)
2015-01-24 07:16:05
本当にそう思います、友っていいですね。 各寺の解説は丸写しです(笑) 寺にはそれぞれの歴史がありますが戦国時代に関連するものが多いですね。
返信する
野洲三十三ケ所 (めりい)
2015-01-23 20:42:04
野洲三十三ケ所観音霊場巡りの満願成就、おめでとうございます。
気の合う仲間と一緒だからこそ達成できたのですね。

福林寺の石造宝塔は、佐々木高綱が「宇治川の戦い」に出陣する折に建立したものなのですか。
源平好きのブログ友達にも教えてあげますね。

返信する

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