野洲三十三ケ所観音霊場巡り
そのー4
4Ji、自転車を漕いで
=友のお声でチャンスをいただき=
Kennyの滋賀から情報発信
(この日記の掲載期間:11月14日から11月20日)
この4Jiグループ、霊場巡りの背景は?
今の団地に住んで40年。 当初からお付き合いのTAMさんが自転車
で表題にある三十三ヶ寺をお参りしようと声を掛けてくれました。同じ
く長いお付き合いの団地仲間、古希を過ぎた4人の爺(4Ji)、YASさ
ん、KAKさん、そしてKennyが、やろうやろうぜー、で一致、貴重な体
験をさせて頂いてます。 今回は、その第4回目の三十三ヶ寺お参り日
記です。
野洲市内を通る旧中山道を走る4ji お寺に通じる農道
(止まって撮っていると遅れますので、私 自転車で走りながらの撮影です)
十三番 観音堂 (野洲市高木)
おお、これが観音堂や! 扉の隙間から覗き込みます
3人が見上げている先に掲げられています
この観音堂は春日神社の向かって右隣りにありました。お堂です
からそのイメージで探しており、一見民家を見過ごしていました。
どなたもおられず聞けませんでしたが、お堂の一部を残してこの
ように保存されているのでしょうね、皆様の厚い信仰心を感じます。
それまでに資料で懸命に、どこやろ? と探します
こんな時は、名ナビゲータ、YASさん(写真中央)が大活躍です。 元々は
京都のお方なのに当地の地理に詳しいのは、過去にボランテア活動か
なんかで市内を歩きまわったことがあるとか。 活動的な方です、こんな
時に経験が生かされています。
春日神社
十四番 安養寺(廃寺)
このお寺は、今はありません。今日はお寺跡にも辿れまでんでした。
十五番 荘巌寺 (近江八幡市安養寺町)
荘厳寺 (聖観音)
野洲市と近江八幡市の境を超えてすぐの日野川沿いにあります。三十三
ヶ寺は野洲市、守山市、近江八幡市にありますが、このお寺は三十三ヶ寺
の内唯一、近江八幡市内にあります。
これが聖観音の写真? ご住職様不在で聞き漏らしました
十六番 来迎寺 (野洲市小南)
来迎寺 (聖観音)
嬉しいお言葉に出会えました
身の程知らずで偉そうな事をお許しいただくとして、「感謝」、今元気で
このように動いておれる、多くの友人とお付き合い頂いている、本当に
有難いことだと、何事においても日々感謝の気持ちを忘れずにお付き
合いを、行動をと心しております。
そして、チャンスを与えられたらそこから生き甲斐、遣り甲斐を見出す。
隣りの芝生は・・・、はあかんと。
本当にこのお寺で嬉しい言葉に巡り合えました!
その日の朝、団地の公園、東屋で
その日の行動予定の確認です
野洲市の宝物の一つ、三上山が後方に見えています。 またテーブルの
背後の装飾の壁にも三上山が彫られていますね。 壁はこの周囲に沢山
あり、祇王、妓女のお話し、天保義民の歴史なども語られています。
TAMさんがしっかりと資料を揃えてくれます
KAKさん(写真中央)は何故かこの道に明るいお方です。過日はあるお寺
でご住職様を紹介してくださり、ご住職様からお話し(説教)まで聞かせて
頂きました。
ほほー、それであんさんKennyの役目、得意は、って? なし、です。
皆さまに付いて行けばお寺に行ける。有難いことと感謝 しております。
さて、いよいよ残すところ6寺となりました
33ヶ寺巡り(お参り)も後 守山市内の6ヶ寺となりました。12月1日に
お参りします。 順調に行けば次回が最終回の日記となります。またご
訪問頂ければとっても嬉しいです。ありがとうございます。
道中の景色
市内、どこに行ってもお地蔵さんがあります。このお地蔵さん、殆どが
造成工事などで地面を掘っている時に発掘されたものです。 地蔵信
仰は平安時代に始まり、鎌倉時代には下火となって(・・も一つの説と聞い
ております)埋蔵されてしまったようです。 今安置されているお地蔵さん
は信仰最盛期の名残だそうです。
野洲市は近江米の産地です。収穫のあと、このように市内の田んぼ
には稲穂を立ててあります。 なぜ? 豊作の感謝? 次期、豊作を
願っての習慣?
お寺参りにはこの朝鮮人街道もよく通ります
今までの記録、ブログ
三十三ヶ所観音霊場の所在地、Google Mapは ここを
前回 5月の第一回 観音霊場めぐりの私のブログは ここを
前回 8月の第二回 観音霊場めぐりの私のブログは ここを
前回10月の第三回 観音霊場めぐりの私のブログは ここを
今日もご覧くださいましてありがとうございました
とても楽しそうな霊場巡り、お仲間にも恵まれていらっして、何時も素晴らしい情報発信をされていますね!
野洲って良い環境で観る所が沢山あって大好きです!
また落ち着いて拝見させていただきますね。