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郷土史、登山、スキーなどを写真と共に書き綴っております

Kennyの史跡あるき:立派な古墳

2012-02-29 09:32:23 | 古墳

  野洲市内の有名な古墳群
   =安直(やすのあたい)氏???=

          (この日記の掲載期間:3月23-3月29日)


        前方後円墳:天王山古墳  「桜生(さくらばさま)史跡公園内」

現在の野洲市周辺を治めた豪族
3月初のこのブログで野洲市の発掘調査・現地見学会の感想文を掲載
ましたがその時に研究員さんの説明で当地の豪族「やすうじ」古墳
は、と ”やすうじ ”という言葉が出てきました。日本書紀や古事記から
古代のヤス(現在の野洲、守山市の周辺)には安直(やすのあたい)氏
という古代近江を代表する豪族がいたことがわかっているそうです



      野洲市大岩山の古墳群分布図:この周辺だけでも多くの古墳が
                 (現地案内板)


野洲市内の立派な古墳の存在
自宅の近くに甲山(かぶとやま)古墳天王山(てんおうやま)古墳丸山
(まるやま)古墳三つの規模の大きい古墳があります。いったい誰の、
またなぜ野洲にこのような古墳が? 銅鐸は出土するし、その上古墳
も多いしと、いづれは背景を知りたいと思っていました。その意味で
先の見学会は絶好のチャンスでした。


       桜生史跡公園:三基の古墳を古墳群の公園として整備

こんな資料がありました
過日の見学会がきっかけで早速今度(過去に何度も訪問)は超興味を
もってこれらの古墳を見てきました。なんと現地の資料館に「桜生(さくら
ばさま)
史跡公園」
と云う中学生用の解説書がありました。
これで十分で
す、
先ずは私の知りたい事は全部記載されています。特に許可は得て
おりませんがその資料の内容と現地の案内板を参考に当日私が撮った
写真を合わせて記録してみました。

  
         甲山古墳                  同、内部の石棺

古墳はどうして、誰が
3世紀の中ごろから卑弥呼(邪馬台国の女王)のような王が日本各地に
登場し、王の墓として大きな古墳が造られるようになったと考えられる。
弥生時代は地域社会のつながりが強かったのだが古墳時代になると強
い力を持った王を中心とした社会に変わりヤマト大王を中心に日本の形
が作られる時代に変遷した。野洲市では3世紀の中ごろには冨波古墳が、
また終りには大岩山古墳他が造られたと当資料にあります。

 
   宮山二号古墳:他比小型です            現地資料館

今日見てきた桜生公園にある古墳
史跡公園としてしかっかりと修復が終り気持ちよく見学が出来るように
なった甲山、天王、丸山各古墳は6世紀のはじめから中ごろに造られた
と考えられています。これらの古墳から出土の豪華な品々から安直氏が
ヤマトの大王に仕えていたことがわかるそうです。ところで6世紀は継体
大王が活躍した時代です。

 
     甲山、天王、丸山各古墳の配置図          丸山古墳内部の石棺
          (現地案内板)

郷土史をともかく
このブログを訪問くださっている京都市の茲愉有人(ニックネーム)さん他
郷土史に興味を持つ仲間から京都、大阪、岐阜・・と、ここにも古墳、城跡
がと情報をくれます。滋賀県は歴史の宝庫と云われています(ね)。古代
から・・・。今は滋賀を歩くので精一杯ですがぼつぼつ暖かくなりましたので
先ずは枚方市へ桜見物と合わせてとも思っております。

茲愉有人さんからのコメント
コメント欄に貴重な、詳しい情報を頂きました。合わせてご覧いただければ
幸いです。 茲愉有人さん、ありがとうございました。

参考資料:桜生史跡公園(現地資料館で入手)、現地看板

     今日もご覧くださいましてありがとうございました

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8 コメント

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野洲の歴史 (八幡遊人)
2012-03-23 14:47:21
Kennyさん、いつも詳細な歴史のお話、ありがとうございます。しばらくぶりのブログ訪問でしたが、楽しく拝見いたしました。

桜生の古墳群は、野洲市銅鐸博物館の主催で2度ほど私も見学させていただきましたが、安直氏のことは知りませんでした。まだまだ勉強不足です。古代の豪族については、本当に興味があります。滋賀県でも、愛知秦氏や、息長氏、
高島の三尾氏など、素人の私も聞いたことがある豪族が多くいたようです。滋賀県だけでも一生勉強が必要なくらい、歴史の宝庫ですね。一人ではとてもできないと思いますので、Kennyさん、今後もいろいろと情報をください。よろしくお願いします。
また、今年もどこかでお会いできることを楽しみにしております。
返信する
ほんと、いくらでもありますね!! (kenny)
2012-03-23 16:33:06
八幡遊人さんご無沙汰です。本当に遠出をしなくても興味を満喫させてくれる歴史が滋賀県にはもいくらでもありますね。でもあまり天気が悪いとまた機会があろだろうとサボってしまいます(笑)。それだけチャンスも多い贅沢な環境に喜んであおります。

古代の豪族に初めて触れる機会を得ました。勿論私も「安直氏」は初耳です。秦氏は聞いたことがある程度です。こちらこそ何か情報がありましたらよろしくお願いします。もう少し暖かくなりましたらもっと歩きます。お目にかかれることを楽しみにしております。

コメントありがとうございます。
返信する
ブログを見た後に、図書館で (茲愉有人)
2012-03-23 23:46:48
桜生公園は、一度訪れたことがあります。
たしかウォーキングの同好会のときだった気がします。

今日の午後、市の図書館に本の返却に行き、その時記憶にあった本を見て見ようとしたら、貸しだし中なのか目当ての本がありませんでした。しかし、たまたま他の本が分館にも回ってきていました。
『新・史跡でつづる古代の近江』大橋信弥・小笠原好彦編著 ミネルヴァ書房
  2005年3月刊
です。

関連箇所を抽出読みしてみました。
関連事項を引用し、ご参考に要約しますね。(ご入手資料に記載されていて重複するかもしれませんが・・・・)

*弥生時代後期、野洲川流域の首長層が保有の銅鐸が、3回に分けて大岩山遺跡に計24個埋納された。現存は21個で3個は不明。多くが「近畿式銅鐸」で、少数が「三遠式銅鐸」、両者の特徴を併せ持つものもある。 p73-75、p115

*古墳時代の後期後半から飛鳥時代の時期の古墳は山麓に分布する群集墳だそうです。
 野洲に約250基、栗東に約40基が確認されている。 p117

*古墳から、野洲地域の首長が周辺の首長をより広く編成して勢力を伸長させていることがうかがえるとのこと。  p117-118

*この本では、「大岩山周辺に弥生時代終末から古墳時代後期まで安直家の歴代王墓とされる大岩山古墳群がつくられています」(p143)と記し、「やすのあたひけ」とルビをつけています。その続きに、安直が「『記紀』に始祖系譜をもつ伝統的な豪族であることがわかります」とし、『古事記』の記載を要約して明記しています。

 安直家が野洲川下流流域を中心に5世紀後半頃に首長権を大きく伸長させ、6世紀に入り近江を代表する豪族に成長し、安国造家の成立となるようです。 p143

*明記箇所を手許の『口語訳 古事記 [完全版]』(三浦佑之著・文藝春秋)で確認してみると、次のような記載です。

 人代編 其の一 ワカヤマトネコヒコオホビビ(=第9代開化天皇)の段
 「また、ヒコイマスの子ミチウシは、旦波のカハカミノマスノイラツメを妻としての、・・・・また、ミチノウシの弟ミヅホノマワカは、近淡海の安の直の祖じゃ。」(p154)
  旦波(たには)、安の直(やすのあたい) とルビがついています。
  
 人代編 其の三 オホタラシヒコオシロワケ(=第12代景行天皇)の段
 「まず、ヤマトタケルは、・・・・また、近淡海の安の国造の祖オホタムワケの娘のフタヂヒメを妻としての、生んだ御子はイナヨリワケ、一柱じゃ」(p213-214)
 
『日本の神様読み解き事典』(川口謙二編著・柏書房)によると、
ヒコイマス(日子坐王)は3人目の妻として近淡海の御上祝(みかみのはふり)が祀る天之御影神(あめのみかげのかみ)の娘・息長水依比売(おきながみずよりひめ)と結婚した(『古事記』に記載されている)とあります。(上記口語訳では未確認)
そして、天之御影神とは、現在の野洲市の御上神社(官中)の祭神で、かつて野洲郡を領した安国造(やすのくにのみやつこ)の氏神。御上祝はこの神の後裔とのこと。
このヒコイマスは開化天皇の皇子なのです。
つまり、開化天皇の孫になる-ヒコイマスの次男-ミズホノマワカが安の直の祖ということになりますね。

*円山古墳と甲山古墳のそれぞれの玄室に安置されていたのは、阿蘇溶結凝灰岩製の刳抜式家形石棺だったようですね。この石は九州の宇土半島産であるとか。
 この石棺と出土した副葬品に朝鮮半島に由来をもつと思われるものが多く含まれていることから、「安直氏が当時の大和政権の政治動向に深くかかわっていたことがわかります」(p146)とし、「両古墳の被葬者が、継体大王の出現に関わっていた可能性は高いでしょう」(p146)と、杉本源造氏が記されています。


野洲の図書館にも、この本が蔵書としてあるのではないでしょうか。
返信する
情報に感謝、ありがとうございます (kenny)
2012-03-24 07:57:42
茲愉有人さん、この情報で記事に自信が付きました。全く初めて聞く話の受け売りでそれもしっかりと指導を受けた訳ではありません。

情報の中で特に「阿蘇溶結凝灰岩製出土した」「副葬品大和政権の政治動向に深くかかわっていたことがわかります」「両古墳の被葬者が、継体大王の出現に関わっていた可能性は高い」は聞いていましたが、これでしっかりと理解が出来ました。この情報も閲覧者が読めるように記事に追加します。

コメントありがとうございました。Kenny
返信する
ヒコイマスの確認 (茲愉有人)
2012-03-24 09:51:33
今、ちょっとヒコイマスについて確認してみました。
『口語訳 古事記』には、こう記されています。

「ワカヤマトネコヒコホオビビは、・・・名はユゴリの娘のタカノヒメを妻としての、・・・・また、継母にあたるイカゴシコメを妻としての、・・・・また、丸迩の臣の祖のヒコクニオケツの妹オケツヒメを妻としての、生んだ御子はヒコイマス、一柱じゃ。」 p153
 丸迩(わに) この文の続きに4人目の妻が記載されています。

三浦氏の注記によると、「丸迩氏は、5世紀頃に奈良盆地東部に本拠を置き、強大な勢力をもった豪族。北の春日に勢力を広げ、春日氏となる。」
そして、「丸迩・和珥などとも表記されるワニという名は、・・・・海の神として信仰されるワニ(海獣のフカ・サメをいう語)から来ているのではないか。かれらは、もともと海洋民で、日本海側の若狭から琵琶湖を経て内陸の倭に住み着くことになったのではないだろうか」と推測されています。

一方、『全現代語訳 日本書記』(宇治谷 孟著・講談社学術文庫)の開化天皇の条には、こう記されています。
「次の妃の和珥臣の先祖姥津命の妹姥津媛は、彦坐王を生んだ」 p120
    姥津命(ははつのみこと)、姥津媛(ははつひめ)

以上
返信する
拝見しました (ポエム)
2012-03-24 18:12:42
貴重な資料ですね。益々楽しまれるKennyさんの趣味が生き生きとこのような素晴らしい形となって残せるのは本当にいいことですね。

今日コーラスの大役の引継ぎを無事終えてきました。和やかなとてもいい総会でした。この1年の経験を生かして、私も大好きな趣味をさらに活き活きと楽しみたいと思います。
返信する
全てが初めて (kenny)
2012-03-25 06:01:14
茲愉有人さん、ありがとうございます。ブログに茲愉有人さんから情報を頂いたと追記しました。ヒコイマスなど古代の人名はカタカナ書きが多いですね、今回私も少しネット検索や手元の資料で知りました。
返信する
懸命に (kenny)
2012-03-25 06:18:33
そうでしたか、よかったです。それは一旦引き受けたなら誠心誠意務められる。そして役目を全うされての爽やかさですよね。

私も懸命に役目をこなすタイプです。それも難しい(内容にもよりますが)方が勉強になる。仕事量の多い事も喜ぶべきと考えるようにしています。そうすれば前向きに取り組めるし本当に知らなかったことを知るチャンスです。

ポエムさんはさらに多くの方との交流が、とありましたね。私も前回の任務、今回でやっと団地の一員になれると思います。初めてお話する方の多い事!! もう40年近く住んでいるのにね・・・。

昨日宮古民謡を聴いてきました。三線の響きき・・・いいな。

コメントありがとうございます。
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