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郷土史、登山、スキーなどを写真と共に書き綴っております

Kennyの郷土史:野洲市内の遺跡

2012-02-26 15:44:45 | 古墳

発掘調査報告・現地見学に参加して
=我が家、もしかしたら遺跡の上にある?=   
         日記そのー1
    
   
 
              
(この日記の掲載期間:3月2日ー3月8日)


過日野洲市教育委員会文化財保護課主催
による標題の会が
開催されました
今日はその会に参加しての日記(感想文)です。

発掘される遺跡のここがわからない?
市内を歩いていると地面を掘り返しているのをよく見かけます。時には
その発掘で見つかる遺跡の歴史的価値が高くて記者発表ということも
あります。
それらの発掘はいったいどんな背景で行われているのか?
なんで大抵遺跡にはあれだけ沢山の穴(下の写真)があるのか等々
この際ちょっと勉強させて頂こう
と標題の報告、見学会に参加しました。

民家の地下は遺跡!

          
          住居跡が出てきた発掘調査の現場
          

この土地(上の写真)は埋め戻されて既に民家が完成し入居されて
いる。後方に見える住宅も地下は同様に住居跡が有ったのだろうか。

竪穴式住宅は室町時代でも
縄文、弥生、古墳時代そして室町時代に至っても竪穴式住宅が主だ
ったそうです。土地に穴を掘って柱を立てると云うやり方です。今の
ように礎石の上に柱を置くという建築方式はもっと後になってからの
ことだそうです。発掘現場のたくさんの穴はその場所で建物が何度
も建て替えられたことによるものだとも今回知りました。

個人の家が遺跡の上にあっても不思議ではない
遺跡が出てくるのは全てが特別な事ではないんやそうです。つまり
そこに縄文時代や弥生時代、その後もと人が住んでいたことの証とい
うわけです。仮に私の家が遺跡の上に有るとしたら、この場所にその
時代の人が住んでいてその後建物がなくなり長い年月で土砂が堆積し
て隠れていただけ、ということです。その遺跡の住民と私はたまたま同
じ場所に住んだという偶然です。そうやったんか! ちょっとでも遺跡
が出たら全て
一大事かと思っていました。

最近野洲市でまた一つ円墳を発掘


           市立野洲図書館横の発掘現場、見学会(野洲市)

発掘調査で古墳など
の場合もあります
発掘で出土するのは住宅跡だけとは限りません。今、市立野洲図書館
JR線寄りが発掘されています(上の写真)。どうやらそこは5世紀前
半の
古墳があったのではと最近分かったようです。

       
                見学会当日、出土品を見入る見学者

お饅頭の形じゃないの? 発掘された古墳
古墳って円墳ならお饅頭の形でしょう、なんで平たい姿で土の中から
出て来るの?です。理由が分かりましたし、
ちゃんと名前までついて
います。「削平された古墳」 と当日配布の資料の記載されています。
明治以降の開発によって基底部を高さ20~30cmほど残して上を
削って
しまったようです(とレジュメにあります)。
その土は上質だそう
で(豪族のお墓です)畑や堤などに有効利用されました。

明治時代の古地図にもその場所が古墳であったことが示されている
そうで、それが今回の発掘で証明されたわけです。


上の写真で円形に見える部分でその30cm程高くなって所が
古墳の
周囲です。 発掘調査の時でも容易にわかるそうです。

 
 近くの甲山古墳の内部にある石棺          同、大塚山古墳
     
どうして野洲には古墳が沢山あるの?
先ず野洲市に特別古墳が多い訳でもないらしいです。どの地域にも豪族
がその地を取り仕切っており古代近江でも豪族
は勢力を競っていました。
農耕が生活の基盤ゆえ水の豊富な川に近い土地に多くの人が住みます。
古墳時代の当時この地の首長(現在の野洲、守山市はやすうじ)が贅を
尽くし古墳を築いたのだと思います。銅鐸の時代(弥生時代)から古墳
時代に移行して首長は自らの権威を古墳を築くことで示したことにより
野洲にも本当にたくさんの(100基以上?)古墳があります。(以上は私
の感想)。
なお、
今回の発見で五世紀中も一帯を支配した豪族の大きな
衰退がなかったことが裏付けられたと解説の研究員さんのお話でした。


                  *************

  まだまだ面白いお話がありました。長くなりますので次週の
  「そのー2」で
日記(感想文)の続きを書きます

 お断り
     *このブログはKenny(野洲市在住)の私的な日記です。


     ここに記載の文言はお話下さったの先生方の内容を私の
     理解、
言葉で書き綴りました。聞き違いによる間違いなども
     あると思い
ますが、素人の日記とご容赦ください。 

     今回の調査報告、現地見学会では今日書いた部分でも
        学術的に
もっと内容の濃いお話でしたがここでは私の特
        に知りたい事項のみ記載しました。
     
   TOPの住居跡の一枚の写真は野洲市文化財保護課の資
         料から拝借しました。
     
    この日記(感想文)の掲載は主催者のご了解を頂いており
      ます。

     
         今日もご覧くださいましてありがとうございました。
      
      

       

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6 コメント

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知れば面白く、楽しみに・・・ (茲愉有人)
2012-02-27 11:22:06
興味深く読ませていただきました。
琵琶湖の畔や野洲川のような大きな川の近辺には、古くから人々が住みついていたのでしょうね。

森浩一氏の文を読むと、安土と能登川にまたがる「大中には湖南遺跡という名高い弥生時代の村があり」、当時の地形を復元すると、すぐ横が湖で舟の着く場所だったとか。「おそらく滋賀県と京都府全体では、一万に近い数の古墳があると思います」と書かれています。安土瓢箪山古墳や膳所茶臼山古墳は長さが100mを超える規模の古墳だったのですね。知らなかった。
また、吉田金彦氏によると、野洲の冨波遺跡大塚地区で、三世紀後半の西日本はじめての最古の前方後方周溝墓が昭和57年11月に発見されているのだとか。
野洲やその近辺には、いたるところに古墳や遺跡があるのでしょうね。

万葉集には野洲川を詠み込んだ歌があるというのを、吉田氏の文で知りました。

吾妹子にまたも近江の野洲の川安寐(やすい)もねずに戀ひわたるかも
  巻12、3157 (『新訓万葉集』下・岩波文庫)

野洲に近い蒲生野は、万葉集では特に有名ですね。額田王が作られた歌。

あかねさす紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る  巻1、20

野洲にも古代へのロマンがいっぱいありそう・・・・
郷土史にますます興味が湧いてくるのではないでしょうか。
また、ご紹介ください。

私は、いま、生まれ育った伏見と現在の生活圏宇治の歴史に関心を抱き始めています。
返信する
ありがとうございます (kenny)
2012-02-27 11:23:55
茲愉有人さん、いろいろと情報を頂きありがとうございます。実際野洲には古墳がたくさんあります。希望ヶ丘の(確か歩かましたね)北尾根縦走路にもいくつかあります(あんな尾根にも)。古代峠の大きな石も石棺らしいです。野洲は特に多いように思うのですが、当日の私の質問には明回はありませんでした。日記の古地図にある右端の濃い緑の古墳は保存されており見学も出来ます。野洲図書館のすぐ近くです。さて、今朝は野洲市も今シーズン初めての積雪です。5cm位dしょうか? Kenny
返信する
色々な足跡 (ポエム)
2012-02-27 11:25:31
嘗て野洲住民の私もとても興味深く拝見しました。深い知識を追いかけ、色々な分野に意欲的に行動に移されるKennyさんの好奇心、これはまさに若さの秘訣だと思います。

守山に住む友人が発掘の仕事をしていたので、時々話を聞き「腰が痛いのと違う?」と心配しました。ヘラで丁寧に土を剥がしていう作業にびっくりしました。
野洲には古代を探る史の後が潜んでいますね。

昨日から降った雪、20センチはあったかと思います。まだ道に一杯残っています。という訳で家から出られなく、ギターの練習に頑張れました☆
返信する
私もギターを横に置いてパコパコと (kenny)
2012-02-27 11:27:16
ポエムさん、おはようございます。面白いもんですね、幾つかが相乗してそのやっていることが継続しております。講座に出ていてもなんか真剣に聴いているのが可笑しいです。これが学生時代やったらちったー真面な人間になっていたのにと・・・(笑)滅多に居眠りすることがないんですなーー。コメント嬉しいです。記録として日記に残せる、そんな最近ですので目、耳に入ることをしっかりと見る、聞き漏らさないようにと、ちょっと疲れもしますが。でも疲れたら横にあるギターを。

18日は野洲も20cm程でしょうか、早朝早速三上山に。めったに見られない雪の山道、綺麗でした。ご指摘の通り元気だから気力もあるんですね、感謝の毎日です。またUPします。ありがとうございました。
返信する
本文と写真から触発されて・・・ (茲愉有人)
2012-03-02 22:14:58
改めて、ブログを拝見しました。

京都府木津川市にある椿井大塚山古墳が有名なので、「大塚山古墳」という言葉に惹かれてネット検索してみたら、同名の古墳が各地にけっこう沢山あるのですね。知らなかった!

ひょんなことから、野洲の大塚山古墳について、いろんな情報をネット検索で入手できました。

野洲市のホームページから、大塚山古墳(5世紀中葉)と甲山古墳(6世紀中葉)の間に、100年近くの開きがあるというのを知りました。
また、
大塚山古墳出土の鶏形埴輪について、広報やすの記事も入手できましたよ。
http://www.city.yasu.lg.jp/doc/seisakusuisinbu/kouhouhishoka/kouhouhishoka/files/12675.pdf

一方、大塚山第4次調査(平成14年10月19日 野洲町教育委員会)
の資料もネットに載っていました。
http://www.gensetsu.com/021019otukayama/doc1.htm
多分、これらの情報はご存じでしょう。
私は今回初めて知りました。

大岩山古墳群が、「小篠原、冨波、辻町に所在する8基の古墳(甲山古墳、円山古墳、天王山古墳、冨波古墳、古冨波山古墳、亀塚古墳、大塚山古墳、宮山2号墳)の総称です」というのも、ネット検索で明確な範囲として知ることができました。

もう一つ、すごいな!と思い、
かつ参考になり、これからも参考にできるのは、
石部南小学校のホームページです。そこの「郷土歴史」サイトを検索でヒットしたこと。
Kennyさんのブログを読まなかったら、アクセスする機会がなかったかも・・・・・
http://www.edu-konan.jp/ishibeminami-el/kyoudorekishi/201010200.html

滋賀県下には、主な古墳だけでも106基がプロットされた地図があるのですね。
このサイトで知りました。また、
次の二つの見解が併記されていて、興味深いです。

「丸山竜平氏は野洲川流域に分布する11基の前方後円墳を摘出され、首長権を11の古墳の主で持ち回りしていることを推定された。」

「昭和六十二年(1987)守山市川田遺跡から人物や馬形埴輪をともなった6世紀前半の前方後円墳が発見された。川田遺跡の時期は越前塚古墳から穴蔵古墳の築造期に相当しており、前方後円墳をこの地域における首長墓とするならば、6世紀前半の野洲川流域には二つの首長権が存在したことになり、首長権の持回りという直接的連続性はたどれなくなる。」

最後に、
住居についての記述に触発されて、ウィキペディアを検索してみました。

竪穴式住居
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%AA%E7%A9%B4%E5%BC%8F%E4%BD%8F%E5%B1%85
掘立柱建物
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%8E%98%E7%AB%8B%E6%9F%B1%E5%BB%BA%E7%89%A9
礎石(←礎石建物)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A4%8E%E7%9F%B3

ご参加の講習会では、住居の構造について、具体的にどのあたりまで説明があったのでしょうか?
興味があります。また、教えてください。




返信する
古墳はまだまだの段階でして・・・ (kenny)
2012-03-05 10:01:42
沢山の情報、ありがとうございました。現時点古墳については全く勉強は出来ていません。銅鐸研究会の催物で過去に二、三度ちょこちょこ付いて歩いた程度です。市のHP(文化財保護課)はじっくりは読んでいませんが幾つかは開いております。今日紹介頂いた情報も参考にこの際少し読んでみようと思います。今回の講座では住居の構造については全く触れられておりません。私から質問しましてそれを取り上げました。銅鐸博物館と同じ敷地に弥生の森公園があります。そこに竪穴式(弥生時代の住宅として)の住居が再現されています。HPにも掲載されているはずですが資料等が用意されているのかは現時点では情報をもっていません。出土品については次回のブログで取り上げます。市の調査報告書は(一般公開用)5月位にと確か仰っていたように記憶しております。

3月23日からの私のブログでは大岩山古墳群に付いて取り上げます。また覗いてみてください。実はこのような硬い記事はかなんなー、読まへんでー、とおばさまフアン(知り合いの訪問者)から怒られております。一旦さわやか分野を入れます(笑)。

ご丁寧なコメントありがとうございました。信州に出かけておりまして返信遅れました。
返信する

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