地元 野洲町(旧)内のお宮さん巡り
第一回目 八箇所のお宮さん
4人の爺さん(4Ji)、自転車を漕いで
Kennyの滋賀から情報発信
(この日記の掲載期間:3月18日~3月23日)
団地内の東屋で行動ルートを相談の後、出発です
この自転車を漕いで、の動機は?
提案者のTAMさんの嬉しいお誘い、地元のお寺やお地蔵さんを車でや
なしに自転車を漕いでお参りをしない? と3年前から。そうです、もうい
い歳なんで健康維持も兼ねてね。
その東屋 私達の団地から三上山が綺麗な三角形で仰げます
同じ団地に住んでもう40年以上
当初からお付き合いのあるTAMさん(ほぼ同年齢)は今までに湖東三十三所
観音霊場めぐりやお地蔵さんめぐり、「地蔵信仰」ですね、を立案してくれて
実行してきました。(このブログで掲載済) ありがたい仲間です。
3年目の今年(H.28年)、今度は 神社 です。
こんな事には特に目が無い私、今年も自転車を漕いで、運動を兼ねて神社
参拝を始めました。(4Ji: 4人の爺さん)
愛宕神社
私達の団地のすぐ近くです。毎年夏にこのお宮さんのお祭りで造り物祭が
開催されます。古くから伝わる、主に農具や生活用品を使って時代の話題
を表現します。
私の過去のブログ: 愛宕神社造り物祭
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八幡神社
この愛宕神社の続き(道路から見れば裏側)にありました。 長く住んでいますが、
知りませんでした!
八幡神社本宮
4人の爺さん
TAMさん
日頃、1/25000の地図を手に古代からの、また近代になって築かれた街
道も含め、街道があればそこを歩き、出合った様々(合戦であり、神社仏閣
等々)な歴史、風景に酔っておられるロマン派です。
YASさん
いったい何歳なの?と思うほどの若さです。野球ではバリバリの現役です。
また多くの仲間と交流されており文武両道の活躍です。証拠にこの遊びで
はナビゲーター役で、本当に市外でもよく道を御存知じです。
KAKさん
面倒見のいい方です。ボランテア活動も幾つかに関わっておられ、立案か
ら実施に移されています。特に児童の成長に関心を持たれて、登下校の
安全監視の他、仲間と畑を耕し、収穫物を児童と語り(時にはふるまい)
情操教育に活用されています。
私、Kenny
特徴無し、特技なし。 自称ダボハゼのKennyで、一体何が趣味か?
です。ハゼさんごめんね。m(_ _)m
次は、団地から離れ、自転車を飛ばしての神社です
野洲町(旧)とは、野洲市になる前の町名で現在は旧中主町と合併してい
ます。入手の寺院リストは昔のもので、そのリストから先ずは旧の野洲町を
回ります。
新川(にいかわ)神社
結構広い境内です 注連縄 と「勧請吊り」 が見えます
樹齢何年? 風格の大木です。 途中で道を聞きました。和菓子屋さんです。
KAKさんがそこで気配りの桜餅を購入、おすそ分けをいただきました。
行事神社
勧請吊りがここにも
勧請(かんじよう)吊り
村境で危険なものの侵入を阻止しようと、正月に村境に太いしめ縄を張る勧
請吊り は近畿地方に多く、滋賀県では湖南に特に多いと聞いています。 当
地、野洲市ではいたるところ(主に神社)で見られます。ちなみに私の里、湖
北では見たことがないですね。
今日(3月19日の追記です)
車で野洲市内を走っていましたら、神社ではなくて住宅街にありました、勧請
吊りです。散歩中の超ご高齢の紳士がお話し下さいました。 凄い記憶力に
脱帽、年代、人名をスラスラと!
「昔、ここは沼だった。大蛇が現れてこれを ふじわら の しげただ(*)の 軍団
が退治。以来もう悪いことが起こらないように吊るしたと伝わる」とのことです。
丁寧にこの地の歴史を教えてくれました、感謝です。(*)藤原 重尹 のこと?
上下の勧請吊りに 矢 の形のものが付いています。
村の長老、いや地元の方で私達もよく知っています。 道を教えて貰います
さすがは長老、祠だけが残る 神明社 にいとも簡単に辿れました
この灯篭の文字でここで正解~、と
この神社の周りには二箇所に灯篭が、また今はでは民家の敷地内に祠も
ありました。どうやら元は境内で大きな神社ではなかったか、と四人は俄
か考古学者になった積りの結論です。 間違っていてもなんの責任も発生
しない、気楽な老人(本人は全員老人とは思っていない)の集まりです(笑)
稲荷神社
壬申の乱、それは660年代後半、都を近江宮へ移していた天智天皇亡き後、
瀬田橋の戦いなど大混乱の時代を迎えます。結末は近江朝廷軍が大海人
皇子に大敗し大友皇子が自決、乱は収束しますが、多くの戦死者が出たの
は伺い知れます。その乱に由来する神社だったのか~、です。
神社の前を国道8号線が走ります。 でも大きな境内、静かでとってもいい雰囲気です
日吉神社
今日もご覧くださいましてありがとうございました