対馬、山間部が89%
山また山、釜山が見える、史蹟も多様
国境の島、対馬ってこんなところでした
島の風景、歴史、史蹟を2回に分けて
(この日記の掲載期間:11月27日~12月3日)
烏帽子岳展望台 看板のいち部分 (数字の赤い線は私の記載)
対馬: 日記 その1 風景編
風光明媚な島
韓国 釜山まで50km
人工開削で地続きの島が上島と下島の二つに
無数の島に囲まれて
南北に82km、東西に18km
山とトンネルの島
石で葺いた屋根の建物:石屋根
韓国からの観光客
標識はハングル文字併記
近いです対馬 大阪から機内にいる時間は1時間半
(大阪伊丹~福岡or長崎~対馬)
リゾートホテルの部屋から日本海が
イカ釣り船と夜明け
海から日が昇る、初めて見ました イカ釣り船が引き上げて
島の北端 鰐浦: 韓国 釜山まで50km
韓国展望所(鰐浦)から釜山が、でも昼(この日)は霞んで見えない・・・
手前は海栗(うに)島
展望所にこんな写真が用意されていました
夜は晴れておれば釜山の灯火が見えるそうです。 空港近くのホテルから車で
片道2時間、さすがに再訪は止めておきました(笑)。
島の北東端にある韓国展望所
島の南端: 豆酘崎(つつさき)
豆酘崎 岩礁と白い灯台
豆酘崎は対馬の南西端の半島、朝鮮海峡と対馬海峡の分岐点で、点々と続く
岩礁の先に立つ白い灯台が珍しいです。昔からこの周辺は厳しい水路として知
られているが、ときおり手前のブイの間を漁船が悠々と通り過ぎるそうです。
島の南西端の半島 豆酘崎
万関橋(まんぜきばし): 対馬は元の一つから二つの島に
万関橋は1900年(明治33年)に旧日本海軍が艦船を通すために開削した人工
の水道に架かる橋で対馬の上島と下島の二つの島を結ぶ橋です。 なお厳密に
は対馬は江戸時代に大船越瀬戸水路も切り開かれているので南北に三つの島
です。(人口開削水路の詳細は末尾をご覧下さい)
人口開削された水道
掲載の地図、右の写真(HP)は対馬観光物産協会から拝借
赤い文字は私の記載
山、トンネル
レンターカーで二日間、島の北端から南端までナビを頼りに走り周ります。
山のてっぺん、お城跡、寺院などなど。道中、山間部、トンネルがとって
も多いです・・。
対馬 山また山 リアス式の海岸 (対馬観光物産協会のガイドマップから)
中央に空港 その下方に 万関橋、人工水道(上・下島の境)
島また島
上下の写真: 烏帽子岳 山頂展望台から 島と山 その山裾に点々と民家が
山また山
平たい石で葺いた屋根 石屋根(椎根)
対馬でしか見られない珍しい建築物だそうで、板状の石の屋根、高床式の倉庫
上下の写真: 空港にはこれこそ国境の町という、雰囲気が溢れています
観光地はもとより、道路標識も場所によってはハングル文字で
上記情報源: 対馬観光物産協会のガイドマップ、ウィキィペデア
次週はそのー2、史蹟編をUPします。 動植物はあまり関心がなく、今回は
省略です
今日もご覧下さいましてありがとうございました
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ご参考:
万関橋、人口掘削
初代の橋は1900年(明治33年)に架けられ、2代目は1956年(昭和31年)に架けられ、
今の橋は3代目で1996年(平成8年)に架けられたもので橋長 210.0m、橋巾 10.0m、
高さ 25.5m。
現在、朝鮮海峡と対馬海峡を結ぶ水道はこの万関水道と寛文12年(1671年)に造られ
た大船越瀬戸の2ヶ所があります。
もともと対馬は全島が地続きで1つの島でした。朝鮮海峡から対馬海峡に通じる瀬戸として、
1671年(寛文12年)に宗義真公(21代藩主)がここを堀切り、通行の便を開きました。この
大船越瀬戸の南は数百メートルで対馬海峡になるのですが、北は浅茅(あそう)湾の奥深く
入り込む入江になっており、朝鮮海峡に出るまでは15Km程度あります。
明治33年に、この大船越瀬戸では浅くて軍の艦船が通せないと、 旧日本海軍が艦船を通
すために掘った人口の水道である万関水道が、ここより約2キロ北にあります。 今は大船越
瀬戸と万関水道の2ヶ所で朝鮮海峡と対馬海峡の間を船が行き来できますが、大型船は万
関水道を通るようです。