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Kennyの歴史探訪:北畠具行最期の地を訪ねて

2013-11-02 06:45:40 | 郷土史

 北畠具行最期の地を訪ねて
=南北朝内乱の史跡:中山道柏原宿=
          Kennyの滋賀から情報発信
       (この日記の掲載期間:11月8日~11月14日)
 
           中山道柏原宿                     歌川広重、中山道六十九次柏原宿

南北朝内乱?、北畠具行(ともゆき)
一から辞書を引ないと・・・。南北朝は何回も聞いたことは
あるけど、中身はぱーっとは出て来ません。また元弘の乱
も出てきます、今日の北畠具行のお話にはね・・・。

 
             北畠具行のお墓                              お墓は正面奥にあります

なんで今、北畑具行について?
この元弘の乱も滋賀県は非常に関係が深いものですからいつか
記録しておきたいと思っていまして、今回取り上げました。
実は過日、京極氏の菩提寺、清滝寺徳源院にを訪ねてこのブロ
グで感想文をUPしました。その時に初めて北畠氏について知り
ました。そのお墓が同じく、滋賀県米原市にあります。
でもどうして
ここにお墓が? 
京極氏の菩提寺、清滝寺徳源院 に関する私のブログは ここを

 
   清滝寺の京極氏歴代の宝篋印塔    同、
京極高次(お初さんの旦那)

そこに北畑具行のお墓がある理由をまず
元弘元年(1331)、後醍醐天皇が鎌倉幕府の打倒計画を立てる
と、側近の北畠具行はその主要メンバーの一人とな
りました。
しかし、この計画は失敗し、具行は鎌倉幕府に
捕えられました。
これを元弘の乱と言います。翌元弘2年、
具行は京極高氏(佐々
道誉)によって鎌倉に護送される
こととなったものの、その途
中で幕府から斬首の命令が下
されました。
北畠具行についてはの詳細はここを



              清滝寺にある5代、京極高氏(道誉)の宝篋印塔 


その時

具行の処刑を命じられた高氏は、死に臨んでの具行のりっぱな態
度に感服し、またその才能を惜しんで、柏原宿(清滝寺)に一ヶ月
ほど逗留させました。しかし、高氏の幕府への嘆願も空しく具行は
斬首されることとなり、ともに別れを惜しんだと伝わります。

     
                   お墓の宝篋印塔      現地案内板(拡大します)

そして、具行斬首15年後の貞和三年(1347)、東山道沿いの丸山
に墓(宝篋印塔・ほうきょういんとうが建てられました。建立は道誉
の家臣で、具行を処刑した田児六郎左衛門と伝わります。
       (宝篋印塔
は、墓塔・供養塔などに使われる仏塔の一種で、
         五輪塔とともに、石造の遺品が多い:ウィキィペデアから引用)


アクセス
東海道線JR柏原駅から中山道をゆっくりと散策して現地を辿るの
も趣があります。直行でも歩いて30、40分程で行けます。道順は
駅にパンフレットが完備です。
 
  駅で入手の地図です(拡大します)          道標があります

滋賀県は歴史の宝庫、史跡がなんぼでも
ほんとうにちょっと歩けば文化遺産のその場所に立っている、そん
な滋賀県です。歴史の宝庫と実感、滋賀県生まれ育ちの私も暇を
もて余すことなく相変わらず歴史探訪を続けております。でもメモっ
ておかないと直ぐに忘れるので、ブログに記録しておりまます。

他にも滋賀県には私の住む野洲市にも今日のお話しと同じ類の史跡
があります。
源平合戦、壇ノ浦で敗れ 生き延びた平家の超重要人物
平宗盛、清宗父子が斬首された所で 親子の胴塚が保存されています。 
          その詳細、背景についての私の関連ブログは ここを

滋賀は国宝やお城の数が抜群です
国宝、重文の数は日本で4番目で(東京は各地の特に貴重な宝を集
めて管理、公開する役目で数は一番やそうですが)、東京を別にすれ
ば、京都、奈良に次いで3番目の多さです。また国宝の彦根
城の他、
城跡は1300箇所が確認されており これも全国で1、2番です。そん
な背景から、これからも滋賀から、私だけの記録だけに留まらず、情
報発信をして行きたいと思います。どうか引き続きよろしくお願いします。


   今日もご覧くださいましてありがとうございました


              **********

                      写真展のお知らせです

 

      私、Kennyも2点参加します。お近くにお越しの節には
    どうか
お立ち寄りくださいね、お待ち致しております。
                                                      (Kenny)

       



 

 

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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
ご無沙汰してます (八幡遊人)
2013-11-09 08:31:45
Kennyさん、おはようございます。
朝晩冷え込んできました。でも元気に活動されているご様子、また楽しく拝見しました。
釣りについては私も素人、子供が小さいころさびき釣りには連れて行った記憶がありますが、。さびきは技術もいらなく素人でも楽しめますね。潮時により釣れかたは極端に変わりますが。
釣りのあとはまたまた歴史のお話で、幅広く楽しめました。南北朝の時代の知識はほとんどありません。また勉強の課題が増えました。
でも中山道ののんびり散策は面白そうです。私も一度行ってみたいと思いました。
次回も楽しみにしています。
返信する
こんにちは、八幡遊人さん (Kenny)
2013-11-09 15:50:03
八幡遊人さん、いつもコメント頂きありがとうございます。どうみても勤勉な方ですので、コメントをいただく時は冷や汗ものです。取り敢えずは私の向学にと思い取り上げてはおりますが、こんな話もあったんだとのきっかけになれば嬉しいです。

旧街道といえば、過日中山道を自転車で走ってきました。そうしたら水口に「横田渡し」なんていう特に江戸時代には重要な意味をもつ場所に出会いました。次週にちょっと記録に留めたいとUPします。

考えてみればありがたいチャンスを貰ったと、孫といえどかなり感謝をしております(笑) なんとか年内には琵琶湖でバスを釣って一矢を報いたいとます。 

最近ですが、山で膝を痛めて(経度です)、8月半ばから県の探索(見学の歩行を伴う企画には)に参加できないのが残念です。

ありがとうございました。
返信する
素晴らしい歴史と史跡! (ちひろ)
2013-11-13 21:24:39
kennyさま、こんばんわ。
滋賀県には多くの歴史と史跡があって、kenny様のご紹介で知り得る事は素晴らしいです!
何年か前に文化祭の企画で天保義民のお芝居を脚本とプロデュウスした折には、野洲川横田橋河川から船を出す筋書きにしました。JA本部から取材にこられた想い出があります。
先人方のご苦労の歴史があって今の平和があるのですね!
滋賀県は素晴らしい処です!
これからも拝読させていただくのが楽しみです!
返信する
なんと! (Kenny)
2013-11-14 05:49:34
ちひろ様、おはようございます。なんと、あのお芝居の、私も鑑賞した地元の方が演じたあのお芝居でしょうね。 その脚本をですか!! よく理解出来ました。滋賀県を愛して下さり、滋賀県を歩き、またこのように、本当に聞きかじりの ほんの触りのブログにコメントをくださる。 とっても嬉しいです、ありがとうございます。 天保義民、過去にちゃんと知っておこうと取り上げました。間違いだらけかな❓ お時間のある時に見ていただければ幸いです

私のブログの天保義民:http://blog.goo.ne.jp/yamaski2590/e/268e0f9eb4cfc53924294a190662ddcb

ちひろ様の写真作品です。過日、落ち葉でしょうね、見事な作品を貴HPで見せて頂きました。光を綺麗に使って、バックも素晴らしいです。 以前から(言葉は悪いですが)ただ者ではないぞ、と。こちらも相当なお方とお察しいたします。 感動のあまり、HPの掲示板にコメントしましたが、うまく届かなったようです、ブログの方でと再挑戦と思っていましたが、そのままになっております。すみません。 ありがとうございます。 Kenny
返信する

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