趣味・興味プラス挑戦

郷土史、登山、スキーなどを写真と共に書き綴っております

Kennyの郷土史:滋賀から情報発信:敏満寺

2012-11-05 19:22:53 | 神社・仏閣

 名神多賀SAは大寺院の中に
  =そのお寺は敏満寺、でも今は遺跡=
   よく利用する多賀SAが大規模寺院の遺跡内にあったとは!


      今回も滋賀県の研究員さんのご案内で

            
(この日記の掲載期間:11月9日~11月15日)


      名神高速道路 多賀サービスエリア(SA)

先ず下の写真を
名神高速 多賀SAがお寺跡の中にあるとのことですが実際にそこに
立っても全く何も感じません。ところが上空から見るとこんな具合です。

     
                 多賀SA周辺の航空写真 (現地看板)    拡大写真でご覧ください
                                                                             (ここをクリックしてね)

SAの敷地の一画には唯一
土塁や櫓台跡を今も見ることが出来るます。ん? それっ
て城跡と違
うんかい? そうなんですがやっかいな事にこんな出来事があったんや
そうです。

実はそのお寺は戦国時代に浅井軍が先ず最初に そして次に織田軍
が攻撃をかけて焼き払い廃絶してしまったんです。400年以上も前の
話でそれで今は寺は遺構だけが残っています。奈良時代の建立らしい
ですが大寺院やと云うのになんちゅう事をするんやと思いますね。

当時お寺は戦国大名にとってはあなどれない怖い存在で大きなお寺
叩いておく必要があったのです。信長の比叡山焼き討ちもその類
です。
浅井や織田軍はお寺の一画を砦として使ったのではとの事です。


               今も残る土塁


          櫓台跡(東屋の側)  空堀(右の谷の部分)

この城跡は上り線(大津から彦根方面)の多賀SA 北端
スターバ
クス(コーヒ店)の続きにあり公園として開放されています。これが
城跡?と思われるかもしれませんがSAで休憩時に土塁、虎口、空堀
って(Kennyが日頃知ったか振りしとる)こんなんかいとちょっと覗いて
みてください。


敏満寺とは
今回の講座 現地見学会でこんなにも大きなお寺の存在を知りました。
そのお寺は敏満寺(びんまんじ)と言いますが場所は上述のSAの周辺
で多賀大社の近く(歩いて約20分ほど)です。巨大な本堂や30棟を超え
る諸堂が建並ぶ大寺院だったようです。このお寺は廃絶しましたが胡
宮神社(このみやじんじゃ)と福寿院は今も残っており見学も出来ます。
 

                      現地で撮影、拝借しました

               
                         解説板            五輪塔(当時東大寺より寄進)                  
                      
敏満寺や廃絶については上の現地で撮った案内板をご一読ください。
               (上の写真も拡大します)


名神高速道路はお寺の真ん中を切り開いて
今日の日記は講座の主題(テキストの題名:文末に表紙写真)ではなく副題
くらいかな、でもこの地に延暦寺(比叡山)よりも規模が大きいとされる
お寺があったこと、そのお寺の跡に名神
高速道路が通り 多賀ービ
スエリア(SA)まで設置されていたことを知った方が
Kennyにとっては
もっともっと面白
いのでこの話題を日記に残しました。

 
   広大な境内(今も残る胡宮神社に展示の写真拝借)    拡大してご覧ください

このお寺の遺跡で今も実際に見る事が出来るのが仁王門跡です。
礎石は焼け焦げたと思われる跡も伺えます。それは高速道路の橋桁
の下にありました。


           仁王門跡
 
今回の講座、見学会
佐々木道誉と本拠地の勝楽寺、敏満寺内に今も残る胡宮神社、さ
らには多賀大社、その他の見学も含まれていました。 胡宮神社では
平清盛 河上皇御落胤(ごらくいん)を物語る古文書 仏舎利相承
(ぶっしゃりそうしょうず)が伝わっており そ
のお話もありましたがまた別
の機会に取り上げたいと思っています。

滋賀県文化財保護課では
毎週のように講座(安土城考古博物館も含めて)や現地見学会を開催
して下さいます。 郷土史を少しと思っていました私にとっては本当にあ
りがたいことです。毎回ご案内くださる県の専門研究員の皆様、また
現地
では地元の自治体の研究員さんやボランテアガイドの皆様も丁寧
解説に加わってくださいます。 だれでも参加出来ます。お問い合わ
せは先は滋賀県教育委員会文化財保護課(滋賀県庁内)です。

  
  県から配布の冊子、他にも見学地で         敏満寺に向かって歩く私達  この日は10km
   多くの資料を頂きました             程歩きました。 これもまた有難いです 
    

      今日もご覧くださいましてありがとうございました

コメント (4)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« Kennyの伊吹山レポート... | トップ | Kennyの山歩き:小堤城山ーそ... »
最新の画像もっと見る

4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
参加できなくて残念 (茲愉有人)
2012-11-09 11:16:00
この敏満寺跡の現地見学は、11月3日の探訪の一環ですか。
参加したかったのですが、義兄七回忌法事と重なりやむなく見送りでした。
その寺跡、あるネットで以前拝見して一度現地を訪れたかったのですが・・・残念!

やはり、一度現地を見てみたい。
高架の下の仁王門跡、空堀、航空写真が並ぶと一層その気が強くなりました。

次回のご説明を楽しみにさせていただきますね。


敏満寺仁王門の説明板を読むと、信長が残りの堂塔を焼き払ったとか。『信長公記』の元亀3年のところには記載がありません。記録するほどの重みももはやない戦の中の一コマの敵対者潰しだったのでしょうか・・・
敏満寺が宇治(平等院)とのつながりがあったというのをおもしろく感じました。

関心を持った点があります。中写真の「敏満寺の歴史」には、「敏満寺の胡宮神社は、」とあります。敏満寺が全盛の頃は、敏満寺が神社を併設していたという意味なんでしょうか。左写真の説明板では、「焼け残った唯一の福寿院は胡宮神社の別当となっている」と記されています。こちらの表記では、神仏習合で神社の別当寺になってしまったというようなニュアンスを感じます。力関係が逆転したようなという感じ。
神社と神宮寺・別当寺の関係というのは、どういう力関係だったのでしょか・・・・興味深いです。

さて、左写真の説明板に、「依然から礎石が五個露出しており・・・・」って書いています。しかしやはり「依然」は「以前」でしょうね。「旧態依然」という慣用的表現で使いますね。「依然から」という表現はちょっとおかしいのでは・・・・そんな気がします。余分なことですが。





返信する
結構良かったですよ! (kenny)
2012-11-09 19:35:44
そうでしたか、それぞれの時代の面白いお話に満足の一日でしたよ。12kmも歩けたのも本当に有難いですね。K、M両先生ともお話(質問)がその間に出来ますしね。

信長公記に記載がないとの事、「記録するほどの重み・・・敵対者潰し」なるほど、そうなんでしょうね。

神仏習合をもう一つよく知らない(まだ勉強が出来ておらず)のですが、敏満寺と胡宮神社はその典型の様ですね。で、敏満寺がこの場合は上(の表現が正しいかは?ですが)に位置していますね。ただもう少し明治の神仏分離までの流れの勉強を要します(笑と冷や汗)。

依然、気が付きませんでしたがこれはどう見ても明らかな間違いでしょうね? 茲愉有人さん、コメントありがとうございました。 

追伸:やっと今日内勤(午後)の時間が出来ました。貴レポートこれからゆっくり読ませて頂きます。
返信する
神仏習合に、、、 (ポエム)
2012-11-10 17:46:13
今回も興味をそそられる講義で、Kennyさんのワクワク感が伝わってきます。多賀のSA付近に歴史が!色々ありますね。土塁、空堀という言葉も、何度かお聞きして、写真を見て「これだ」と私にも思えるようになりました。知識UPです。
「神仏習合」、この熟語をつい最近中の孫の宿題に出て来ました。孫の書いた漢字は「神仏集合」? 面白い発想に皆で大笑いしました。
返信する
ワクワク感、そうなんですね (kenny)
2012-11-11 18:47:44
そうみたいです このアニメちょっと変(ふさわしくない)ですが今では歴史講座、現地見学会はこんな感じでものすごく楽しみなんです。つまりワクワク、そうかもれません。 登山も今は明日登山だとワクワクします。

ねー、土塁なんてこの講座で覚えた言葉です。変な表現ですね。でもポエムさん、小学生とはいえ(ん? 英語を教えていると確か以前に!、なら中学生?) 勉強を見てやっている、これも凄いですね。 

コメントありがとうございます。
返信する

神社・仏閣」カテゴリの最新記事