稲沢操車場のキュウロク(その3)
昭和43年10月の白紙ダイヤ改正が迫った8月の暑い日、3回目になる稲沢操車場のキュウロク撮影に行った。
来たるダイヤ改正では大幅な無煙化が計画され、当地から蒸気機関車が消えるのも時間の問題とされていた。
実際にはディーゼル機関車への置換えが順調に進捗しなかったので、その後の約3年間はキュウロクが活躍した。
4軸のディーゼル機関車DD13形では制動力が不足し、重量貨物のハンプ作業に不向であったことによる。
ゆえに、41年から製造されたDE10形が本格的に配備されるまで同操車場のキュウロクは生き残った。
44年から46年にかけて徐々に廃車されたが、北海道に転戦していく車両もあった。
キュウロクはD51に次ぐ車両数が製造され、この時代でも全国でナンバーツーの稼働車両数を保っていた。
蒸気機関車終焉まで残っていたのはキュウロクである。
真夏の操車場ではこの日も変わらぬ日常が待っていた。小さな動輪のキュウロクが小走りするかのように動き回る。
煙のなか、真夏の稲沢操車場
19653はじめ4両が写っている
19653の貨車入換作業
29643の貨車入換作業
79643に続いて高山機関区から転入した79642 名古屋鉄道管理局内でキュウロクが走るのはここのみになった
見たくなかったDD13とのショット
1968.8 稲沢操車場
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