ヤンマ探索記

トンボの観察記録です。

タイトルはヤンマですが、トンボなら何でも撮ります。
勿論、ヤンマが優先です。

昭和40年代前半の鉄道写真(94・中央西線電化の記録㉝)

2016-03-08 | 昭和40年代の鉄道(中央線他)

中津川以北 早春の木曽谷

昭和44年3月24日、須原・倉本間4.8キロで撮影。前回の続編である。下り貨物667レを撮影して先を目指した。

下り列車は木曽川沿いに数箇所の急曲線区間を北上、須原の1.5キロ先から16.7‰を約1.5キロ進み20‰勾配を行く。
20‰区間は大桑村から上松町に入る辺りで、その先は倉本直前まで緩やかな上りが続いた。

10時半頃、遠く特急"しなの"が姿を見せ、S字カーブを登ってきた。右手奥が先程撮影していた地点である。

キハ181系下り11D特急"しなの" 




須原で特急の通過待ちをして下り貨物列車が来るが、ケーブルが邪魔で山側からは撮影できず、場所が定まらない。
移動時間がなく山を見上げて撮るしかなかった。線路脇のケーブルにはこの先の行程でも散々悩まされた。

D51-249[中]牽引の下り貨物6651レ


この後は1時間近く列車が来ない。歩を進めて11時半頃の上り、下りのDC急行を待った。

キハ58系上り804D急行"きそ"2号


上り急行と須原で交換してキハ91系の下り急行がエンジン音高らかに上り勾配をやってきた。
43年10月のダイヤ改正以降、キハ91系の下りは"きそ"3号で運用されていた。

キハ91系下り803D急行"きそ"3号


2両目に先行試作車を連結


須原11:50発の下り旅客列車はDL。朝方撮影した上り旅客824レ牽引のDD51が中津川から折り返してきた。

DD51-627[稲一]牽引の下り松本行827レ


先に進む程、何本ものケーブルが目立った。上り勾配に拘って先を急いでいたので戻って撮影する選択肢はない。
下り旅客から約10分で下り貨物が続行するので、そもそも移動は困難な状況。しっくりこないまま正午を過ぎた。

大概の下り貨物列車は須原で長時間停車するダイヤが組まれていた。この691レの停車時間は約50分である。
須原でカマ替えを行っていたようで、倉本から先の急勾配に備えて一息入れることが欠かせなかったのであろう。

D51-495[中]牽引の下り貨物691レ


大桑村と上松町の境辺りまで来た。倉本まで残す所2キロ足らず。
12時40分頃、上り貨物が絶気で通過。朝方の下り貨物667レを牽引した501号機に再び出会った。
667レは木曽福島から重連運転になる。木曽福島で機関車交換し中津川からのD51は折返しの運用がされていたようだ。
かつて当機に設置されていた重油併燃装置は中津川機関区転入後に取り外された。

長工式デフのD51-501[中]牽引の上り貨物656レ


下り2801D急行"赤倉"が通過して十数分後の13時頃に下り貨物が来る。連続16.7‰から20‰勾配に変わる辺りで待った。
ドラフト音が高まり、やがて安全弁を吹き上げてD51が姿を見せた。ここでもケーブルに翻弄され構図が限られた。

D51牽引の下り貨物669レ



1969.3 須原・倉本

次の上り旅客830レはDL、撮影は見送って13時半頃に倉本に到達した。駅の南側の丘から上松方面が一望できる。
倉本から小野ノ滝信号所まで複線化が完成済。単線区間での撮影を優先していたのでこの区間は歩いていない。

下り貨物669レは須原に約40分、倉本でも約20分停車するので黒煙を上げて20‰勾配を行く後ろ姿に間に合った。
倉本から先は20‰が5キロ以上続く。この時間帯、補機を付けた貨物列車の運行はなかった。




1969.3  倉本・上松

14時過ぎ、下り貨物列車が倉本直前の20‰を完全燃焼で登ってきた。喘ぎながら丘の横から顔を出す。

D51-245[中]牽引の下り貨物6671レ


複線運行はしていなかったようで、交換待ちで倉本に停車。木曽川沿いに下ってくる上り貨物694レが左端に見える。

倉本停車中の下り貨物6671レ

1969.3 倉本駅

須原方向にしばらく歩き、次の下り旅客列車の撮影場所を探した。フイルムが残り少なくなっていた。
14時40分頃、まずは季節列車上り急行"ちくま"がやってきた。この時季は7両編成でDD51単機の牽引であった。
牽引機は43年に長野運転所に新製配置されたうちの1両である。

DD51-594[長]牽引の上り6812レ臨時急行"ちくま"2号


"ちくま"2号と須原で交換の下り1801D"ちくま"1号が通過、その先の大桑で交換する須原14:58発の下り旅客を待つ。
D51が11.4‰を軽快に登ってきた。829レは後部に回送の気動車2両を連結した奇妙な列車であった。

D51-125[中]牽引の下り長野行829レ


気動車は木曽福島からの上り列車増結用であったと思う。

回送のキハ17の2連

1969.3 須原・倉本

再び倉本に戻った。上り2802D急行"赤倉"が通過、上松で急行の通過を待って後を追う上り旅客列車は重連である。
倉本発15:34、丘の上から発車シーンを撮影した。D51重連がゆっくりとホームを離れる。

D51-274[中]、D51-549[中]重連の上り松本発名古屋行832レ








そのまま、続行する上り貨物列車を待った。ところが、この日は運休で機関車の回送。惰行で倉本を通過した。
先頭は朝方825レを牽引した402号機、塩尻から引き返してきたようである。

この後、倉本16:26発の松本からの上り普通気動車に乗って名古屋に帰った。長い一日であった。

D51-402[中]、D51-430[木]重連 4652レの上り回送

1969.3 倉本駅


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