加太越え 昭和44年9月(その1)
昭和44年9月28日、前回から約1年を経て2度目の加太越え。この日は加太から柘植まで歩いた。
名古屋から湊町行331Dで加太に9:39到着。10月の改正前で、列車ダイヤは不定期の一部を除いて前回と同じ。
前回の経験からすると、大築堤近くまで行って加太停車中の荷物列車を待ち受けるのが一番効率がよい。
発車は10時少し前なので約20分後、大築堤手前まで2キロ半はある。すぐに駆け出して何とか間に合った。
爆煙とともにD51牽引の荷物列車が遠く姿を見せ、回り込みながら板谷川橋梁を渡って直線区間に向いた。
左方の加太小学校の木造校舎が見える先から加太トンネル内まで、25‰の上り勾配が4キロ以上連続する。
ベストポジションで煙がどう上がるか気を揉まされるが、大築堤よりもこの眺望が好きであった。
D51ー403[奈]牽引の下り荷物41レ
やや風が強いが、願い通り煙が力強く上がった。走った甲斐があった。
重油併燃装置、集煙装置付の奈良運転所のD51の牽引である。
当時、D51は奈良運転所16両、竜華機関区11両、亀山機関区6両の配属でいずれかが加太越えを担当していた。
奈良運転所のD51は全て重油併燃装置付であったが、竜華、亀山機関区のD51は装備していなかった。
大築堤入口まで辿り着くと下り荷物と中在家信号所で交換した上りDC急行が下ってきた。
キハ58系先頭のキハ55系混成5連 上り湊町発名古屋行202D急行"かすが"1号
上り急行と交換待ちの下り貨物列車は10時20分頃加太を発車。ここまで10分程かけて上ってくる。
他の撮影者がいたのか、この後加太トンネルの柘植側に向かうためか、何故か大築堤の手前で待った。
シールドビーム装備のD51が大築堤に向かってきた。本務機は今度も奈良運転所の機関車であった。
D51-1007[奈]牽引の下り貨物783レ
安全弁を吹き上げてD51の後補機が押していく。この後追いが気に入っていたのかもしれない。
後補機が大築堤先の切通しに消えていくのを見届け、加太トンネルの柘植側に向けて山道を歩き始めた。
1969.9 加太・中在家信号所
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