ヤンマ探索記

トンボの観察記録です。

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昭和40年代前半の鉄道写真(47・近鉄)

2015-03-23 | 昭和40年代の鉄道(近鉄)

<近鉄>吉野特急

昭和40年、阿部野橋・吉野間の特急に16000系が登場。狭軌の南大阪線、吉野線における初の本格的特急車である。
モ16000、ク16100の2両1編成で2編成が製造されて6往復で運行を開始。翌41年に1編成を増備した。

16000系は、当時主流であった新エースカー11400系を基本に、同線の車両限界に合わせて設計されている。
特急の表示板は従来仕様のものであるが、前面の塗分けは異なっていた。同時期に登場した18000系も同様である。

以下は、43年7月に阿倍野橋駅で撮影した写真。

当初の塗分けク16100先頭の2連の吉野行特急


ラビットカーと呼ばれた6800系。32年製造の南大阪線用、両開4扉の高加減速の高性能通勤車である。
登場時はオレンジバーミリオンに白線の塗色であったが、すでに近鉄標準色に塗替後であった。

ヘッドライトの間隔が狭い1次形モ6811の準急

1968.7 阿倍野橋駅


<近鉄>奈良線の無料特急

奈良線は、大正3年に近鉄の前身である大阪電気軌道が開業した上本町・奈良間の標準軌600Vの路線であった。
31年に上本町・布施間を複々線化、大阪線が奈良線から分離して昇圧化されるまで、同区間は大阪線と共用された。
以前の大阪線の電車は、この600V区間において低速走行を余儀なくされたといわれる。

43年7月、上本町駅で撮影した8000系特急の写真。奈良線は44年に1500Vに昇圧され、その直前になる。
8000系は、39年の新生駒トンネルの完成に合わせて製造された通勤形大型車で、両開4扉の20m車である。
奈良線の特急は、当時の近鉄で唯一特急料金が不要であった。

鹿のヘッドマークを付けたモ8046の奈良行特急




新型通勤電車の当初の塗色、ベージュに青帯のモ8029の普通

1968.7 上本町駅

41年3月、大和西大寺駅で撮影した800系の写真。
800系は、30年製造の600V用初の高性能通勤形電車で、2扉の18m車である。
非貫通流線形でマルーン塗色にステンレス帯の外観。上本町・布施間の複々線化を機に奈良線初代特急に使用された。

西大寺駅停車中のモ809の準急

1966.3 大和西大寺駅


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