名古屋・多治見間 愛岐トンネル
高蔵寺・定光寺・古虎渓・多治見と進む。
定光寺・古虎渓間が県境で、古虎渓は岐阜県多治見市になる。
多治見までの複線化は、昭和37年の市街地の立体交差を伴う金山から大曽根間に始まり、39年に高蔵寺までが完成。
その先は遅れ、瑞浪電化開業が迫る41年3月に完工した。定光寺手前からの峡谷区間が難工事であったことによる。
急勾配はないものの、旧線の高蔵寺から多治見間の玉野川、土岐川沿いには13基ものトンネルが設けられていた。
トンネル群は明治33年の名古屋・多治見間開業時の建設で劣化、地形上からも別ルートの新線建設が不可避であった。
この区間12キロに6基のトンネルを新設して、大部分を複線の新線に付替える工事が進められた。
定光寺・古虎渓間に中央西線最長2910mの愛岐トンネル、古虎渓・多治見間に1332mの池田町トンネルが建設された。
写真は、複線化され電化開業直前の架線下を定光寺から高蔵寺に向かうD51牽引の貨物列車である。
D51―203[稲一]牽引の上り貨物
1966.6 定光寺・高蔵寺
42年8月、電化後の高蔵寺・定光寺間で撮影。高蔵寺を過ぎて濃尾平野から丘陵地帯に入ると車窓の景色が一変する。
キハ58系上り急行"第1ちくま"
下り中津川行547D 後尾キハ20系
1967.8 高蔵寺・定光寺
玉野川沿いの定光寺は、名古屋近郊の観光地として戦前に大いに賑わったとされる。
定光寺を発車するEF60牽引上り名古屋行旅客
1967.4 定光寺駅
新トンネル間の橋梁を行くEF60牽引の下り旅客
旧線のトンネル13基は、高蔵寺・定光寺間に2基、定光寺・古虎渓間に6基、古虎渓・多治見間に5基があった。
開通当初は14基で名古屋寄りから番号が付された。うち9号トンネルは旧池田信号所(古虎渓)開設時に廃止された。
蒸気機関車時代、トンネルの連続を知らない乗客がトンネル間で窓を開け、車内がパニックになることがままあった。
定光寺の南、岩盤に掘削された2号トンネル跡、高蔵寺側坑口
1967.4 高蔵寺・定光寺