今朝(5月9日)のテレビニュースで「カナダから帰国した大阪府の高校生と40代の男性から新型インフルエンザウィルスが検出された」と長い時間を割いて報道されています。「成田に着いた飛行機内での簡易検査で発見されたので厚生労働省は国内感染者との位置づけはしていない」というコメントも付いていました。
水際での検疫体制の充実は重要だとは思いますが、これだけ国際化が進み、世界中どこへでも一日で行けて、一日で帰って来られる交通網が整備された日本で水際検疫で感染リスクがゼロになるとは誰も思っていないと思います。大事なのはこれからでしょう。
絶対に避けて欲しいのは「誰がカナダへの旅行を許可したのか」という責任者探しです。
行政の硬直性は「責任」という言葉への異常とも思える恐怖心です。今回また、この犯人探しのような論調が起これば二重、三重の「アリバイ作り行政」が、より硬くなるように思えます。
「もし、感染者が不幸な事態になったどうするのだ!」と、鬼の首をとったような質問だか詰問だか分らない言い方をされると思います。極端から極端に振れる論点では議論、話し合いにはならないのです。
嫌がる高校生を無理やりカナダへ連れて行ったのではないのですから、イラクでの人質事件以来いやな言葉になりましたが、最終的には「自己責任」に帰着するのではないでしょうか、私にはそう思えます。
水際での検疫体制の充実は重要だとは思いますが、これだけ国際化が進み、世界中どこへでも一日で行けて、一日で帰って来られる交通網が整備された日本で水際検疫で感染リスクがゼロになるとは誰も思っていないと思います。大事なのはこれからでしょう。
絶対に避けて欲しいのは「誰がカナダへの旅行を許可したのか」という責任者探しです。
行政の硬直性は「責任」という言葉への異常とも思える恐怖心です。今回また、この犯人探しのような論調が起これば二重、三重の「アリバイ作り行政」が、より硬くなるように思えます。
「もし、感染者が不幸な事態になったどうするのだ!」と、鬼の首をとったような質問だか詰問だか分らない言い方をされると思います。極端から極端に振れる論点では議論、話し合いにはならないのです。
嫌がる高校生を無理やりカナダへ連れて行ったのではないのですから、イラクでの人質事件以来いやな言葉になりましたが、最終的には「自己責任」に帰着するのではないでしょうか、私にはそう思えます。