陋巷にさまよう (野を拓く 第2部)

プアなわが道とこの世を嗤笑するブログ

廃村:消滅自治体について思うこと

2024-05-04 11:38:11 | Weblog
過日来話題になっておる「消滅可能性自治体」、
「人口戦略会議」の推計は単純な方法やけど、国全体の出生数がどんどん減っておる今、どんな手法をとっても似たような結果やろし、手法自体は深堀りせずに見たらええんでしょうなぁ。

一方、「自治体消滅」のイメージが湧かんというお人もおるそうな。
ワタシは、消滅自治体の住民そのものやないけど、ワタシなりに分かりますよ。
母方の祖母の家があった村が、何度かの町村合併を経て、最終的に廃村となってしもうておるんですわ。
廃村になるとは、数世代をかけて櫛の歯が欠ける様に住民が減り、最後は残った住民が近隣地に集団移住し、人がおらん様になってしまい、人が生活した痕跡全てが次第に朽ち果ててゆくということでござります。
暫くの間は、元の住民が元々あった神社などの祭りにあわせて戻ってきたりもするけど、年月がたち、世代が交代するにつれ、それも廃れてしもうて、全てが土に戻ってしまうのでござります。

過日、祖母の元の家がどうなっておるかを、まだ生きておる叔母に聞いたら、何も知らんかったですわ。
何棟もあった大きい家屋は当然に朽ち果てておるやろし、そこへ行く道も途中から無うなっておるかも知れん、と言うておりましたなぁ。
この村は山岳地で、明治期には十幾つの集落があって、多いときで千人余りの人がおったそうやけど、今では住民はゼロ人(or 一人?)やそうな。

集落というても、沢山の人家がある訳やのうて、祖母の家なんぞは、近隣の家というと、山道を下り、そこから上がって、15分ほど歩いたところにある一軒だけでしたよ。
そこには同じ年頃の子がおりましてな。一緒によう遊んだもんですわ。
祖母の家には、子供の頃、夏・冬の休みに遊びに行ったもんで、よう覚えておりまする。

廃村になってから、かつて村役場や農協があったところまで行ったことがありまする。数十年前の話しやけど。。。
車で街から小一時間ほどかかるんやけど、途中から川(峡谷)を右に見ながら上流に進み、橋を渡ったところに元はバス停があって、そこに食料品などの売店を併設した農協があったんですわ。
祖母の家は、その農協の(朽ちた)建物のところから、細い山道を小一時間登るんやけど、時間の関係で途中までしか行っておりまへん。
この山道、かつては、(関心のあるお人には知られた)さるお寺に行く道やったそうで、それを示す(案内する)大きな石碑も残っておるけど、ワタシが知る限りでは、別ルートができたせいで廃れてしもうておって、子供の頃から、自分たち以外の者が通るのを見たことはありまへん。
この地域の別方面には、スキー場や山に登るロープウェイが出来ておって、それなりの人が利用しておるみたいやけど、ここでいう廃村とは少し離れておりまする。

「廃村」は、郷土史や探検好きのお人には興味をそそられるみたいで、たまにこの村を取り上げた記事やテレビ番組を目にすることがあるけど、
いずれ日本のあちこちが似たような風景になるんでしょうなぁ。
先日、朝日新聞に「消滅自治体」をテーマにした記事があって、この村にあった保育所跡の廃屋の写真がでておりましたわ。

千年とか数千年の時間軸で、
国内の古い遺跡に限らず、アマゾンなど中南米のかつての権力者の遺跡、中近東の遺跡など、新たに発掘される毎に話題になるけど、
普通の人が住んでおった日本の「廃村」は、殆どが木造建築やし、再び日の目を見ることはないでありましょう。
地域や国、そして民族が廃れてゆく「兆し」、それが「廃村」でござります。
人が汗を流し、笑い、泣いた、そうした生きた証が時間とともに消えてゆくのでござります。 

この廃村は、その名称や地名を書いておらんけど、内容を参考に、分かるお人がおるかも知れまへんなぁ。当ててみなはれ。
コメント
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